モリちゃんの酒中日記 12月その1

12月某日
「まほろ駅前多田便利軒」(三浦しをん 文春文庫 2009年1月)を読む。先日読んだ三浦の「エレジーは流れない」がつまらなかったので直木賞受賞作で映画化もされた本書を読むことにする。感想は「面白かった」。便利屋を主人公とした発想、中年×1の独身男ふたりのコンビ、コロンビア出身の売春婦…。登場人物がいずれもユニーク。乃南アサの「前持ち二人組」シリーズと似た感じを私は持った。どちらもそれぞれが優れたエンターテインメントだと思うけれど、重たい過去を抱えた二人組ということで…。「前持ち二人組」は文京区の根津が舞台だが、こちらはまほろ市という架空の街が舞台。小説中では「まほろ市は東京の南西部に、神奈川へ突きだすような形で存在する」「まほろ市の縁をなぞるように、国道16号とJR八王子線が走っている」と紹介されている。これからわかるようにまほろ市のモデルは町田市である。しかしモデルの都市が物語の構成に大きな影響を与えたとは思えない。東京近郊で高度経済成長期に人口が膨張した、中堅の都市であればよい。独身男の二人、多田と行天について物語は次のように語る。「多田と行天は、たぶん似たような空虚を抱えている。それはいつも胸のうちにあって、二度と取り返しのつかないこと、得られなかったこと、失ったことをよみがえらせては、暴力の牙を剥こうと狙っている」「わかったことは、と多田は事務所に戻りながら考えた。行天は確実にだれかを幸せにしたことがあるが、俺にはないということだ」。これはすでにハードボイルドではなかろうか。

12月某日
月に1度のペースで我孫子駅近くの中山クリニックへ行く。バスでアビスタ前から八坂神社前まで行く。高血圧の治療のためだが、治療行為は行われることはない。毎日測る血圧の測定記録を提出し、先生に見てもらう。先生「安定してますね」私「はい」先生「いつもの薬を出しておきましょう」私「はい。ありがとうございます」先生「お大事に」。こういう応答を恐らく20年以上やっている。ところでいつもは閑散としているクリニックの待合室が混んでいた。恐らくインフルエンザの予防接種のためだろう。私はすでに済ませているがコロナのワクチン接種の予約をしておいた。帰りは八坂神社前から若松までバス。ウエルシア薬局で調剤してもらう。ウエルシアから歩いて5分で自宅へ。

12月某日
「二〇三高地-旅順攻囲戦と乃木希典の決断」(長南正義 角川新書 2024年8月)を読む。ロシアの極東艦隊の拠点であった旅順港とそれを防衛していたのがロシア帝国陸軍である。ロシア軍は堅固な要塞に守られ、兵器弾薬も豊富に所有していた。日本帝国陸軍は満洲軍(総司令官 大山巌 総参謀長 児玉源太郎)の第三軍(司令官 乃木希典 参謀長  
伊地知幸介)が攻撃に当たった。第三軍は8月19日、第1回の総攻撃を開始するが、戦闘総員5万765人(ロシア軍の1.5倍)中1万5860人の死傷者(死傷率約31%、ロシア軍の約10倍)を出して、失敗に終わる。突撃は主に小銃と機関銃で阻止され、「特に機関銃の存在が脅威であった」。陸軍は要塞に対する重砲の威力が不足していることを認識し、対艦用の海岸砲である大口径重砲28サンチ榴弾砲を活用することとし、大本営は8月下旬に28サンチ榴弾砲を旅順要塞攻撃に投入することにした。砲の据え付け作業は9月に終了、10月から要塞攻撃と旅順港内のロシア艦隊攻撃に使用された。10月30日、第2回の総攻撃が開始されたが、またも失敗に終わった。第2回の死傷者は3830人(第1回の約5分の2)、ロシア軍の死傷者・行方不明者は4532人(第1回の3倍)であり、「戦闘成績は第1回総攻撃に比して遥かに良かった」。
第3回の総攻撃は11月26日に開始され、12月5日に203高地を陥落させた。第3回の203高地における死傷者は7578人(ロシア軍死傷者6739人)であった。主要堡塁が陥落し1905(明治38)年1月1日、ロシア軍のステッセル中将は降伏を決意、翌2日に水師営で日露両軍の委員が「旅順港開城規約」に調印し、旅順攻囲戦は終結した。乃木将軍に対して戦略家として能力が低かったとする評もあるが、著者は否定する。著者は乃木の決断力、統率力を高く評価し、司令部の組織的能力を効果的に活用する点でも優れていたとしている。「指揮力や決断力のみならず、統率の基盤たる人格も含め、乃木の存在が旅順攻略に寄与した度合いは大きい。そして何よりも彼は、悪条件が重なる中で軍を立て直し、「負け戦(lost battle)」を逆転勝利に導いた。近代日本史上稀有な軍人なのである。それゆえ、乃木は軍司令官として名将と評されて然るべきだといえよう」(おわりに)。乃木は旅順攻囲戦で2人の息子も亡くしているしね。

12月某日
韓国が揺れている。発端はユン大統領が戒厳令を発令したことに始まる。与野党議員が国会で戒厳令の無効を議決、ユン大統領は戒厳令の撤回に追い込まれた。国会でユン大統領の罷免は回避されたが、ユン大統領の早期の辞任は避けられないのではないか。辞任どころかユン大統領の内乱罪での逮捕もあり得るという。内乱罪の最高刑は死刑。韓国では民主主義が未成熟とする論調が一部にあったが、私はむしろ日本以上に民主主義が徹底しているように思う。国会外での市民の集会(15万人ともいわれる)が国政に大きな影響を与えた。民主主義は結局のところ市民、国民の政治に対する関心の深さで決まると思うけれど…。

モリちゃんの酒中日記 11月その3

11月某日
秋葉原のバーミヤンで軽く忘年会。メンバーはHCM社の大橋さん、ネオユニットの土方さん、それに年友企画で経理を担当していた石津さん、それに私。2時に会場に行くと大橋さんと石津さんはすでに来ていた。すぐに土方さんも来て乾杯。3時間ほど食べて呑む。この4人はネオユニットが開発、制作した「胃ろう・吸引シミュレーター」の販売に関わったのが共通点。在庫がなくなっても呑み会は続けたいと思う。

11月某日
17時から神田の「跳人」で忘年会。その前に上野の国立東京博物館で開催されている「はにわ展」を観に行くことにする。平日の午後というのに「はにわ展」は行列ができるほどの賑わい。展示品は写真撮影が自由に行われるのでカメラやスマホで展示物を撮影している人も多い。上野駅に戻ると16時過ぎ、神田駅までJRで、神田駅西口から徒歩で鎌倉河岸ビル地下1回の「跳人」へ。開店まで10分ほど時間があるので店の前の椅子に座って待っていると厚労省OBの小林さんが登場、ほどなく店長があらわれ開店。もう1人、大谷さんも来店して3人が揃う。ビールで乾杯の後、私は日本酒、2人はハイボールを呑む。

11月某日
「エレジーは流れない」(三浦しをん 双葉文庫 2024年10月)を読む。三浦しをんの小説はずいぶん読んできたけれど、概ね面白かった。しかし本作は違った。温泉町に暮らす高校生の群像劇なのだが、私には少しも面白くなかった。まぁ私はこの11月で76歳になった。高校生が主人公の小説に共感できなくてもしょうがないか。

11月某日
「人生オークション」(原田ひ香 講談社文庫 2014年2月)を読む。表題作と「あめよび」の中編2作がおさめられている。「エレジーは流れない」とちがってこちらは面白かった。「人生オークション」は離婚して一人暮らしとなった叔母と、叔母を訪ねてくる姪の話。叔母の持っているブランド品はネットオークションで販売するのだが…。その過程で叔母さんの隠れた過去が明らかになって来る。「あめよび」は雨予備のこと。ラジオ中継される野球放送などが雨天で試合が行われないことに備えた番組のこと。眼鏡店に勤める美子は何年も付き合っている恋人輝男がいる。輝男は工場務めだが「あめよび」番組への投稿が趣味。輝男には美子には明かさない諱(いみな)があるのだが…。この本は我孫子市民図書館で借りたのだが人気があるらしく「この本は、次の人が予約してまっています」という黄色い紙が裏表紙に貼ってあった。早速返してこよう。

11月某日
「ふかいことをおもしろく」(井上ひさし PHP文庫 2024年10月)を読む。井上ひさしは1934年11月、山形県置賜郡小松町(現・川西町)に生まれる。父は作家志望でかつ農民運動にも従事するが34歳の若さで死亡する。母は釜石でラーメンの屋台を始めるが、井上は同居せず、仙台の児童養護施設、ラ・サール・ホームで暮らす。仙台一高を経て、上智大学に進学、在学中から浅草フランス座でストリップの幕合にやっている笑劇の台本を書き始める。1964年からNHKの連続人形劇「ひょっこりひょうたん島」(共作)の台本執筆。69年に「日本人のへそ」で演劇界にデビュー。72年には「手鎖心中」で直木賞を受賞。それ以降、戯曲や小説で相次いで受賞。01年には朝日賞、04年、文化功労者にえらばれる。10年4月に永眠。井上ひさしはユーモア作家として括られることが多いかも知れないが、私は反骨、反戦の作家ととらえたい。井上が現代に生きていればウクライナやガザの現状をどう思うだろうか…。

モリちゃんの酒中日記 11月その2

11月某日
土曜日だが、いつもより早く目を覚ました。新聞を取りに行って1時間ほど寝床の中で読む。7時過ぎに起床。入浴。朝食を済ませ9時30分からNHKBSの「高倉健にあいたい」を見る。高倉健の生前の映像と武田鉄矢、佐藤浩一などのインタビューで構成される。高倉健は役柄からして「寡黙な人」と見られがちだが、佐藤浩市によると実際はよくしゃべる人だったという。しかしだからといって明るい人だったかどうかは分からない。番組では高倉健の座右の銘が紹介されていた。「往く道は精進にして、忍びて終わりて悔いなし」という仏教の言葉。ネットで調べると大無量寿経の歎仏偈(たんぶつげ)に出てくる言葉で、正確には「たとい身を、もろもろの苦毒の中に終わるとも、我が行は精進して、忍びてついに悔いじ」(たとえどんな苦難にあおうとも、決して後悔しないであろう)だそうだ。思うに高倉健は精進と決意の人であったのであろう。本日は15時45分に柏駅中央口で高校時代の友人たちと待ち合わせ、会食の予定。15時30分過ぎに柏駅中央口で待つ。45分を過ぎても50分を過ぎてもだれもあらわれない。幹事役のYさんの携帯に電話しようとして気がついた。今日ではなく12月だったんだ。昔から思い込みが激しいんだよ!

11月某日
「アイヌがまなざす-痛みの声を聴くとき」(石原真衣 村上靖彦 岩波書店 2024年6月)を読む。石原は1982年、アイヌと琴似屯田兵(会津藩)とのマルチレイシャルとして生まれる。村上は1972年生まれ、大阪大学人間科学科教授。本書は石原と村上によるアイヌの人びとへのインタビューとそれへの考察によって構成される。私は北海道室蘭市出身でアイヌの人びとには多少の理解があるつもりでいたのだが、本書を読んで北海道と先住民のアイヌについてあまりにも知らないことだらけだったのに驚かされた。まず私たちの先祖は植民者、侵略者として先住民アイヌの土地を奪ったということ。恐らく狩猟採集の民族だったアイヌには土地を私有するという観念はなかったと思われるが、彼らが狩猟や採集で歩いた北海道の大地(アイヌモシリ)はアイヌの共有地、コモンであった。所有権は当然、共同体としてアイヌ全体にある。それを植民者は共有地からアイヌを追い出し移住させた。明治になってからも収奪は続いた。一部を除いてアイヌの生活水準は低く、高校への進学率も低かった。人類学研究の名前でアイヌの墓から遺骨が盗掘された事実もある。唐突だが、私は東アジア反日武装戦線のことを思いだした。主犯の大道寺は釧路出身、逮捕当日の自殺したSは私と同じ室蘭出身。ともにアイヌ差別や在日朝鮮人差別への怒りが運動を始めた動機という。無差別テロは許されないけれど…。

11月某日
「だめになった僕」(井上荒野 小学館 2024年10月)を読む。ネットによると「著者23年ぶりの書下ろし長編恋愛小説」だって。主人公は音村綾、長野でペンションを経営しながら漫画家としても活躍している。綾が東京で開かれるサイン会に出席するところから話は始まり、物語は「現在」から「1年前」「4年前」…「14年前」「16年前」とさかのぼり、エピローグ「現在」で終わる。恋愛小説であるとともにちょっとした「謎解き小説」でもあると思うのでストーリーの詳細は省きます。私としては大変満足した小説でした。

11月某日
「聖書の同盟-アメリカはなぜユダヤ国家を支持するのか」(船津靖 KAWADE夢新書 2024年6月)を読む。パレスチナの紛争は分かりにくい。とりわけ外国に占領された経験が第2次世界大戦に敗れて連合国、主として米国に占領された1回だけという日本人にとっては分かりにくい。本書は共同通信で海外特派員経験が長く、現在は広島修道大学で国際政治を教える著者が優しい語り口で解き明かしてくれる。現在のイスラエルやパレスチナが存在する地域は第1次世界大戦までがドイツと同盟国だったオスマントルコが領有していた。しかしもともとこの地域にはユダヤ人の国家が存在していた。本書によると「ユダヤ人の歴史で確かなのは前9世紀以降、エルサレムを中心に、伝説的なダビデ王家の血統を主張する王が支配する南王国ユダが存在し、その北方に強大な北王国イスラエルがあった」「両王国ともヤハウェを信仰する宗教的部族連合」だった。北王国はアッシリアに滅ぼされ、南王国もやがて新バビロニアに滅ぼされる。その後、ペルシアやシリアの支配を経てユダヤ人独立国家、ハスモン王朝が成立するがやがてローマの支配下に入る。そこで君臨したのがヘロデ王で、このときにユダヤ教の神殿支配者層を公然と批判したのがイエスである。イエスはユダヤ教の革新を目指したとも言えるが同時にキリスト教の創始者でもあった。「ユダヤ人は「神の選民」でありながら「神の子」イエスを受け入れることを拒んで殺した、とキリスト教徒に非難され」「ユダヤ教徒のその後の苦難は「神罰」として正当化され」た。
独立国家を失ったユダヤ人は世界各地へとくにヨーロッパへ移住した。ユダヤ人は差別されてきたが19世紀以降、故郷への帰郷運動が本格化する。第一次世界大戦中、英米仏はユダヤ財閥からの戦費調達のため戦後のユダヤ国家創設を約束し、アラブには対オスマントルコへの戦闘協力と引き換えに戦後の独立を約束した。有名な2枚舌、3枚舌外交である。ナチスのユダヤ人迫害もあって戦前からイスラエルへのユダヤ人帰還は続いた。しかしそこはアラブ人が平和に暮らしていた土地でもあった。イスラエルとアラブは1948年から67年まで3次に渡る中東戦争を戦った。昨年10月のハマスのイスラエル侵攻に始まり、報復にイスラエルがガザを侵攻しているのは第4次中東戦争ということになる。トランプ再選の場合、著者は次のように予想する。サウジアラビアとイスラエルの国交を正常化させ、イラン封じ込めの負担も両国に分担させ、中東への軍事的関与を減らし、余力を中国との競争やアメリカ国内への投資に充てたいところだろう、というものだ。なかなかに説得力のある主張だと思うのだが。

モリちゃんの酒中日記 11月その1

11月某日
「転がる珠玉のように」(ブレイディみかこ 中央公論新社 2024年6月)を読む。ブレイディみかこの本に出合ったのは19年6月に出版された「女たちのテロル」を図書館で見て借りたのがきっかけだ。「女たちのテロル」は戦前のアナキストで、摂政暗殺を企てたとして死刑を宣告され、後に無期懲役に減刑されるも獄中で縊死した金子文子と海外の女性テロリスト2名の評伝をまとめたもの。これ以降ブレイディみかこの著作を読むようになった。「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」は英国ブライトンでのアイルランド系イギリス人の夫と息子との暮らしを描いて話題となった。彼女は福岡の名門校、修猷館高校を卒業後、進学せずに英国へ渡った。「ぼくはイエローで…」の頃、中学生だった息子が「転がる…」では高校生で大学を受験するまでになっている。夫が癌になったり母親が死んだり…。それなりに起伏のある家族や周囲の人たちの人生を淡々と描く。

11月某日
社保研ティラーレを表敬訪問。吉高会長と佐藤社長へ挨拶。衆議院選挙ではティラーレは立憲民主党の神奈川県の新人候補を応援していたが、めでたく当選したそうだ。帰りに我孫子駅前の「しちりん」で夕食兼晩酌。

11月某日
アメリカ大統領選で共和党のトランプが当選。予想された大接戦とはならず、ハリスは敗退した。大統領選ではヒラリークリントンとハリス、二人の女性民主党候補がトランプに敗れている。米国の大統領は軍の最高司令官も兼ねるが、女性に最高司令官は務まらないということか。トランプはロシアのプーチンや北朝鮮の金最高指導者と親近性が高いように思う。それが国際間の緊張緩和に向かうのか。私はプーチンや金を増長させることを恐れる。

11月某日
「言葉果つるところ」(鶴見和子 石牟礼道子 藤原書店 2024年9月)を読む。本書は鶴見(1918~2006)と石牟礼(1927~2018)の対談集で、2002年に発行された(鶴見和子・対話まんだら)『石牟礼道子の巻』を底本としている。タイトルは鶴見が石牟礼を評して「言葉果てたるところから文学が出発する。そして文学は言葉果つるところに到達する、かつそこが出発点になる」と発言しているところからとられている。水俣病の闘いも「言葉果つるところ」から始まったし、水俣にほど近い島原の地で400年前に闘われた島原の乱も同様であった。水俣病の問題はもう終わったように私などは感じていたが、それはどうも終わっていないのだ。産業革命以降の人類の深刻な環境汚染が終わらないかぎり、水俣の問題は繰り返されている。

11月某日
週1回のマッサージで「絆」へ。今日は長男が休みなので車でスーパーウエルシアによってアイリッシュウイスキーを購入、ついでに床屋まで送ってもらう。床屋の後、近くの食堂「三平」で中華丼を食べる。駅前からバスでアビスタ前まで。

11月某日
「罪名、一万年愛す」(吉田修一 KADOKAWA 2024年10月)を読む。吉田修一は芥川賞受賞作家だが作品は純文学に限らず、恋愛小説、冒険小説と幅が広い。本作は冒険小説と言える。横浜の私立探偵に一風変わった依頼が舞い込む。「一万年愛す」と名付けられた35カラット以上のルビーを探してもらいたいというのだ。舞台は富豪の一家が滞在する九州の孤島。実は九州でデパート経営に成功した富豪一家の祖父には隠された秘密があった。

モリちゃんの酒中日記 10月その3

10月某日
日曜日の朝日新聞「歌壇 俳壇」から。ガザに想いを寄せて。「ガザの子はたぶん大谷翔平を知らない野球さえできなくて」(近江八幡市 寺下吉則)「『将来はヒズボラになる』と泣きながら父の屍のそばに座る子」(牛久市 高木美鈴)。袴田さん、無罪。「再審の無罪となりし弟をこの日も車椅子で押す姉」(寝屋川市 今西富幸)「弟よ、巌、巌は無実なり姉の見据ゑし判決下る」(東京都 笹山羊)。袴田さんは俳壇にも。「袴田さんさて何をせん秋の暮れ」(八王子市 額田博文)。次の2句は全共闘世代の俳句?「連帯も共闘もせず秋の蠅」(東京都新宿区 山口晴雄)「青茄子に思想の如く棘がある」(東京都渋谷区 佐藤正夫)。

10月某日
「あなたを待ついくつもの部屋」(角田光代 文藝春秋 2024年7月)を読む。部屋とはホテルの部屋のことである。ホテルは東京、大阪、上高地の帝国ホテルである。初出はIMPERIAL80号から122号とあるから帝国ホテルのPR雑誌に掲載されたものであろう。東京、大阪、上高地の帝国ホテルを訪ねる老若の女性を主人公とした42編の短編が収録されている。ホテルを舞台にした42編のショートストーリー、どれも都会的で洒脱であった。最後の「光り輝くその場所」は20歳のとき、はじめて帝国ホテルに足を踏み入れた楓子は、宴会場で開催されていた文学賞の受賞パーティに迷い込む。38歳になった楓子は、自身の受賞パーティ会場となった帝国ホテルへ向かうという話。

10月某日
17時30分に神田駅で前の職場の友人と待ち合わせ。少し早く出て上野の国立東京博物館で開催中の「はにわ展」を観に行こうかと思ったが、思い直して東京駅へ。丸の内口を出て、丸善の書籍売り場に向かう。吉田修一の新刊、「罪名、一万年愛す」を購入。丸の内口から歩いて神田駅へ。待ち合わせ時間にはまだ時間があるので駅近くの居酒屋で時間をつぶす。時間になったので神田駅北口へ。かつての同僚と北口近くの居酒屋で呑む。

10月某日
「猛獣ども」(井上荒野 春陽堂書店 2024年8月)を読む。高原の別荘地でのひと夏のできごと。密会中の男女が熊に殺される。愛に傷ついた管理人の男女と別荘の6組の夫婦に何が…。「夫婦って不思議だな」と思ってしまう。なんの関係もなかった一組の男女が出会い恋に落ち、家庭を営む。その不思議さを井上荒野はたんたんとさりげなく描く。巧み!

10月某日
幼馴染の佐藤君が出張で東京に出てくるので新橋で会食の予定。先日、国立東京博物館の「はにわ展」に行けなかったので上野駅で下車したら雨が降ってきたので、上野駅近くの西洋美術館に変更、クロード・モネ展が開催中だった。実は私は障害者手帳を持っているので公立の美術館や博物館は基本的に無料。平日の午後だったのに結構、混んでいて入場者が並んでいたが、こちらも障害者優先でスイスイ。しかもエレベータまで案内してくれる。一通り鑑賞したので新橋へ。昔、新橋烏森口の日本プレハブ新聞社という業界紙に勤めていたことがあった。会社があったビルには呑み屋さんが入っていた。約束の17時30分近くなったので烏森口へ。高校で1年後輩だった小川君、井出君などがすでに到着していた。女子の旧姓中田さん、佐藤君も揃ったので会場の銀座ライオン新橋店へ。実はこの集まりは室蘭東高スキー部のOB会なのだが、ほぼ幽霊会員だった私にも声が掛る。会費は6000円だったが、佐藤君がすべて払ってくれた。佐藤君は札幌でIT会社を創業、社長から会長に退いた。ありがたくご馳走になる。佐藤君にご馳走になったうえ、お土産に北海道の銘菓「わかさ芋」をいただく。

10月某日
「正しく読む古事記」(武光誠 エムディエヌコーポレーション 2019年10月)を読む。古事記と日本書紀は日本の国の成り立ちを伝えるという同じような役割を持っていると思っていたが、本書によるとその役割をそれぞれ違っていた。古事記は人々に読ませる「伝説集」で、日本書紀は、日本の公式の史書としてつくられた。古事記は天皇家の歴史であるのに対して日本書紀は、海外向け(当時は唐か)の日本の歴史で、記述内容も古事記が漢文を下敷きにした和文であるのに日本書紀は漢文であった。古事記には子供ころ親しんだ童話もとになったものもある。海彦山彦、ヤマトタケルなどなど。

モリちゃんの酒中日記 10月その2

10月某日
袴田巌さん(88)の無罪が確定した。逮捕から58年も経っているんだって。死刑が確定してから、処刑の恐怖と闘いながら冤罪を訴えてきた。本人も偉いが袴田さんを支えてきたお姉さんのひで子さん(91)もエライ。ひで子さんは現在、マンションを経営していて、そこに巌さんと一緒に住んでいるらしい。テレビで拝見するとひで子さんはとても頭脳明晰に感じられる。経営の才能にも恵まれているってことだね。石破茂内閣が発足したと思ったら解散だって。自公で過半数は確保するだろうけれど自民は相当議席数を減らしそうだ。そうそう石破内閣には村上誠一郎が自治大臣で入閣した。安倍元首相が銃撃されたとき「国賊」発言をして党から処分された人。安倍や高市といった右派受けする人から、石破や村上などリベラル色を感じさせる人まで自民党の幅広さを感じる。自民党にはアメリカの共和党と民主党の両方の強みを持っている感じがする。

10月某日
今年のノーベル平和賞が日本原水爆被害者団体協議会(被団協)に決まった。異議はないけれど…。広島、長崎に原爆が落とされ、日本が戦争に負けてから90年になろうとしている。戦争や武力紛争はほぼ絶えることなく続いている。中国大陸の国共内戦、朝鮮戦争、アルジェリア独立戦争、ベトナム戦争、中印国境紛争、最近ではロシアのウクライナ侵攻とイスラエルのパレスチナ侵攻である。人類の歴史とともに戦争はあったのだろうか? 人類が誕生したころ、狩猟採集で食べていたころには戦争はなかったのではないかと思う。原始共産主義の時代だからね。日本でいうと米作が始まった縄文時代の晩期には戦争があったらしい。石礫や鏃などが発掘されている。卑弥呼の時代には、内乱がおさまらず女王を立てたら戦がおさまったという記述が中国の歴史書にあるらしい。奈良時代、平安時代はほぼ戦はなかったが、平将門の乱や蝦夷との戦があり、平安末期には源平の戦が続いた。鎌倉時代には2度の元寇があったし、室町時代は南北朝の戦や応仁の乱があり、戦国時代を経て関ヶ原合戦、大坂の陣をへて泰平の世(江戸時代)が始まる。明治時代以降。1945年の敗戦に至るまで日本は対外戦争を繰り返した。台湾出兵、日清日露戦争、武力による朝鮮併合、シベリア出兵、第1次世界大戦への参戦、満州事変に日中戦争、そしてアジア太平洋戦争である。90年も日本が戦争をしていないなんて日本近代史ではむしろ異常。だから、戦争にはつねに反対の意志を持っていなければと思います。

10月某日
書棚を整理していたら「白秋」(伊集院静 講談社 1992年9月)が出てきた。伊集院静は1950年2月生まれ。私より1学年下だが現役で立教大学に入学しているから、一浪して早稲田に入った私とは大学では同学年だが、大学に入学してからの人生の軌跡はまったく違う。伊集院は野球部の合宿所に文学全集を持ち込んで先輩、同僚をびっくりさせるが、ほどなく体を壊して野球部を退部。卒業後は広告会社への勤務の傍ら作詞に手を染める一方、CMディレクターとしても辣腕を振るうなか、夏目雅子と恋仲になる。伊集院には妻子があり不倫関係を続ける。伊集院の離婚後ふたりは結婚、ほどなくして夏目は病魔に侵され死去(85年)。女優の篠ひろ子と再再婚(92年)。伊集院の両親は韓国から日本に来た。本作はこうした伊集院の経験が凝縮されている。主人公の真也は富豪の家に生まれるが心臓に病を持ち、鎌倉の別荘地に看護師と暮らす。真也の別荘の2軒先に生け花の先生、衣久女が住む。衣久女のもとに生け花を習いに来るのが文枝。文枝と真也は恋に落ちる。以久女は戦前、朝鮮半島で日韓の混血として生まれたことも明らかにされる。文枝と真也は結ばれるが、ほどなく真也は死去、文枝は出産、愛児とふたりで生きてゆくことを決意する。まぁ「死と再生の物語」といってよい。

10月某日
「ヤマト王権-シリーズ日本古代史②」(岩波新書 岩波新書 2000年11月)を読む。本書によると日本列島の政治的統合のプロセスは、①倭国としての統合の展開(1世紀末から2世紀初頭)②近畿地方を中心とする定型的企画をもつ前方後円墳秩序の形成(3世紀後半)③ヤマト王権の成立(4世紀前半)となる。卑弥呼が登場したのが①である。また本書では実在した初代の天皇は崇神天皇(はつくにしらすスメラミコト)とされる。②において国家連合的な形でヤマト王権が誕生し、③において「絶対主義的」なヤマト王権が確立したのであろう。本書ではヤマト王権と朝鮮半島、中国大陸とのかかわりについても多く記されている。中国の歴代王朝には朝貢を行い朝鮮半島に対しては侵略と友好を繰り返したようだ。

10月某日
「陥穽-陸奥宗光の青春」(辻原登 日本経済新聞社 2024年7月)を読む。陸奥は明治維新を主導した薩摩や長州ではなく、紀州和歌山藩の重臣の家に生まれた。しかし父が政争に巻き込まれ一家は藩を追われる。陸奥は高野山での学僧を経て幕府の海軍塾で学び、そこで勝海舟や坂本龍馬と知りあい、海援隊に参加する。明治政府内で頭角をあらわすが、明治10年の西郷の西南戦争に呼応しようとした疑いで投獄される。物語は陸奥の青春と入獄を描く。陸奥は海軍塾時代に英語の重要性に目覚め、獄中でも英書を読んでいた。思うに陸奥は、英書からデモクラシーを学んでいた。西南戦争へ呼応しようとしたのもそれ故であった。しかし獄中から解放された後、陸奥は自由民権派には属しなかった。陸奥の有能さを藩閥政府の伊藤博文らが手放さなかったのだ。余談だが陸奥は最初の妻が亡くなった後、新橋の17歳の芸者、亮子と結婚する。亮子の写真はウイキペディアで確認できるが、やはり美人、それも現代的な美人であった。

モリちゃんの酒中日記 10月その1

10月某日
「日本社会の歴史(上中下)(網野善彦 岩波新書 1997年4月)を読む。網野善彦(1928~2004)は山梨県出身、幼少期に港区西麻布へ転居、白銀小学校、旧制東京尋常科、同高等科を経て、1947年東京大学文学部国史科に入学、石母田正に師事。この頃、日本共産党に入党し民主主義学生同盟副委員長兼組織部長となったが、後に運動から脱落する(ウイキペディアによる)。網野の専門は日本中世史とされるが、本書は先史時代から戦後までの通史である。だが、単なる通史ではなく蝦夷や琉球列島の歴史、遊女や被差別民の歴史にも配慮されている。私は網野の「無縁・公界・楽」や「異形の王権」を購入したが、読み通すことはできなかった。今回、「日本社会の歴史」を読んで、改めて網野史観の独特な魅力に魅かれた。一言でいうと網野の辺境や稀人に対する視線に共感したということか。

10月某日
「静子の日常」(井上荒野 中央公論新社 2009年7月)を読む。タイトル通り75歳の静子の日常を描く。静子は一人息子の愛一郎とその妻、薫子、孫のるかと同居している。夫の十三はすでに亡くなっている。75歳といえば私と同い年である。ということもあって静子には共感できることが多々あった。まぁ静子の価値観とか人生観とかにね。やっぱり、この年齢になっても大切なのは自立です。静子はプールでの付き合いや町内会のバス旅行でも立派に自立している。自立した「静子の日常」は爽やかでもある。
今日は「日本社会の歴史」と「静子の日常」を我孫子市民図書館へ返却に行きます。

10月某日
「左太夫伝」(佐々木譲 毎日新聞出版 2024年8月)を読む。仙台藩士として生まれ、戊辰戦争の渦中に明治新政府に反逆した罪で処刑された玉虫左太夫という人の評伝小説。左太夫は最初、仙台藩の学問所の養賢堂に学び、その後、江戸へ出て大学頭、林復斎の私塾で学ぶ。林復斎はペリーとの外交交渉を担い、左太夫は従者として従う。左太夫は外交交渉の経験を買われ、遣米使節の従者にも選ばれる。左太夫はアメリカの文明に圧倒されるが、何よりも驚いたのが、アメリカの共和制と民主主義だ。左太夫は後に榎本武揚を名乗る榎本釜次郎と知り合うが、彼に次のように述べる。「わたしは漢学を、とくに儒教を学んだ書生です。アメリカにいても、もっともわたしを揺さぶったことは、もしや儒学は意味のない学問ではなかったかということなのです。(後略)」。大政奉還、王政復古の大号令により、幕府は瓦解、左太夫も仙台藩に帰る。仙台藩では藩主の伊達慶邦に信頼され洋式陸戦隊の創設を任される。また奥羽列藩同盟の創設を主張し会津藩、米沢藩との調整連絡役を担う。会津藩に官軍が迫るとき、左太夫は榎本に蝦夷が島へ誘われる。蝦夷が島での共和国樹立を夢見た左太夫は誘いに乗ることにするが、榎本の艦隊とは行き違いとなる。左太夫は江戸、横浜への脱出を図るが官軍に捕らえられる。左太夫がアメリカに渡る前、蝦夷が島と北蝦夷地(樺太)をまわるが、次のように記述されている。「やがて一行は、ヘケレウタという土地に着いた。モロラン会所の東にあって、深い湾に面している。狭い海岸に、南部藩の陣屋が置かれていた」。モロランとは後の室蘭、私の故郷である。

10月某日
「隆明だもの」(ハルノ宵子 晶文社 2023年12月)を読む。2012年に亡くなった「戦後思想界の巨人」と呼ばれた吉本隆明。ハルノ宵子はその長女で漫画家、7歳下の次女が吉本ばななで小説家である。ハルノが吉本隆明全集の月報に連載したものを中心にハルノとばななの対談も収録している。ハルノは吉本家の日常をかなり赤裸々に描いている。吉本隆明といえば私たち団塊の世代にとっては教祖的な存在で、新刊が出ると争って買ったものだ。私は講演会にも2回行った。最初は学生時代でブンドの叛旗派の政治集会に吉本がゲストで講演した。内容は覚えていない。2回目は我孫子市の市民会館で柳田国男がテーマだったと思う。吉本の著作を購入しサインしてもらった記憶がある。「隆明だもの」から私が面白く感じたものを抜粋する。
「90年代前半、父はよく働きよく食べた。そして痩せてきた。(中略)あまりに度が過ぎる隠れ食いのひどさに、口うるさかった母もサジを投げ、この頃の父の食事管理は、無法地帯になっていた。それで糖尿病を悪化させ、痩せてきたのだ」。吉本は伊豆で海水浴中に溺れかけたことがあったが、「溺れた原因も、私は低血糖症だと思っている」。吉本も亡くなる前は認知症めいた行動もあったらしい。「1日のほとんどが眠りがちで」「そんなある日、父が『キミ、塾のポスターを描いて、うちの(私道の)壁に貼ってくれないか』と言う」。これは「2度と戻れない少年時代の、今氏乙治先生の私塾へ通っていた時代への郷愁なのだ」。「うちの家族は全員“スピリチュアル”な人々だった」「たとえばネイティブアメリカンの族長を想像してほしい。なんとなく父のイメージと重なると思う」「吉本家は薄氷を踏むような“家族”だった。父が10年に1度位荒れるのも、外的な要因に加えて、家がまた緊張と譲歩を強いられ、無条件に癒しをもたらす場ではなかった(父を癒したのは猫だけだ)」。ハルノとばななの対談ではハルノが「とてもじゃないけど、並の人は家事もやって子供の弁当まで作って、それであれだけの仕事をこなすことはできないと思います」と語っている。複雑でかつ「族長」のような人だった。

モリちゃんの酒中日記 9月その3

9月某日
「大王から天皇へ」(熊谷公男 講談社学術文庫 2008年12月)を読む。2001年1月に講談社の「日本の歴史」③として刊行されたものの文庫版である。日本の歴史とは直接関係はしないが、本書で分かったことのひとつが中国の皇帝と日本の天皇の違いである。中国では天が地上で最も徳のある人に天下の支配を委ね、新しい王朝が開かれ、やがて何代かして暴君があらわれると、また別の有徳者に天命が下され、新王朝の時代になる。王朝は有限なのである。これに対して日本では天皇位の根拠は天皇の先祖がアマテラスであり、アマテラスの子孫が天孫降臨により、地上(日本)を支配したことによる。もちろんこれらは神話の世界の話である。戦前の一時期、神話を根拠に「八紘一宇」や「大東亜共栄圏」などのイデオロギーが強く日本社会を支配したことがある。これが誤った観念であることは日本の敗戦によって日本社会に受け入れられた。現在の日本の天皇一家は民主的にして平和的な存在である。しかし本書を読むと古代天皇制の歴史は血に塗られた歴史でもある。壬申の乱を持ち出すまでもなく皇位継承をめぐって戦や暗殺、自死、刑死が繰り返されたのである。天皇号が成立するのは本書では天武・持統朝と推定している。それ以前は大王(オオキミ)であった。ヤマト王権が地方王権の連合体で、王のなかの王が大王だったのであろう。
任那日本府について本書はこう記す。「ほんの20~30年ほど前、日本の古代史学界では、日本はヤマト朝廷が成立して間もない4世紀後半には朝鮮半島南部に武力進出し、そこに統治機関として『任那日本府』をおき、朝廷の『宮家(みやけ)』として『任那』を植民地のように支配・経営していた、その支配は562年の『任那』の滅亡まで続く、とする考えが不動の定説であった」「これは『書紀』の記述の影響を受けたものである」。任那は当時、その場所に存在した「金官国」を指すということだ。熊谷は次のように発言する。〔朝鮮史家の田中俊明氏が「『任那』という用語は、使いたくもないし、使うべきでもない」といっていることに、筆者もまったく同感である〕。私も同感です。

9月某日
「この世の道づれ」(高橋順子 新書館 2024年8月)を読む。詩人の高橋順子が亡夫、車谷長吉について書いたエッセーを主に集めたエッセー集である。車谷は2015年5月17日、誤嚥性窒息で亡くなっている。享年69歳。最後の私小説作家とも言われた車谷はモデルとされた人から訴えられたこともあったようだ。高橋順子は次のように書いている。「小説を書く上では当たり障りがないどころか、当たり障りがあるところに手応えを感じていたようだ。モデルにした人たちの心に血を流させた、と晩年述懐していたが、その人たちの身内にもつらい思いをさせていたことを、義母の葬儀の日、私どもに詰め寄ってきた親族から聞かされた」(車谷文学の行方)。「車谷の私小説には、いろいろなからくりがある。事実と見せながら、巧みに虚構も入っている。『あることないこと書かれて』と苦情を言われたことは、ずいぶんあるようだ」(車谷長吉を送って)。車谷は最大の理解者を奥さんにしたのではないか。

9月某日
午前中、月1回の内科診察に我孫子駅近くのNクリニックへ。10時30分頃だったが、入り口に「午前中の診療は終了しました。午後は15時からの予定です」の貼り紙が。診察をあきらめて白山の床屋さんへ。3500円。床屋さんから白山を手賀沼まで歩く。手賀沼沿いの「水辺のサフラン」でサンドイッチと飲み物を購入、お店で頂く。家に帰って2時過ぎまで休息、今度はバスで八坂神社前、Nクリニックへ。休業の貼り紙。「医者の不養生」か?駅前の「しちりん」でホッピーとつまみを2品ほど。焼酎のボトルをキープしてあるので1100円。我孫子駅前からバスで手賀沼公園へ。我孫子市民図書館で借りていた網野善彦の「日本社会の歴史(上)」を読了。

9月某日
NHKの朝ドラ「虎に翼」が終わった。日本の女性弁護士の先駆けで戦後は家庭裁判所の創設や女性の地向上に尽力した三淵嘉子さんをモデルにした主人公を描く。私は毎回見ていたわけではないが女性差別や同性愛の取り上げ方など好感が持てた(☆☆☆)。

パワハラなどで批判が高まっていた斎藤兵庫県知事が失職、知事選挙に立候補するという。内部告発者を公益通報者とせず、処分した斎藤氏。この人こそが処分されるべき(★★★)。

自民党総裁選挙で石破茂氏が当選。保守派で靖国参拝を主張する高市早苗氏に逆転勝利。高市氏は予想以上に票を集めた。ヨーロッパでは極右勢力が伸長しているという。私は石破氏の当選には好感するが、高市氏の善戦には苦い思いを禁じえない(☆☆★★)。

モリちゃんの酒中日記 9月その2

9月某日
「いちばん長い夜に」(乃南アサ 新潮社 2013年1月)を読む。前科(マエ)持ち二人組の芭子と綾香のシリーズ最終作。作者の「あとがき」によると、2011年3月11日、著者は早朝から新幹線で仙台に向かった。仙台は綾香の出身地で、綾香が夫殺しを実行した現場でもあることからの日帰り取材旅行であった。午後2時46分、後日「東日本大震災」と名付けられた大地震が発生する。本作には作者のこの体験が色濃く反映している。芭子は綾香が自首したときに離れ離れとなった幼子の行方を探りに綾香に内緒で仙台を訪れる。調査を進めるうちに芭子は大震災に遭遇する。避難先で知り合った青年と相乗りのタクシーで東京を目指す。芭子の体験はほぼ作者の体験と重なる。「あとがき」では「最後に、震災で亡くなられた方々のご冥福と、あの日以来人生が変わらざるを得なくなった皆さんが、それでも生き続けて下さることを心から祈っております。そして、私と編集者とが震災当日、深夜近くまで身を寄せさせていただいたホテル「法華クラブ」の皆さん、東京まで運んでくださった三台のタクシーのドライバー各氏に、お礼を申し上げます」と記されている。芭子と綾香のシリーズは上戸彩と飯島直子でテレビドラマ化されている。

9月某日
「アマテラスの誕生-古代王権の源流を探る」(溝口睦子 岩波新書 2009年1月)を読む。ヤマト王権については日本書紀や古事記などの文献、さらに中国の魏志倭人伝などの文献、そして前方後円墳や埴輪、銅鏡などの考古学資料によって解明は進められているが、まだ全容を明らかにはできない。本書は今から10年以上前の著作だが、私には新鮮で面白かった。本書並びに溝口の論の特徴は「古代天皇制は無文字社会に片足をおいた制度」であり「古代天皇制思想の核である天孫降臨神話は、名のとおり『神話』であり、『神話』は基本的に無文字社会の産物である」という点にある。無文字社会の産物である神話をもとにして古代天皇制について考える、ということであろうか。日本書紀や古事記でもっとも注目すべきは天孫降臨神話であろう。明治憲法でも「天皇の統治権の『淵源』は『皇祖皇宗の神霊』にある(告文)としている」。皇祖皇宗とは「皇祖神」であるアマテラスや、神武天皇にはじまる歴代の天皇を指している。日本に古代国家が成立したのは東アジアの政治情勢が強く影響していると本書は指摘する。4から5世紀前半の東アジアは激しい動乱のなかにあった。北方遊牧民が大量に華北に進出、約130年間にわたって興亡を繰り返した。朝鮮半島北部では、漢民族の文化と遊牧民の文化と接触し融合させながら高句麗が国家形成を果たした。その高句麗から朝鮮半島南部の国々や倭は、大きな影響を受けた。400年ころ、新羅に進出していた倭軍は高句麗に惨敗している(好太王の碑)。
同じ頃、古墳文化も大きく変貌する。「倭の独自性のつよい文化」から「朝鮮半島の影響のつよい文化」への変貌である。副葬品にそれまでみられなかった馬具がみられるようになり、武器・武具も騎馬戦向きのものに変化した。この時期に、新しい政治思想、王の出自が天に由来する「天孫降臨神話」も、高句麗の建国神話を取り入れる形で導入された。その元を辿れば朝鮮半島の北に広がる北方ユーラシアの遊牧民族が古くから持っていた王権思想である。天孫降臨神話の元は北方ユーラシアの王権思想にあった。日本の皇祖神・国家神は「ヤマト王権時代(5~7世紀)はタカミムスヒ」「律令国家成立以降(8世紀~)はアマテラス」。7世紀末に中央集権国家(律令国家)がはじめて成立した。「タカミムスヒからアマテラスへという国家神の転換は、そのような歴史の変化にぴったり対応している」のだ。タカミムスヒもアマテラスも太陽神だが、その出自が違うようだ。タカミムスヒが北方ユーラシア、高句麗系とすると、アマテラスはヤマト王権、弥生系である。これからは私の推測だが、「倭の独自性のつよい文化」から「朝鮮半島の影響のつよい文化」への変貌が起きたとき、ヤマト王権は皇祖神話を、天孫降臨神話を残しつつ、主神を北方ユーラシア系のタカミムスヒから土着のアマテラスへの転換を果たしたのであろう。一方、イザナキ・イザナミの国生み神話は「大まかに捉えれば、みな南方系である」としている。南方とは中国の江南から東南アジア、東インド、インドネシア、ニューギニアにかけての地域を指している。ということは日本神話は北方系と南方系の合作?

9月某日
11月の米大統領選まで50日を切った。テレビ討論会では明らかに民主党のハリス副大統領が優勢でトランプ前大統領の劣勢ははっきりしていた(と私は思う)。トランプの発言で注目されたのが、オハイオ州スプリングフィールドではハイチから来た移民が犬や猫を食べているというものだ。本日(9月18日)の朝日新聞の夕刊コラム「時事小言」で藤原帰一は「犬やネコを食べるというイメージは人種・民族の差別と迫害の典型的な表現に他ならない」とし、ハリスとトランプの違いは「強硬な移民政策をとるか否かでなく、多数派と異なる人種と民族を米国から排除するかどうかである」としている。日本でも自民党と立憲民主党がそれぞれ総裁選と代表戦の真最中である。どちらの選挙でも人種・民族的な差別が議論になったことはないようである。しかし、これはそうした差別が日本社会に存在しないことを意味しない。差別は存在するのに、それを覆い隠す力が強く存在するのではないか、と私は危惧する。民族や国籍による差別、性差による差別、LGBTQに対する差別、その他、全ての差別に私は反対です。

モリちゃんの酒中日記 9月その1

9月某日
「神話と天皇」(大山誠一 平凡社 2017年10月)を読む。主として日本書紀と古事記によりながら日本という国の成り立ちと天皇制の成立について解き明かしている。本書によると天皇制が制度的に確立したのは701年に成立した大宝律令の時代である。しかしこのとき実質的な権力を掌握したのは有力貴族の合意の場であった太政官であった。天皇のあり方について本書は「戦前においては天皇機関説があり、戦後は象徴天皇といった評価がなされているが、すでに大宝律令の段階でそれに近いものになっていたのである」と記述している。そう考えてみると長い天皇制の歴史のなかで天皇が実質的な権力を握っていた時期は意外に短いのではないか。ヤマト王権の時代は確かに天皇が権力を握っていたが、蘇我氏が実質的な権力者であった時代を経て、大化の改新で中大兄皇子(天智天皇)が中臣氏(藤原氏)と協力してクーデターにより蘇我氏を討つ。これにより天皇親政が実現するが、藤原氏より天皇の妃が提供されるようになり、実質的な権力は外戚としての藤原氏に移行する。その後、後醍醐天皇による一時的な天皇親政の時期があったが、明治維新までは実質的な権力は武家政権が握った。明治維新により天皇に政権が移ったが、大正から昭和初期までは天皇機関説のもと立憲君主制が確立する。アジア太平洋戦争中も帝国議会は開催され形の上では立憲君主制は守られたが、実質的には軍部独裁であった。で戦後の平和憲法の時代の象徴天皇制の時代となる。天皇制は「君臨すれども統治せず」が似合うのである。

9月某日
「癲狂院日乗」(車谷長吉 新書館 2024年8月)を読む。癲狂院とは精神病院のこと。車谷が神経症を病み浦和の精神病院へ通院していたことからタイトルとしたらしい。車谷が「赤目四十八瀧心中未遂」で直木賞を受賞した前後の日記である。車谷は「最後の私小説作家」といわれたが「赤目…」は8割方がフィクションである。巻末に奥さんで詩人の高橋順子さんが「日の目を見るまで」と題した「あとがき」を書いている。「私は不届きではあるが、今になってやっと、面白い覚めない夢を見た、と思えてきた」と書いているのが印象的であった。実は車谷夫妻とは2回ほど呑んだことがある。本書にも出てくるが入谷の「侘助」という店である。私の兄の奥さんが小学館に勤めており高橋順子さんと友人だった。私がかねてより彼女に車谷のファンであることを公言していたので「今度会わせてあげる」ということになったのだ。この日記の平成10年4月25日に「今朝の朝日新聞によれば、政府は「景気浮揚へ総合経済対策決定 財政出動最大の12兆円」とか。併し日本の景気はも早、永遠によくなることはないだろう。日本の近代化は未達成のまま、終った」という記述がある。平成10年といえば1998年、今から26年も前である。今でこそ「失われた30年」などと日本経済の長期低迷を嘆く声が聞かれるが、当時このような予測をする人はいなかった。車谷は慶応義塾大学独文科の出身で、経済学とは無縁の人だ。作家の直感、恐るべしである。

9月某日
某財団法人の委員会に出席。2時からの委員会だったが久しぶりの都心で財団のあるビルがわからない。迎えに来てもらってやっと到着。会議は15分ほど遅れてスタートして3時前に終了。16時に北千住で友だちと待ち合わせているので霞が関から千代田線に乗車。友だちと無事に会うことができたので西口の「氷見」という呑み屋へ。この時間の呑み屋は爺さんが多い。もちろん我々も爺さん。友だちは小中高校が一緒の山本君。年末にまた呑むことにした。

9月某日
「日本はこうしてつくられた-大和を都に選んだ古代王権の謎」(安倍龍太郎 小学館 2021年1月)を読む。日本の古代史に興味があるのでその手の本を継続して読んでいる。しかし安倍は歴史小説作家ではあるが研究者ではないので本書から有益な知識を得ることはなかった。ただ「関東と大和政権編(房総半島)」で地図に我孫子古墳群という記述があった。今度、図書館で関連資料を調べてみよう。
「日本語のゆくえ」(吉本隆明 光文社 2008年1月)を読む。吉本が母校の東京工業大学の学生を対象に講演したものをまとめたもの。本は5章構成で「芸術言語論の入口」「芸術的価値の問題」「共同幻想論のゆくえ」「神話と歌謡」「若い詩人たちの詩」に分かれている。今、私が関心がある日本古代史と関連する第4章の「神話と歌謡」について。天皇制の日本統一の象徴は水田耕作であること。神武東征で長男の五瀬命と四男の神武が大和盆地に入ったとき長男が宗教的な神事を司り、神武が地上の統治を司った。古代には「男・男」と「男・女」のふたつのパターンがあり、邪馬台国の卑弥呼は後者である。私は吉本隆明の全体像を理解したとは言い難く、一生かけても理解できないだろう。しかし敬愛すべき批評家であることは変わらない。

9月某日
「ガザからの報告-現地で何が起きているのか」(土井敏邦 岩波ブックレット 2024年7月)を読む。イスラエルによるガザ侵攻は多くのパレスチナ人の死者をもたらした。今回のガザ侵攻の直接的な原因は昨年10月のパレスチナゲリラ、ハマスによるイスラエルに対する越境攻撃であった。本書によると「ガザ地区との境界付近で開かれていた音楽フェスティバルで歌い踊っていたイスラエル人の若者たちにハマスの戦闘員が銃を乱射し約260人が射殺され」たというものだ。本書にはイスラエル軍の攻撃によって死の恐怖と飢餓に苦しめられているパレスチナの人びとの発言が記録されている。イスラエルを非難する声が多いのは当然だが、ハマスを非難する声が大きかったのは意外だった。ガザ侵攻を考えるとき、今、何が行われているかを知ることも大切だが、2000年に及ぶアラブ・パレスチナとユダヤ・イスラエルの対立の歴史も知らなければならない。

9月某日
「卍どもえ」(辻原登 中央公論社 2020年1月)を読む。瓜生甫という多摩美大出身のグラフィックデザイナーを巡る人間模様を男と女、女同士の恋愛や性交渉を通じて描く。辻原登は1945年和歌山県生まれだから今年79歳、本書が執筆された2017年当時でも72歳だから、非常に性的な想像力が豊かといわざるを得ない。谷崎潤一郎の「卍」を意識しているのはタイトルからしてそうなのだが、私は未読。早速、図書館で借りようと思う。本書のエンディングは極めて不穏な終わり方である。私としてはそれも悪くないと。