12月某日
「まほろ駅前多田便利軒」(三浦しをん 文春文庫 2009年1月)を読む。先日読んだ三浦の「エレジーは流れない」がつまらなかったので直木賞受賞作で映画化もされた本書を読むことにする。感想は「面白かった」。便利屋を主人公とした発想、中年×1の独身男ふたりのコンビ、コロンビア出身の売春婦…。登場人物がいずれもユニーク。乃南アサの「前持ち二人組」シリーズと似た感じを私は持った。どちらもそれぞれが優れたエンターテインメントだと思うけれど、重たい過去を抱えた二人組ということで…。「前持ち二人組」は文京区の根津が舞台だが、こちらはまほろ市という架空の街が舞台。小説中では「まほろ市は東京の南西部に、神奈川へ突きだすような形で存在する」「まほろ市の縁をなぞるように、国道16号とJR八王子線が走っている」と紹介されている。これからわかるようにまほろ市のモデルは町田市である。しかしモデルの都市が物語の構成に大きな影響を与えたとは思えない。東京近郊で高度経済成長期に人口が膨張した、中堅の都市であればよい。独身男の二人、多田と行天について物語は次のように語る。「多田と行天は、たぶん似たような空虚を抱えている。それはいつも胸のうちにあって、二度と取り返しのつかないこと、得られなかったこと、失ったことをよみがえらせては、暴力の牙を剥こうと狙っている」「わかったことは、と多田は事務所に戻りながら考えた。行天は確実にだれかを幸せにしたことがあるが、俺にはないということだ」。これはすでにハードボイルドではなかろうか。
12月某日
月に1度のペースで我孫子駅近くの中山クリニックへ行く。バスでアビスタ前から八坂神社前まで行く。高血圧の治療のためだが、治療行為は行われることはない。毎日測る血圧の測定記録を提出し、先生に見てもらう。先生「安定してますね」私「はい」先生「いつもの薬を出しておきましょう」私「はい。ありがとうございます」先生「お大事に」。こういう応答を恐らく20年以上やっている。ところでいつもは閑散としているクリニックの待合室が混んでいた。恐らくインフルエンザの予防接種のためだろう。私はすでに済ませているがコロナのワクチン接種の予約をしておいた。帰りは八坂神社前から若松までバス。ウエルシア薬局で調剤してもらう。ウエルシアから歩いて5分で自宅へ。
12月某日
「二〇三高地-旅順攻囲戦と乃木希典の決断」(長南正義 角川新書 2024年8月)を読む。ロシアの極東艦隊の拠点であった旅順港とそれを防衛していたのがロシア帝国陸軍である。ロシア軍は堅固な要塞に守られ、兵器弾薬も豊富に所有していた。日本帝国陸軍は満洲軍(総司令官 大山巌 総参謀長 児玉源太郎)の第三軍(司令官 乃木希典 参謀長
伊地知幸介)が攻撃に当たった。第三軍は8月19日、第1回の総攻撃を開始するが、戦闘総員5万765人(ロシア軍の1.5倍)中1万5860人の死傷者(死傷率約31%、ロシア軍の約10倍)を出して、失敗に終わる。突撃は主に小銃と機関銃で阻止され、「特に機関銃の存在が脅威であった」。陸軍は要塞に対する重砲の威力が不足していることを認識し、対艦用の海岸砲である大口径重砲28サンチ榴弾砲を活用することとし、大本営は8月下旬に28サンチ榴弾砲を旅順要塞攻撃に投入することにした。砲の据え付け作業は9月に終了、10月から要塞攻撃と旅順港内のロシア艦隊攻撃に使用された。10月30日、第2回の総攻撃が開始されたが、またも失敗に終わった。第2回の死傷者は3830人(第1回の約5分の2)、ロシア軍の死傷者・行方不明者は4532人(第1回の3倍)であり、「戦闘成績は第1回総攻撃に比して遥かに良かった」。
第3回の総攻撃は11月26日に開始され、12月5日に203高地を陥落させた。第3回の203高地における死傷者は7578人(ロシア軍死傷者6739人)であった。主要堡塁が陥落し1905(明治38)年1月1日、ロシア軍のステッセル中将は降伏を決意、翌2日に水師営で日露両軍の委員が「旅順港開城規約」に調印し、旅順攻囲戦は終結した。乃木将軍に対して戦略家として能力が低かったとする評もあるが、著者は否定する。著者は乃木の決断力、統率力を高く評価し、司令部の組織的能力を効果的に活用する点でも優れていたとしている。「指揮力や決断力のみならず、統率の基盤たる人格も含め、乃木の存在が旅順攻略に寄与した度合いは大きい。そして何よりも彼は、悪条件が重なる中で軍を立て直し、「負け戦(lost battle)」を逆転勝利に導いた。近代日本史上稀有な軍人なのである。それゆえ、乃木は軍司令官として名将と評されて然るべきだといえよう」(おわりに)。乃木は旅順攻囲戦で2人の息子も亡くしているしね。
12月某日
韓国が揺れている。発端はユン大統領が戒厳令を発令したことに始まる。与野党議員が国会で戒厳令の無効を議決、ユン大統領は戒厳令の撤回に追い込まれた。国会でユン大統領の罷免は回避されたが、ユン大統領の早期の辞任は避けられないのではないか。辞任どころかユン大統領の内乱罪での逮捕もあり得るという。内乱罪の最高刑は死刑。韓国では民主主義が未成熟とする論調が一部にあったが、私はむしろ日本以上に民主主義が徹底しているように思う。国会外での市民の集会(15万人ともいわれる)が国政に大きな影響を与えた。民主主義は結局のところ市民、国民の政治に対する関心の深さで決まると思うけれど…。