モリちゃんの酒中日記 11月その2

11月某日
柄谷行人の「遊動論-柳田国男と山人」(文春新書 2014年1月)、「帝国の構造-中心・周辺・亜周辺」(岩波現代文庫 2023年11月)、「世界史の実験」(岩波新書 2019年2月)を読む。柄谷行人は文芸評論からマルクスの思想や文化人類学をもとにした「交換」論など幅広く、また奥深い思考を続けている。私にとって柄谷の論は難しいのだが、つい読んでしまう。もっともこのところ柄谷の書籍に限らず、本は本屋では買わず図書館で借りることにしているので懐は痛まないのだが。「世界史の実験」で柄谷は自身の思想の歩みを語っている。1960年に大学に入り、学部では経済学を専攻、大学院の英文科に進む。69年に夏目漱石論で群像新人文学賞(評論部門)を受賞。73年ごろから文学以外の評論を試みるようになり、その一つが「マルクスその可能性の中心」で、もう一つは「柳田国男試論」である。現在の柄谷の思想の根底にはマルクスと柳田国男があるように思う。しかし柄谷はそれ以降、柳田についてほとんど書いていない。柳田について再考し始めたのは、2011年、東北大震災のあと、大勢の死者が出たことに震撼させられ、柳田が第二次世界大戦末期に書いた「先祖の話し」を読み返す。
「遊動論」では柳田国男に関連して、経済学者の宇沢弘文の「社会的共通資本」に着目している。宇沢は社会的共通財(コモンズ)としての農村は「林業、水産業、牧畜などを含む生産だけではなく、それらの加工、販売、研究開発を統合的に、計画的に実行する一つの社会組織である。それは数十戸ないし百戸前後からなる」と定義する。柄谷によれば「宇沢が提唱することは、柳田がかつて提唱したことと同じである」。宇沢は確か東大の数学科に学んだあと経済学に転じ、アメリカの大学で学んだあと、シカゴ学派の重鎮となった。壮年期以降、報酬が激減するにもかかわらず東大に復帰、公害反対運動や三里塚闘争に関わった。柄谷も社会運動や国際的な反戦運動に連帯を示しているから、共感するところがあるのかもしれない。「帝国の構造」はそのサブタイトルにあるように帝国の「中心・周辺・亜周辺」について論じたもの。人類は最初「流動的狩猟採集民」としてスタートするが、やがて農業を知り定住するようになる。農業は大規模な灌漑などの工事が必要なことから組織が必要とされ、やがて国家が生まれ、その国家のなかから帝国が誕生する。柄谷の交換様式の四つの形態「A互酬(贈与と返礼)」「B再分配(略取と再分配)(強制と安堵)」「C商品交換(貨幣と商品)」「D」からすると帝国はBに当たる。ちなみにDは「交換様式Aが交換様式B、Cによって解体されたのちに、それを高次元で回復するもの」とされている。

11月某日
「八日目の蝉」(角田光代 中公文庫 2011年1月)を読む。単行本は07年7月、初出は読売新聞夕刊05年11月~06年7月掲載。実はNHKテレビでドラマ化されていて、それを観ていた。不倫相手の乳児を誘拐した女は、乳児を実の子どもとして育てる。逃亡生活は浮世の庶民たちに支えられて続く。二人の絆は実の親子よりも固いと思われたが…。今回、小説を読んでテレビドラマ以上の面白さ、物語の奥行きの深さを感じた。「八日目の蝉」には蝉は土の中で何年か過ごして地上に出てきても7日しか生きられないこと、そして7日を生き残った8日目の蝉は幸福なのか不幸なのか、という問いを含んでいる。誘拐された乳児、もとの両親のもとに帰った少女は「八日目の蝉」なのだ。

11月某日
「歪んだ正義-「普通の人」がなぜ過激化するのか」(大治朋子 毎日新聞出版 2020年8月)を読む。大治は毎日新聞の記者でイスラエル特派員やイスラエルの大学にも留学経験がある。本書はイスラエルやパレスチナ問題を扱った図書ということなのだが、私は副題の「「普通の人」がなぜ過激化するのか」に興味を抱いた。50数年前の私の大学生時代は、学生運動が盛んな時代でちょうどそれが退潮に向かう時期でもあった。それまではゲバ棒と投石だった機動隊との衝突も鉄パイプと火炎瓶へと過激化し、共産同赤軍派は資金稼ぎに銀行強盗を繰り返し、毛沢東主義の京浜安保共闘は真岡の猟銃店に押し入り猟銃と実弾を奪った。のちに両派は統合して連合赤軍を名乗る。あさま山荘での銃撃戦の後、凄惨なリンチ殺人が明るみに出る。連合赤軍に加わった人は皆、悪人だったのだろうか。私には普通の人が過激化したようにしか見えないのだ。テルアビブ空港で銃を乱射したのちに自爆したアラブ赤軍の奥平剛士などは、心優しい京大生と描いている小説もある。三菱重工ビル爆破事件を引き起こした東アジア反日武装戦線のメンバーはどうか? 逮捕時に青酸カリを飲んで自殺した斎藤和は、私の高校の1年先輩だが、勉強のできる秀才であった。本書に「過激化の過程にある人は、自分や自分の内集団を認めない者(外集団)を人間とは見なさなくなっていく(非人間化)が、そうすることで実は「他者への恐れ」から解放される。また、彼らを殺害すると決意し自分の死も覚悟すると今度は自分の死を恐れる感情からも解放されるのだという」という記述があるが、日本の内ゲバ殺人にも当てはまると思う。

11月某日
吉武民樹さんの呼びかけで元厚労省の堤修三さん、田中耕太郎さんと丸ビルの筑紫楼で会食。厚生省入省は堤さんが46年、吉武さんは47年、田中さんは49年。田中さんは割と早く厚生省を辞めて故郷の山口県で県立大学の教授になった。後に次官になった阿曽沼さんと同期、堤さんも次官になった辻さんと同期、吉武さんは大泉博子さんや亡くなった小島さんと同期だ。私は早稲田大学の劣等生でもちろん厚生省に勤めたこともないのだけれど、なぜか厚生省のOBとは仲良くさせてもらっている。筑紫楼は中華料理、それもフカヒレ料理をメインとする店で、大変おいしく食べさせてもらった。値段は高かったけど、料理には大満足だったので納得である。当日の採譜(メニュー)。「ふかひれのお刺身」「ふかひれと蟹卵入りスープ」「大海老と季節野菜の炒め」「北京ダック」「ふかひれ入り土鍋そば」「アンニン豆腐」。二度と行けないと思うので記念に書いておきます。

モリちゃんの酒中日記 11月その1

11月某日
「キャベツ炒めに捧ぐ リターンズ」(井上荒野 角川春樹事務所 2025年10月)を読む。リターンズとあるのは2011年に「キャベツ炒めに捧ぐ」が刊行されているから。リターンズでは最年長の郁子が67歳、最年少の麻津子が65歳、江子が真ん中の66歳という設定。3人は共同で総菜屋「ここ家」を運営している。その日々を描いているわけだが、各章のタイトルが食べ物に因んでいる。「キャベツ炒め再び」「菜の花のペペロンチーノ」「ズッキーニのソテー」というふうに。井上荒野には「リストランテ アモーレ」など料理にからむ小説が多いように思うけれど、たぶん本人も料理好きなんであろう。フランス語やイタリア語(と思われる)料理や材料の言葉が出てくるが私にはチンプンカンプン。でも面白かった。最終章「キズの唐揚げ」から。
「制服、って言ったの! 見えない制服。あたしも、姫薇々ちゃんも、進君も、みんなずーっと、そういうの着てたんだなあって」
「なんじゃそれ」
麻津子は言ったが、
「わかるわあー」
と郁子は言った。……
「制服脱いで、路頭に迷わなければいいけどね」
麻津子は言った。

「路頭に迷うほうが制服よりマシよ!」
私はこの考えに全面的に賛成する。「路頭に迷うほうが制服よりマシ」-こういう考えは井上荒野の父親、井上光晴、光春の恋人だった瀬戸内寂聴の考えに共通するものだと思う。

11月某日
床屋さんに行く。以前、行っていた床屋さんが3500円から4000円に値上げされた。床屋に限らず物価高騰を実感する。今度の床屋さんは我孫子駅の北口の「髪風船」。大人調髪料が2200円、60歳以上は2000円。前の半額!入店して待つこと5分ほどで髭剃りと散髪。トクした気分で南口の中華料理店「海華」で上海焼きそば。我孫子市民図書館に寄って帰宅。

11月某日
「イスラエル人の世界観」(大治朋子 毎日新聞出版 2025年6月)を読む。2023年10月7日、パレスチナの軍事組織ハマスの戦闘員がイスラエル側に入り、多数のユダヤ人を殺害したうえ人質として住民を連行した。現在は停戦中で戦闘行為は中止され双方による捕虜の交換も進んでいる。パレスチナ問題に関連して何冊かの本を読んだが、本書は問題の本質を捉えている点で、最も優れた著書である。著者の大治は毎日新聞編集委員、1989年に入社、ワシントンやイスラエルの特派員を務め、テルアビブ大学院で「危機・トラウマ学」を修了。著者の立ち位置は次の文章にあらわれている。「いかなる社会も、大きな事件や事故、災害に見舞われれば、複雑な思考をめぐらす余裕を失うだろう。…危機に見舞われた時こそメディアはさまざまな角度から情報や思考を提供しなければならない。だが現実にはむしろその単純思考をあおるような役割を果たしてしまいがちになる。日本の戦時中、メディアが犯した罪の本質もここにある」。そのうえで著者はユダヤ人の歴史を振り返り、さらに現実のパレスチナ双方の庶民、兵士、指導者たちにインタビューを行う。専門的な裏付けのある優れたジャーナリズムの書である。

11月某日
「アイヌの歴史-海と宝のノマド」(瀬川拓郎 講談社選書メチエ 2007年11月)を読む。私は北海道生まれで18歳まで彼の地で暮らしていた。北海道の先住民としてのアイヌにはほとんど関心がなかった。しかし小学校の同じクラスにはアイヌの女の子が一人いたし、2学年上の兄の友人にもアイヌの男の子がいた。特に差別はしなかったと思うが、製鉄所の社員や国鉄職員の子弟が児童の多くを占めるその小学校では、アイヌの人たちは相対的に貧しかったように思う。今回「アイヌの歴史」を読んで、アイヌ民族は日本人(和人)と交流をしながらも独自の文化・文明を築いてきたことを知った。日本人が単一民族ということも「神話」に過ぎない。私が大学生のころ新左翼の一部が東日本反日武装戦線を結成し爆弾闘争を展開したことがあった。彼らの中に北海道出身者がいてアイヌ解放も叫んでいたように記憶する。本書を読んで我々がしなければならないことは、単純に解放を叫ぶことではなく先住民族としてのアイヌの歴史を学ぶことだと思った。アイヌ・エコシステムには地球温暖化の今、学ぶことが多いような気がする。

11月某日
週1回のマッサージの日。勤めが休みの長男に車でマッサージ店に送って貰う。途中でウエルシアによりジンを購入。電気15分、マッサージ15分。長男が迎えに来てくれる。私の銀行カードが我孫子警察署に届いているというので再び車で我孫子警察署へ。銀行カードを貰う。図書館で拾われたらしい。10分ほどで自宅。

モリちゃんの酒中日記 10月その3

10月某日
「宰相鈴木貫太郎の決断-「聖断」と戦後日本」(波多野澄雄 岩波現代選書 2015年7月)を読む。波多野は近代日本政治史専攻で筑波大学名誉教授。最近、この人の著作をよく読む。この本は太平洋戦争末期の昭和20年4月に首相となり、ポツダム宣言を受諾した鈴木貫太郎の言わばドキュメントだ。鈴木は戦争の現状を敗北は明らかと認識していた。この認識は近衛文麿や外相を務めた東郷茂徳とも一致していた。しかし内閣や軍部をどのように敗戦に導くかは、鈴木にとって極めて厳しい難問であった。当時、主要な艦船を失っていた海軍に比べると陸軍の本土決戦論は当時の日本の支配者層、一般国民に支持を得ていた。鈴木はときに本土決戦を主張しながら、注意深く敗戦の道を探っていく。鈴木を後押ししたのは昭和天皇の終戦への思いであった。6月22日の御前懇談会で天皇から「…戦争の終結についても速やかに具体的研究を遂げ、その実現に努力することを望む」との「御言葉」があった。さらにポツダム宣言についても「連合国側の回答の中に「自由に表明されたる国民の意志」とあるのを問題にして居るのであると思うが、それは問題にする必要はない。若し国民の気持ちが皇室から離れて了って居るのなら、たとえ連合国側から認められても皇室は安泰ということにはならない。…」(木戸陳述録)と述べている。終戦に至る昭和天皇の言動は実に興味深い。自身は明治憲法に謳われている立憲君主であろうとするのだが、戦争末期に至って終戦のイニシアチブをどの勢力もとることができず、結局は天皇の「聖断」という非立憲的な手法に頼らざるを得なかったのだ。

10月某日
市ヶ谷のルーテルセンターの「荻島良太サキソフォンリサイタル」に行く。18時30分の開場に合わせて行くと川邉さんがすでに来ていた。荻島良太さん川邉さんと厚生省入省同期の荻島國男さんの長男。荻島國男さんとの同期は川邉さん以外にも厚労省の次官を務めた大塚さんや内閣府と厚労省の次官を務めた江利川さん、宮城県知事になった浅野さんら個性的な人が多い。年金局の資金課長に江利川さんの次になったのが川邉さんだ。資金課というのは年金の積立金を管理するのが主な仕事で年金福祉事業団(当時)も監督していた。私は年金住宅融資を貸し付けていた年金住宅福祉協会や社会保険福祉協会から仕事をもらっていたから年金局資金課とも付き合いがあった。私が年友企画の前に勤めていたのが日本プレハブ新聞社で、社名通りプレハブ住宅業界の専門紙であった。今から半世紀近く前の話しである。当時は今と違って資金不足の時代で、銀行は産業金融に力を入れる一方、個人金融、住宅金融には目を向けていなかった。そうしたなか住宅金融はもっぱら、政府系金融機関の住宅金融公庫が担っていた。厚生年金の積立金を原資にした年金住宅融資も存在してのだが、事業主を通して借りる事業主転貸だったため利用者は少なかった。事業主に代わって被保険者に融資したのが年住協などの転貸民法法人だ。そこから厚生省との長い付き合い始まったわけで、荻島國男さんにも大変、お世話になった。良太さんのリサイタルにも顔を出さないわけにはいかないのである。

10月某日
「決定版 大東亜戦争(上)(下)」(波多野澄雄等 新潮新書 2023年7月)を読む。1945年8月、日本は米国を中心とする連合国に敗れた。この戦争をどう呼ぶか、論争があったようだ。これについては第13章「戦争呼称に関する問題-「先の大戦」を何と呼ぶべきか」(庄司潤一郎)が詳しい。真珠湾攻撃後の1941(昭和16)年12月12日、閣議で支那事変を含めて大東亜戦争と呼ぶことが正式に決定された。終戦後、GHQから「八紘一宇」などとともに「大東亜戦争」の呼称は禁止され、「太平洋戦争」という呼び方が定着していく。しかし太平洋戦争という地理的に限定された言い方では中国大陸や東南アジアでの戦いや、ソ連軍との戦闘を表現しきれないという問題があった。昭和6年の満州事変から同20年の終戦まで時間的にとらえた「15年戦争」、中国大陸、東南アジア、太平洋と戦争を空間的にとらえた「アジア・太平洋戦争」という呼称もある。本章の最後で庄司は「結局のところ、戦争肯定という意味合いではなく、相対的に最も適切な呼称は、原点に戻って、「大東亜戦争」に落ち着くのではないだろうか」としている。本書を読んで感じることは、開戦への意志決定が当時の首相であった東条英機の強いリーダーシップとは言えず、まして昭和天皇の意向を汲んだものとも言えない。当時、ドイツの猛攻にさらされていた英国が敗れ、ソ連は日ソ中立条約によって参戦しない、という楽観論に支えられていたと言うしかない。言葉を替えるとそうした「空気」に流されてしまったとも言える。近現代の戦争は軍事力だけでなく経済など国の総力を挙げた総力戦として戦われる。米国を中心とした連合国に日本は敵うべくもなかったわけである。

10月某日
「縄文-革命とナショナリズム」(中島岳志 太田出版 2025年6月)を読む。戦後の日本社会に縄文という時代が、どのように影響を及ぼしたかを考察している。取り上げられているのは岡本太郎や民芸運動、吉本隆明と島尾敏雄、太田竜に上山春平と梅原猛。縄文時代に日本の原点があるという発想である。そして縄文文化が色濃く残っている文化としてアイヌと琉球の文化に着目し、アイヌ文化、琉球文化ではそれぞれ太田竜、吉本隆明と島尾敏雄に言及される。太田竜って現在はほとんど顧みられることはないが、私の学生時代(今から50年以上前の話し)は過激派の理論的指導者のひとりとして新左翼系の雑誌に論文を寄稿していた。平岡正明と竹中労と3人で「世界革命浪人」を名乗っていた。プチブル化した先進国の労働者は革命の主体となりえず、釜ヶ崎や山谷の日雇い労働者、沖縄人やアイヌ、被差別部落民、在日朝鮮人などが革命の主体となるべきと訴えた。縄文時代に日本列島はもちろん存在したが、日本という国はなかった。米作りもまだ日本列島には到来せず、基本的には狩猟採取の生活だった。北海道のアイヌの人たちも狩猟採取を主とした生活であった。太田竜は確か「辺境最深部へ退却せよ」という著作などによって、彼の考える日本革命の主体となるべき人に訴えた。当時、過激な爆弾闘争を展開した反日武装戦線などにも彼の思想が影響したとされる。それはさておき、日本文化の古層に縄文があるという発想は大変興味深いものがある。

10月某日
「アイヌと縄文-もうひとつの日本の歴史」(瀬川拓郎 ちくま新書 2016年2月)を読む。中島岳志の「縄文」が面白かったので図書館で瀬川の著作を2冊借りた。私は北海道室蘭市で18歳まで育ったが、北海道の歴史についてはほとんど無知。この本を読んで少しは無知が解消されたように思う。近年、北海道でも縄文時代の巨大な土木遺跡が発掘されている。たとえば、苫小牧市の静川遺跡は区画の長さ140ⅿ、環濠の幅3ⅿ、面積は1500㎡にもなり、千歳市のキウス周堤墓群は全体を土塁で囲った共同墓地が群集しているが、土塁の直径は最大のもので75m、深さは5m以上だ。最大の周庭墓の土塁の土量は3400㎥、10tダンプで600台以上に相当する。瀬川は「おそらく数十人ほどのひとびとがこの工事にほとんど専従、つまり食糧の調達にわずらわされることなく工事に従事していた可能性が高い」とし「縄文社会は、そのような余剰の蓄積と「扶養」も可能な、高い生産力のポテンシャルをもつ社会だったのであり、その意味ではたしかに「豊かな社会」といえる」と述べる。本書では津軽海峡以南の日本列島は縄文文化から弥生文化に移行したとされるが、北海道では縄文文化が継続し、それを担ったのがアイヌとしている。「大陸からの渡来人と縄文人が混血して本土日本人が形成され、周縁の琉球と北海道には渡来人の影響が少ない人びとが残った」(人類学者の埴原和郎の二重構造モデル)という。アイヌは早くから和人と交易し、畑作もやっていた。アイヌは狩猟採取を主として行い、農耕には従事していなかったというのは私の先入観にすぎなかったようだ。

10月某日
「アイヌと縄文」に続いて同じ瀬川拓郎の「縄文の思想」(講談社現代新書 2017年11月)を読む。私は北海道出身と言っても18歳のときに上京しているから、北海道と縁が遠くなってから60年になる。本書を読んで北海道やアイヌ、縄文人のことが少し知ることができた。本書によると、縄文人は北海道から沖縄にかけて日本列島のほぼ全域に住んでいた。この縄文人と朝鮮半島から渡来人が混血し、現代の本土人の直接的な先祖である弥生人になった。北海道の縄文人は肉食主体で植物食を多く取り入れていた本州の縄文人と異なり、北海道の縄文人には虫歯が少ないそうだ。遺跡からはヒラメやメカジキの骨も出土して、彼らの食生活も想像させる。ヒラメやメカジキは沖合の水深200メートルほどの海域に生息することから、彼らの造船、操船の技術の高さがうかがえる。本書では海民、アイヌ、南島の伝説と古事記などを比較している。私の故郷にもアイヌの伝説をもとにした地名があった。小学校の近くにイタンキ浜という海浜があった。昔、アイヌがイタンキ浜の近くにあった岩を鯨と見誤り、焚火をしながら鯨が流れてくるのを待った。最後にはお椀(アイヌ語でイタンキ)さえも燃してしまったが鯨は来ずに、アイヌは餓死してしまったという説話だ。瀬川という人は考古学や歴史学の文献だけでなく、柄谷行人や網野善彦、宮本常一、渡辺京一らの本も参照にしている。大杉栄とともに虐殺された伊藤野枝のことにも触れている。考えてみると縄文の社会は共産主義、無政府主義の社会とも近いのかもしれない。

モリちゃんの酒中日記 10月その2

10月某日
「ダークネス」(桐野夏生 新潮社 2025年7月)を読む。惹句に曰く、「シリーズ最終にして怒涛の最高傑作」「見届けよ、凍る火の玉、ミロの最後の戦いを」。ネットで村野ミロを検索すると、読む順は「刊行順」がおすすめとして、①「顔に降りかかる雨」②「天使に見捨てられた夜」③「水の眠り灰の夢」④「ローズガーデン」⑤「ダーク」⑥「ダークネス」となっている。私はすべてを読んでいると思う。主人公の村野ミロという人物像が素敵でさ。桐野夏生の現物は観たことがないけれど、写真で観るとなかなか素敵なおばさんだ。おばさんといっても1950年10月生まれの74歳ですが。なお「ダークネス」の内容についてはネタバレを恐れて割愛。沖縄、大阪、東京、ソウルをまたぐ、暴力と策謀、純愛の物語だ。

10月某日
公明党が26年に及ぶ自民党との連立を解消する。直接的には自民党の「政治と金」に対する取り組みが公明党からすれば不充分ということなのだろう。直近の参議院、衆議院選挙で自公は敗北した。都議会選挙を含めれば3連敗である。公明党と支持母体の創価学会がこれ以上の自民党との連立を続けていれば公明党も創価学会も危ういと判断したのではないだろうか。創価学会はもともと反戦平和を掲げる宗教団体であった。戦前には幹部が治安維持法違反で逮捕され、なかには獄死した人もいる。そして公明党もかつては人間的社会主義を唱えていたし、自社二大政党時代は社会党、民社党と連携し社公民路線で自民党と対峙していた時代もあった。公明党・創価学会は都市の労働者を支持基盤にしている。所得の再分配、軍事より経済や福祉を優先する層だ。自民党で言えば旧宏池会(池田派)、旧創生会(田中派)と親和性が高い。旧清和会(安倍派)の系譜を引く高市総裁とは親和性が高いとは言えない。高市総裁は総理になれるのか?なれたとしても短命に終わると予測する。

10月某日
「あなたが政治について語る時」(岩波新書 平野啓一郎 2025年8月)を読む。著者の平野は1975年生まれ、京大法学部在学中に「日蝕」により芥川賞受賞と略歴にあるけれど私は平野の著作を読むのは初めて。読んで著者がリベラルな意識を持っていることが感じられた。世の中、日本だけでなく先進国共通の問題として右傾化の傾向が指摘されるなか、貴重な存在だ。一節を引用する。「アベノミクスは、金融政策、財政政策、成長戦略という「三本の矢」を謳っていたが、最も重要で、かつ複雑な成長戦略が何もなく、従って、何に向けて財政出動すべきかがわからず、ただひたすらに金融緩和を行って円安を誘導し、国内の株高を演出するだけで、必然的に失敗に終わった。私たちは、その深刻な後遺症の最中にいる」。アベノミクスを引き継ぐのが高市早苗のサナエノミクスであるという。となれば日本の現状は政治的・経済的危機の前夜にあるということか。

10月某日
「読んではいけない-日本経済への不都合な遺言」(森永卓郎 小学館 2025年4月)を読む。今年1月に亡くなった森永の週刊ポストに連載されていた時評を収録。森永氏もリベラルだった。死ぬ直前まで執筆やテレビ出演をしていた。現在の株高はいずれ暴落に転ずると予測している。公明が連立からの離脱を表明する前までは株価は史上最高額を維持していたようだ。果たして連休明けに市場はどう反応するだろうか?私は暴落まではいかないが、株価は大幅に下げる気がする。

10月某日
「中学生から知りたいパレスチナのこと」(岡真理 小川哲 藤原辰史 ミシマ社 2024年7月)を読む。イスラエルがパレスチナに侵攻している直接的な原因は、2022年11月7日にハマス主導のイスラエルへの越境攻撃とされがちだ。しかし本書を読むとアラブ人の土地を奪って建国されたイスラエルの国の在り様にそもそもの原因があるように思えてくる。1948年11月、国連総会で「パレスチナ分割案」が採択され、パレスチナでシオニストによる民族浄化が始まったことがそもそもの始まりではないか、というのが本書の基本的立場である。パレスチナに対する民族浄化とは、占領、集団虐殺、レイプ、強制追放…などなどである。その結果パレスチナ人75万人が故郷を追われ難民となった。本書の「はじめに」で次のように述べられている。「世界は、ナチス・ドイツによるユダヤ人のジェノサイドという犯罪の尻拭いを、それとはなんの関係もないパレスチナ人に代償を支払わせることで図った」のであり、「国連は、以降76年経っても解決しない紛争の種を自ら蒔き、ガザにおけるジェノサイドという事態に至っている」のだ。後半の座談会では岡が「アメリカもイスラエルと同じ入植者による植民地主義の国家です」と述べ、藤原も「日本では、1932年から満洲への武装移民が始まりました。(中略)その精神構造はまさにイスラエルと同じで、未開拓の地を、文明化された勤勉な日本人、大和民族が、指導的立場で開墾していくというものです」と指摘する。私が生まれ育った北海道でも、もともとはアイヌの土地だったものを、「文明化された勤勉な日本人」が開拓した。植民地主義は国内にもあったのだ。

10月某日
「アジア・太平洋戦争(シリーズ日本近現代史⑥)」(吉田裕 岩波新書 2007年 8月)を読む。私は日本史の中でも近現代史が好きである。古代史も戦国時代も面白いのだが、近現代史は現代の日本社会と直接のつながりがあるから興味深いのだと思う。本書を読んで感じたのはアジア・太平洋戦争において日本は「負けるべくして負けた」ということと、現在の日本社会の制度、慣習のいくつかがアジア・太平洋戦争に源流を持つということだ。「負けるべくして負けた」というのは主として太平洋を舞台として戦われた日米戦では、戦前から生産力には圧倒的な差があった。そして開戦前から日本の陸軍と海軍には戦略の違いがあり、それは終戦まであとを引いていた。陸軍は伝統的に北進論(対ソ戦)重視であり、海軍は南進論(対米英蘭戦)であった。アメリカの日本に対する即時中国撤兵などの強硬論から陸軍も南進に応ずることになる。だが日本軍が米英軍に対して優位だったのは海軍の真珠湾攻撃、陸軍のマレー半島奇襲、シンガポール攻略くらいまでで、以降、陸海軍は圧倒的な物量を誇る米軍に対して敗退を重ねていく。
第二の現在の日本社会の制度・慣習のいくつかはアジア・太平洋戦争に源流を持つ、については本書「第4章 総力戦の進行と日本社会」の「2 戦時下の社会変容」に詳しい。日中戦争以降の統制経済への移行の下で、日本経済の重化学工業化・軍需産業化が進行した。日本資本主義を支えてきた繊維部門が凋落し、航空機・軍工廠などの「躍進」が際立っている。総力戦は日本の農村も変えた。食糧増産に応えるために小作人の権利の保護が図られ、小作料の値上げが実施された。結果として寄生地主制は、大きく後退することになる。総力戦は労資関係も変えた。家族手当の支給が始まり、年功序列型賃金が拡大していった。労働者組織としての産業報国会は戦後の企業別労働組合の母体の一つとなった。深刻な労働力不足は女性の社会進出を促し、女性の地位向上に道を開いた。戦中と戦後の日本社会は必ずしも断絶していたわけではなく、連続していたと見ることができる。

10月某日
「そこにはいない男たちについて」(井上荒野 角川春樹事務所 2020年7月)を読む。2組の夫婦の関係を中心に物語は進む。まりと光一は不動産鑑定士の資格のための専門学校で出会う。資格試験に合格し二人は結婚する。まりが通う料理教室の講師が実日子。実日子は昨年、古書店を営んでいた俊生と死別し、その痛手から回復していない。まりと光一との関係は悪化する一方で離婚に至る。実日子には新しい恋の相手があらわれ、ふたりが結ばれることを暗示して小説は終わる。私はこの小説を読んで「夫婦の基本は男女の関係にある」のだなぁと思った。男女の関係は広く言えば人間関係である。ややこしいけれど面白い。面白いけれどややこしい。

モリちゃんの酒中日記 10月その1

10月某日
「日本終戦史 1944‐1945-和平工作から昭和天皇の「聖断」まで」(波多野澄夫 中公新書 2025年7月)を読む。著者の波多野は巻末の略歴によると、1947年生まれ、72年慶大法学部卒、79年同大博士課程修了。防衛研修所戦史部勤務を経て、筑波大助教授、同教授、副学長となっている。こう見ると順調に学問の世界を歩んできたように見えるが、ウイキペディアで調べると印象は少し違う。ウイキペディアによると、波多野は66年に岐阜県立岐南工業高校卒、防衛大学校入校、68年同校退学、慶大法学部政治学科入学となっている。工業高校からストレートで防大に入学しながら中退、慶大の政治学科入学というんだからかなりの「変わり種」であることは確かだ。さて本書は1941(昭和16)年12月、真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争及びそれ以前から中国大陸で戦われていた日中戦争の終結のドキュメントである。敗色が濃厚になって以降、いろいろな終戦工作が行われるが、軍部とりわけ陸軍の納得が得られない。45年5月のドイツ敗北以降、連合国側はポツダム宣言の受諾を迫る。連合国側の条件は無条件降伏である。日本の当時の支配者は天皇制の維持に拘る。結果はどうか? 象徴天皇制ということで天皇制は維持された。しかし明治憲法でいう「神聖にして侵すべからず」という絶対主義的な天皇制は葬られる。昭和天皇は戦前からかなり立憲的な君主であったが、戦争の終結においては、「聖断」という非立憲的な手法を用いたと言えよう。

10月某日
「時代を超えて語り継ぎたい戦争文学」(澤地久枝 佐高信 岩波現代文庫 2015年7月)を読む。五味川純平、鶴彬、高杉一郎、原民喜、大岡昇平らの戦争文学について澤地久枝と佐高信が語り合う。鶴彬は戦前の川柳作家で、治安維持法違反で逮捕され、拘留中に死亡する。「手と足をもいだ丸太にしてかへし」「万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た」などの句が残されている。「シゲオ、戦争だけはダメだからね」というのは亡くなった私の母の言葉である。そういうこともあって私の反戦平和の気持ちは固い。ロシアのウクライナ侵攻にも、イスラエルのガザ侵攻にも強く反対です。

10月某日
「決定版 日中戦争」(波多野澄夫 戸部良一 松元崇 庄司潤一郎 川島真 新潮新書 2018年11月)を読む。波多野は先日読んだ「日本終戦史」の著者で、日本近代史とりわけアジア太平洋地域で戦われた太平洋戦争、日中戦争の専門家である。帝京大教授の戸部、防衛研究所の庄司との3人の研究会での討議がきっかけとなり、3人に中国史の川島東大教授、財政史の松元(元内閣府次官)を加えた5人による執筆。私にとって日中戦争は、主として日米戦争として戦われた太平洋戦争に比べると、今まで関心が低かった。しかし最近のロシアによるウクライナ侵攻やイスラエルによるガザ侵攻のニュースを観るにつけ、武力による現状変更を憂慮するし、ウクライナやガザへの侵攻に日本の中国大陸侵略の姿が重なって来る。どのように侵攻が行われたか、巻末の年表から張作霖爆殺から南京陥落までをたどってみる。


1928年6月 張作霖爆殺事件。12月 蒋介石による北伐終了。
1932年9月 満州事変。12月 犬養毅内閣発足。
1932年1月 第1次上海事変勃発(停戦協定は5月)。3月 満洲国建国宣言 5月 5.15事件(犬養首相暗殺)。9月 日本が満洲国承認。10月 リットン調査団報告書公表
1933年3月 日本が国際連盟脱退。5月 停戦協定により満州事変終了。
1934年11月 共産党の根拠地・瑞金が陥落、共産党は「長征」に入る。
1935年1月 蒋介石が日中連携の必要性を訴え、広田外相も中国に対する不侵略唱える。5月 日中が大使交換。11月 汪精衛が行政院長兼外交部長を辞任。上海で海軍特別陸戦隊の水兵が射殺される。反日感情からの日本人襲撃事件が相次ぐ。
1936年2月 2.26事件(高橋是清大蔵大臣暗殺)。12月 西安事件(張学良が抗日救国を訴え蒋介石を拘禁)。
1937年6月 近衛文麿内閣発足(外相は広田)。7月 盧溝橋事件(日中戦争の始まり)。8月 上海の海軍特別陸戦隊の士官と水兵が殺害。武力衝突開始(第2次上海事変)。日本との武力衝突の進展を受け「国共合作」が進む。11月 日本軍が上海を制圧。蒋介石が重慶への首都移転を発表(翌年12月、重慶国民政府発足)。12月 南京陥落。南京事件。

10月某日
「蝙蝠か燕か」(西村賢太 文藝春秋 2023年2月)を読む。私小説作家の西村賢太がタクシーの中で意識を失い、病院に搬送後に亡くなったのが2022年2月5日。本書には表題作を含めて3作がおさめられている。表題作の「蝙蝠か燕か」の初出が「文学界」の2021年11月号だから、これは遺作と言ってもいいだろう。主人公の北町貫太、彼は西村賢太の分身でもあるのだが、が慕う戦前の私小説作家藤澤清造をめぐる物語である。貫太の尽力により藤沢清造の文庫本は刊行されるが、貫太の願う全集の刊行はままならない。放埓ともいえる西村の私生活、そして藤澤清造への熱い思いが語られる。西村がすでに亡いことを想うといささかジンとする。

10月某日
室蘭東高首都圏同窓会に出席。17時に「すし土風炉銀座1丁目店」に集合。女子4人含めて20人ほどが集まる。日本女子大に進学して現在は京都に住む中島さんや、新百合ヶ丘でブルーベリーの栽培など都市型農業を営んでいる女性(名前を失念!)、そして元スキー部の中田さんなどが出席。珍しい人では中学を卒業後、東京に引っ越した豊田君。彼は中学の頃から秀才だったが、東京工大に進学後、新日鉄に入社したそうで、引退後は唐津に住んでいるそうだ。北海道から岩淵君と歯医者をやっている柴田君が参加、北海道の銘菓を持ってきてくれた。9時過ぎまで呑んで食べてしゃべっているうちに時間が来たので散会。私は我孫子在住の坂本君と有楽町から上野へ。上野からちょうど成田線直通の快速が来たので乗車。私は我孫子で下車、坂本君は湖北まで。

モリちゃんの酒中日記 9月その2

9月某日
「僕の女を探しているんだ」(井上荒野 新潮社 2023年2月)を読む。-大ヒットドラマ「愛の不時着」に心奪われた著者による熱いオマージュの物語。-と惹句。「愛の不時着」って、確か北朝鮮に不時着した韓国の娘と北朝鮮の青年の恋愛TVドラマ。私は観ていません。こちらは日本を舞台にしたラブストーリー。恋人たちの危機を韓国出身らしき青年が助けてくれる。そうした話が9編。

9月某日
「松本清張の女たち」(酒井順子 新潮社 2025年6月)を読む。松本清張は明治42(1909)年生まれ。高等小学校を卒業したのちに就職、やがて朝日新聞の九州支社で現地雇用で働く。専業作家となったのは46歳のとき、当時としても遅い作家デビューだった。本書では松本作品に登場する女性に焦点を当てた。松本が作家として最盛期を迎えたのは日本の高度経済成長期。男が外で働き女が家庭を守るという時代だった。松本の作品に登場する女性は、もちろん専業主婦もいるのだが、酒場で働くママやホステス、客室乗務員など働く女性も多い。高級クラブでの松本の姿も描かれているが、遊びに来るというよりも取材という側面が強かったらしい。

9月某日
「1945年に生まれて 池澤夏樹 語る自伝」(聞き手・文 尾崎真理子 岩波書店 2025年7月)を読む。池澤夏樹の小説は「ワカタケル」と「また会う日まで」しか読んだことはないが、二つとも面白く読んだ。「ワカタケル」は歴史上かなりユニークな天皇だった雄略天皇、ワカタケルを主人公にしたもの。「また会う日まで」は池澤の一族というか父方の一族のファミリーヒストリーである。池澤の父親は小説家の福永武彦だが、幼い頃に両親が離婚、母親が再婚した池澤喬を父として育てられる。「池澤の父に最初に会った時、「離れて暮らしていたパパよ」と母から紹介されて、そのまま僕は受け入れたみたい」と当時のことが記されている。実は私は、池澤喬と交流があった。本書にも出てくるが池澤喬はコーポラティブハウジングの熱心な推進者で、確か当時、産経新聞社に務めるかたわらコーポラティブハウス推進協議会の事務局長をやっていた。私は「年金と住宅」という雑誌の編集をやっていたので取材であったのかもしれない。何回かあっているので、もしかしたら住文化研究協議会の縁かもしれない。当時、「息子さんが芥川賞をとった」と話題になったことを覚えている。本書を読むと語学が堪能で、外国だけでなく、日本でも転居を繰り返す、私からすると稀有なコスモポリタンとしての池澤像が浮かび上がってくる。

9月某日
「痴者の食卓」(西村賢太 新潮社 2015年7月)を読む。作者の分身である北町貫多と同棲相手の秋恵の物語。勤めを持たない貫多は秋恵のスーパーでのアルバイトに頼る日々を送る。にもかかわらず、貫多は気に喰わないことがあると秋恵に殴る蹴るの暴行を加える。西村賢太は2022年に急死して著作権は石川近代文学館が継承している。秋恵には自在のモデルがいるが彼女には継承されていない。日本文学には明治以来、私小説の伝統があるが、西村の死以降、その伝統を継ぐ人はいるのだろうか。

9月某日
「遺骨と祈り」(安田菜津紀 産業編集センター 2025年5月)を読む。安田菜津紀は1987年生まれ、上智大学卒のフォトジャーナリスト。TBSテレビ「サンデーモーニング」のコメンテーターとして出演。とてもリベラルな考え方の持ち主で、私はかねてから好感を抱いていた。本書は沖縄、福島、ガザを訪ね、考え、感じたことのレポートである。平和な日本に暮らす私たち、そう言っていいのだろうか? と本書を読んで感じた。日本製の電子部品がガザへの軍事侵略に使われていないという保証はない。イスラエルを支持するアメリカに日本外交は沈黙する。福島の原発が供給していた電力は首都圏向けだった。「沖縄への負担押し付け、福島からの搾取、そしてガザ、パレスチナで起きている民族浄化、私はどれに対しても、この社会構造の中で「踏んでる側」に立っている」(「プロローグ」より)という言葉は重い。

9月某日
表参道の中華の名店「ふーみん」で「江利川さんを囲む会」。直前に江利川さんから「欠席します」のメールが来た。「ふーみん」に着くと川邉さんや吉武さん、岩野さんら来る。前回から参加の小堀鴎一郎先生も。小堀先生は87歳の現在も車を自ら運転して訪問診療をしている。今回欠席の大谷さんから前回の剰余金1万5千円を預かってきたので、今回の会費は一人7千円に収まった。帰りは吉武さんと表参道から千代田線で帰る。

9月某日
大谷さんから借りた「世界秩序が変わるとき-新自由主義からのゲームチェンジ」(齋藤ジン 文春新書 2024年12月)を読む。新自由主義からの脱却には私も賛成だが、その先には何があるのか。本書で私は具体的に読み取ることができなかった。しかし著者は本書で自身が性的マイノリティ―であることを明かしている。だとすると性や人種、国籍などによる差別のない社会ということか。これも賛成。

9月某日
「イスラエルとパレスチナ-ユダヤ教は植民地支配を拒絶する」(ヤコブ・ラブキン 鵜飼哲訳 岩波ブックレット 2024年10月)を読む。著者はユダヤ人の歴史家。イスラエルはパレスチナのガザへの侵攻を続け、国際法に違反して武力によって領土を拡大している。イギリスの首相やフランスの大統領はパレスチナの国家としての承認に言及している。第二次世界大戦後のイスラエルの建国そのものがアラブ人の土地を奪うことによって成し遂げられた。住んでいる人の土地を奪い、そこに自国民を入植させる姿は、かつての日本が満州を占領し、満洲国をでっち上げ、日本人を入植させたことを彷彿とさせる。イスラエルを支持する国はいまやアメリカなど少数だ。共和党だけでなく民主党もイスラエル支持のようだ。在米ユダヤ人の票とユダヤ財閥の献金を期待してのことなのだろうか。50年前の日本赤軍3名による、テルアビブ空港での銃乱射事件を思い出す。無差別の殺戮には反対だが、3人の心情には思うところがある。

9月某日
「日韓条約 60年後の真実-韓国併合とは何だったのか」(和田春樹 岩波ブックレット 2025年9月)を読む。戦前の日本は台湾、南樺太、朝鮮半島を領有する植民地国家であった。このうち台湾と南樺太は日清、日露戦争の結果、合法的に日本に領有された。しかし朝鮮半島はどうか?本書でも韓国併合が合法的になされたか、そうでなかったかの議論が紹介されている。戦後の日本政府の見解は、合法的であったというものだが、果たしてそうか。日本軍の圧力の下で伊藤博文らの脅迫的な要請で、韓国併合はなされたのではなかったのか。少なくとも朝鮮人民の多くは併合に反対であった。そのことは「3,1万歳事件」など多くの朝鮮民衆の決起でも明らかである。

モリちゃんの酒中日記 9月その1

9月某日
「関東大震災 虐殺の謎を解く-なぜ発生し忘却されたのか」(渡辺延志 筑摩選書 2025年7月)を読む。1923年9月1日の正午に起きた関東大震災、今年は102年目の年を迎えた。震災時、朝鮮人が井戸に毒を入れてまわっている、等の流言飛語が飛び交い、それを根拠に多数の朝鮮人が虐殺された。本書はその虐殺の跡を丹念にたどった書である。著者は1955年福島生まれ、2018年まで朝日新聞に勤務したジャーナリストである。本書は通説に惑わされることなく真実を探ろうとする。たとえば当時の在郷軍人が、自警団による虐殺の中心とされてきたが、著者は資料を丹念にたどると、在郷軍人の「組織としては迫害を防止し、虐殺を阻止しようと懸命に働いていたように見えるのだ」とする。とはいえ流言を根拠とした虐殺があったのは事実である。「流言の根幹は『朝鮮人の集団が武装して襲ってくる』という戦争状態を思わせるものであり、だからこそ人々を脅えおののかせたのだろう」と著者は言う。ではなぜ、当時の庶民は「朝鮮人が襲ってくる」と思ったのだろうか。1910年に韓国は日本に併合されたが、1919年の3.1独立運動をはじめ、植民地支配に抵抗する韓国民衆の運動は続いていた。ここからは私の想像になるが、関東大震災における朝鮮人虐殺は、日韓併合をはじめとする日本の朝鮮半島、朝鮮人民に対する支配に対する朝鮮人民の抵抗への、日本人民大衆の反感、嫌悪があったように思う。韓国(および朝鮮人民)への日本帝国主義の支配は、欧米列強のアフリカやアジアへの植民地支配といささか趣を異にすると私は思う。アフリカやアジアへの植民地支配は、欧米文明国の遅れた地域の支配として合理化された。しかし朝鮮は古くから中国文明の受け入れの日本の窓口であった。恐らく幕末の開国までは、中国大陸と朝鮮半島こそが日本にとっての先進国であった。そういう記憶は日本人の記憶の底に沈潜している。そうした先進国を植民地支配している。「いつか反撃されるのではないか」-そんな危機感が当時の大衆には沈潜していたのではないだろうか。そしてその危機感が大震災のときに朝鮮人虐殺に結び付いたのではなかったか。

9月某日
「マザーアウトロウ」(金原ひとみ U-NEXT 2025年7月)を読む。金原は1983年生まれ、03年に「蛇にピアス」ですばる文学賞を受賞しデビュー。波那と波那の恋人、蹴人の母親、張子の物語。張子は夫を亡くした独身。張子は自立した女性として描かれる。私は張子が1970年代の生まれで、波那と蹴人が2000年代の生まれであることに軽いショックを受けた。考えてみれば当り前のことだけれど、今年77歳となる私らの世代は最早、少数派、団塊の世代などと大きな顔をしていたのは、過去の話しなのだ。

9月某日
「関東大震災 朝鮮人虐殺を読む-流言蜚語が現実を覆うとき」(劉永昇 亜紀書房 2023年9月)を読む。第1部〈不逞鮮人〉とは誰か第2部朴裕宏-ある朝鮮人留学生の死第3部ハルビン駅で会いましょう-安重根と伊藤博文の十字路の3部構成。著者は1963年生まれの在日コリアン3世で「風媒社」編集長。朝鮮人虐殺など100年前の話しと思うかもしれないが、最近の参政党の伸張などを見ると日本人の中で排外主義の風潮が高まっているような気がする。そういえばトランプのアメリカファースト、やフランス、イタリア、ドイツでの極右政党の伸びを見ると、排外主義は世界的な風潮なのかもしれない。少子化は先進国に共通の減少であり、とすれば外国人労働者に頼らざるを得ないのも先進国共通の課題だ。外国人を排斥して困るのは自国民なのだけれど。

モリちゃんの酒中日記 8月その2

8月某日
「達人、かく語りき」(沢木耕太郎セッションズ1 岩波書店 2020年3月)を読む。沢木耕太郎は1947年生まれ、横浜国大経済学部卒業後、富士銀行に入社するも1日で退社、指導教官だった長洲一二(のちに神奈川県知事)の勧めでノンフィクションライターの道に進む。本書には吉本隆明、磯崎新、西部邁、井上陽水ら10人との対話が納められている。沢木耕太郎は風貌もそうなのだが、性格が「爽やか」なんだよ。同世代の私から見てもそうだ。吉本との対談で、山口二矢を描いた「テロルの決算」を巡って「…ぼくがなにかを書こうとして対象と向かい合う時、否定的に対応することがないんですね。…ひとりの人間がここにいて、生身の存在がいたとしたら、その存在を否定することはできないように思えるんです。よいうより、凄いじゃないかというのがまずある」と語っている。ルポルタージュの対象に対してまず肯定的に捉えるということであろう。そういう取材姿勢もあって、沢木耕太郎は「愛される」のである。

8月某日
「空港時光」(温優柔 河出書房新社 2018年6月)を読む。略歴によると、著者は「1980年、台北市生まれ。三歳の時に家族と東京に移り、台湾語まじりの中国語を話す両親のもとで育つ」という。台湾という島そのものが、もともと中国の領土であったが、日清戦争の結果、日本領となり1945年の敗戦により中国に返還される。共産党軍と国民党軍の内戦の結果、国民党軍は敗れ、台湾に逃れる。長く国民党の独裁下にあったが、近年の民主化により、同性婚も認められるなど世界でもトップクラスの民主社会を築いている。戦前に日本語で教育を受けた世代は日本語を話すし、国民党軍とともに台湾に来た世代は北京語を話す。台湾にもともと土着の人は台湾語を話す。帯に「台湾系ニホン語人作家・温優柔の飛翔作」とあるが、まさにその通り!

8月某日
「御松茸騒動」(朝井まかて 徳間文庫 2017年8月)を読む。徳川御三家のひとつ、尾張藩の榊原小四郎は、御松茸同心を命ぜられる。松茸を養生し、藩命により江戸の将軍家や京の天皇家や宮家などに贈る係である。朝井まかては直木賞作家。巻末に「キノコの教え」「江戸藩邸物語」「日本の樹木」など参考文献が記載されているが、著者の学習ぶりがよくわかる。

8月某日
「日韓関係史」(木宮正史 岩波新書 2021年7月)を読む。韓国は最も近い隣国だが、どのような関係を築いてきたのか、私はよく承知してこなかった。この本を読んで少しは啓蒙された気がする。1910年の韓国併合により朝鮮半島は日本の領土とされた。日清戦争、日露戦争は朝鮮半島の支配権を巡る戦争という側面もあった。日本の敗戦により南は米軍に占領され大韓民国(韓国)となり、北はソ連軍に進駐され朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)となった。韓国では李承晩の独裁政権後、1960年の学生革命により李は政権を追われハワイに亡命する。朴正煕等の軍部独裁政権が続いたが1987年、盧泰愚が「民主化宣言」を発する。韓国は日本に似ていると思う日本人は多い(私もその一人だった)。しかしこの本を読んで、「全く違う国」という認識が大切ではないかと思う。

8月某日
上野の国立西洋美術館で開催中の「スウェーデン国立美術館 素描コレクション展 ルネサンスからバロックまで」を観に行く。イタリア、フランス、ドイツ、ネーデルランドのルネサンスからバロックまでのデッサン画が展示されている。印象派などの油絵に比較するとデッサン画は地味で小ぶり。「それがよい」という人もいるのだろう、平日なのに観客は結構混んでいた。私は障害者手帳を示して入場無料、鑑賞しに来たというより涼みに来たという感じである。早々と退散し大谷さんと待ち合わせの町屋の居酒屋「ときわ」に向かう。待ち合わせ時間の16時より30分前に着いたら入口に「16時30分から開店」の表示が。近所の「日高屋にいます」と大谷さんにメールを送りビールを呑む。大谷さんが到着。私が2杯、大谷さんが1杯、生ビールを呑んだところでそろそろ16時30分に。「ときわ」に席を移して呑む。大谷さんからドイツワインをいただく。

モリちゃんの酒中日記 8月その1

8月某日
「日本経済の死角-収奪的システムを解き明かす」(河野龍太郎 ちくま新書 2025年2月)を読む。著者の河野は1964年生まれ。87年、横浜国立大経済学部卒、住友銀行入行。以降、第一生命経済研究所などでエコノミスト。この人の本を読むのは初めてだが、きわめてまとも。この四半世紀で、日本人の時間当たり生産性は3割上昇したが、時間当たり賃金は横ばい(はじめに)というのが、この人の問題意識。国内の売上が増えないのは、3割も生産性が上がっている企業部門が実質賃金を低く抑え込み、個人消費が低迷しているためという。企業が内部留保を溜めこみ、労働者への還元が十分になされていないということだろう。ただ著者は正規従業員へは定期昇給などで還元はされており、問題は非正規労働者への還元がまったく不十分という。既存の労働組合も非正規労働者に対しては冷淡のように思う。今、日本経済に求められているのは収奪的システムではなく包摂的なシステムであろう。

8月某日
「未来地図」(小手鞠るい 原書房 2023年10月)を読む。主人公の私、赤木久児は「ひさこ」と読む、女性である。教員採用試験を目指して花屋と塾講師のバイトで自活している。花屋の客だった銀次からプロポーズされ結婚する。銀次にはつき合っている女がいることが判明、離婚する。ここまでがはなしの前半。離婚後、教員採用試験に合格した私は奈良市の中学校の国語教師となる。小さなサークルで知り合った男性から求婚されるが、男性はアメリカへの赴任が決まっている。ラスト近くに「あれがマンハッタン。あれが愛しい人の暮らす街。私はあなたに会いに行く。胸に未来を抱きしめて」という文章があるから、ハッピーエンドと考えて間違いないと思う。小手鞠るいという作家は優しい人だね。

8月某日    
「私たちが轢かなかった鹿」(井上荒野 U-NEXT  2025年8月)を読む。出版社のU-NEXTって何?ネットで調べると通信系の会社らしいけれど、私は完全に時代に遅れているね。惹句に曰く「開けたら最後、劇薬小説集」。同じく「同じ出来事を二人の当事者の視点から描く、騙し絵のように読者を惑わす短編集」とある。井上荒野、なかなかやるね。いま、もっとも面白い(と私が思う)作家の一人だ。そういえば昨日、最終回が放映されたBSNHKの「照子と瑠衣」の原作も井上荒野だ。最終回は九州へ旅立った照子と瑠衣の物語だが、主役は高校3年生の女の子。彼女は第一志望の東京の大学に進学するが、恋人は地元の長崎の大学へ。最後はそれぞれのバカヤロー! 照子と瑠衣もバカヤロー!いいと思います。

8月某日
「一橋桐子(76)の犯罪日記」(原田ひ香 徳間文庫 2022年8月)を読む。2年ほど前かな、BSNHKのテレビドラマを観て面白かった。主演の桐子を演じるのは松坂慶子。桐子の親友で晩年、一緒に住んでいた知子は由紀さおりが演じていた。両親の介護で会社を退社せざるを得なかった桐子は、独身で低年金。76歳の今もビルの掃除の仕事で細々と食べている。桐子は先行きを考えると、住まいと食事が保障されている刑務所暮らしを夢想している。そんな桐子の日常とちょっとした事件を綴る。原田ひ香の小説はテレビドラマ向きと思う。

モリちゃんの酒中日記 7月その4

7月某日
「テルアビブの犬」(小手鞠るい 文藝春秋 2015年9月)を読む。小手鞠るいは、漫画家のやなせたかしを敬愛していて、本の帯に「本作は、45年あまり師と仰いできたやなせたかし先生に『いつか必ず書きます』と約束していた作品です」とある。現在放映中のNHKの朝ドラ「あんぱん」もやなせたかしとその奥さんがモデルという。で本作「テルアビブの犬」だが、名作「フランダースの犬」を下敷きにしている。戦後直ぐの地方都市が舞台。貧しい祖父との二人暮らしを続けるツヨシが主人公。ソラと名付けた犬と暮らし始める。なぜテルアビブか。ツヨシは長じてテルアビブの空港でイスラエルの乗客に対して銃を乱射し、自身も死亡する。日本赤軍の元京大生、奥平剛士がモデルである。著者には同じく奥平剛士をモデルとした「乱れる海よ」がある。

7月某日
「この国のかたちを見つめ直す」(加藤陽子 毎日文庫 2025年1月)を読む。著者は日本近代史が専門の東京大学文学部教授。日本学術会議の委員に推薦されたにも関わらず、菅首相(当時)に拒否された。私は半藤一利や保阪正康、そして加藤陽子の著作によって日本近代史の多くを学んだ。本書で加藤先生が言いたかったのは、歴史を学ぶだけでなく、歴史を学んだうえで現代社会の出来事に対して批判的な目を持つことではないか、と思う。

7月某日
「陽だまりの昭和」(川本三郎 白水社 2025年2月)を読む。奥付によると今年2月に初刷、5月に第5刷となっている。ベストセラー作家みたいじゃないか。川本は1944年7月生まれで今年81歳、1968年に東大法学部卒、1年間の就職浪人を経て70年に朝日新聞社に就職。朝霞の自衛官刺殺事件に関連して証拠隠滅の罪に問われ、同社を懲戒解雇される。麻布中学、高校から東大法学部、朝日新聞と絵に描いたようなエリートコースを歩むが突然の転落劇。そしてそこからエッセイストとして活躍。私見だが、川本は転落劇があったからこそエッセイストとしての活躍があったのだと思う。小さい者、弱い者への共感が彼のエッセーの根底にあるように思えるのだ。本書にも何度か登場する成瀬巳喜男が監督した映画のように。

7月某日
「東学農民戦争と日本-もう一つの日清戦争」(中塚明 井上勝生 パクメンス 高文研 2024年4月新版第1刷)を読む。井上勝生の「明治日本の植民地支配-北海道から朝鮮へ」(岩波現代選書)を読んだのがきっかけ。本書でも紹介されているが、井上はもともと幕末維新史が専門の北大教授だったが、大学の施設で「東学党首魁」と墨書された頭蓋骨が見つかったことから東学党の戦いに興味を抱くようになる。私も高校生の日本史の教科書で「東学党の乱」を見かけたような気がするが、ほとんど覚えていない。しかし日清戦争のとき、戦争の当事者ではない朝鮮人民に対して、明確に国際法違反のジェノサイドを仕掛けたのが日本軍であった。日清戦争から10年後の日露戦争では、捕虜となったロシア兵に対して日本人が手厚く保護したエピソードは聞いたことがある。日本人は欧米白色人種に対して劣等感を抱く一方で、アジアやアフリカの有色の人びとに対していわれのない優越感を抱く傾向がある。私も、朝鮮や東アジア、東南アジアの歴史を学びたいと思う。

7月某日
「恋恋往時」(温又柔 集英社 2025年5月)を読む。温又柔は1980年台北生まれ、両親は台湾人。幼少期から日本で暮らす。台湾はもともと台湾で暮らす本省人、国共内戦に敗れて中国本土から台湾に渡ってきた外省人がいる。さらに戦前は日本語を話す日本人だった。国際化、グローバリズムは進む一方に思える。しかし反面でナショナリズムや愛国主義の台頭も見逃せない。参議院選挙で躍進した参政党とかね。日本人は単一民族との誤解がある。アイヌは日本語とは違う言語を使っていたし、明治の琉球処分前の沖縄は、薩摩藩と清に朝貢外交をしながらも、独自の王朝を築いていた。温又柔の小説はあからさまに台湾ナショナリズムを主張することはないが、台湾と台湾人が置かれている微妙な位置を表現しているように思う。