3月某日
「昭和下町暮らし」(森まゆみ 中公文庫 2025年12月)を読む。森まゆみは1954年東京生まれ。早稲田大学政経学部卒業後、出版社勤務経てフリーに。地域雑誌「谷根千」発行。「まえがき」によると、昭和30年代を文京区道坂町322番地、現在の千駄木3丁目、4丁目のあたりで過ごす。「東京の下町と山の手のあわい」と表現されるが、確かに近くに夜店通りや夕焼けだんだんがある一方で、昔の大名屋敷(東京大学)や大名庭園(六義園)もある。森はそこで歯科医を営む両親のもとで過ごす。本書を読んで僭越ながら森と私の価値観は似ていると感じた。その1、出雲の百姓を自称する佐藤忠吉さんの言葉を引いて「失敗のない人生は失敗でごじゃいます」。そして森は「親がレールを敷いて、学校も合格、浪人もせずによい大学へ行って有名企業に受かってつつがなく定年まで勤めたところで何が面白いのか」と喝破する。そしてその2、現在の上皇后については「美智子妃は長嶋茂雄と並んで戦後の明るさの象徴であったと思う」とし、上皇夫妻が海外の戦跡を慰霊のために訪問し続けたことを評価している。森はなかなかのインテリであり思想的にはリベラルだと思う。しかし心情は谷根千、庶民なのだ。
3月某日
監事をしている一般社団法人の理事会が東京駅八重洲口近くの会議室で開催されるので出席。13時30分開始だが13時15分頃には全員出席で会議開始、1時間ほどで終了。私は会場から日本橋方面へと歩く。福島物産館でラーメンを食べる。神田駅から山手線に乗車、上野駅から常磐線で我孫子へ。本日は夕食を食べてくると言ってあるので我孫子駅北口の居酒屋でビールと日本酒そしてジントニック、つまみを少々いただく。我孫子駅南口の「しちりん」でホッピー、バスでアビスタ前、帰宅。
3月某日
「絶望はしてません-ポスト安倍時代を読む」(斎藤美奈子 筑摩書房 2025年10月)を読む。斎藤美奈子は1956年生まれの文芸評論家。韓国文学の翻訳家である斎藤真理子は妹。書評形式の社会批評として読んだ。反差別、反安倍で一貫している斎藤美奈子の論調に私はほとんど同意する。本書はPR雑誌「ちくま」に連載された文章に大幅に加筆訂正したものと記されている。以下の6つに章分けされている。①安倍晋三後の政治②コロナ禍と災害③人権問題と差別の諸相④MeTOO時代の性と性暴力⑤エンタメの裏に社会あり⑥過去を見て今を問う。斎藤美奈子先生は怒っている。自民党の裏金に、同党と旧統一教会の関係に、入管問題に、「アイヌ民族差別」に、パワハラ知事問題と公益通報に、松本人志や中居正広事件に。そんななかで「石井妙子『女帝 小池百合子』」について「私は小池百合子の政策も思想も支持していない」としつつ「実名を出さない人たちのネガティブな証言だけを集めてモンスターのような小池百合子像を仕立て上げていく『女帝』の手法はフェアとはいえず、ノンフィクションとしての質が高いとも言えない」と評している。私は公平だなと感心した。私は「女帝」が刊行された当時、早速、購入して「面白かった」と思っただけにね。
3月某日
「私の幕末維新史」(渡辺京二 新潮社 2025年12月25日)を読む。渡辺京二は1930~2022年。私は渡辺京二について石牟礼道子とともに水俣病問題に深く関わり、患者とその家族に同伴した人というほどの知識しかない。本書の池澤夏樹による「はじめに」によると「京二さんの史観には水俣闘争の体験の影響が大きい。というより、国と民が正面からぶつかったあの闘争を通じて彼は自分の史観を培った」という。渡辺も戦後の歴史研究は「マルクス主義」的思考に則った「歴史学研究会」が主流だったとし、「その批判には意味があることは確かです」としつつそこには限界もあるとする。近代的な見方もひとつの「色眼鏡」で、「その考え方で正しい理解ができない側面は切り捨てられています」と書く。水俣病闘争は私の記憶では「怨」と大書した旗を持って、患者、家族と支援者がチッソの本社へ抗議に向かっていた。近代的な抗議行動というよりも、近代化や工業化がもたらした自然への汚染に対する民衆レベルでの抗議の姿があった。なるほどね。渡辺京二の史観は水俣闘争で培われたのね。
3月某日
「地形の思想史」(原武史 角川書店 2019年12月)を読む。原武史は1962年、東京都生まれ。慶應普通部、慶應高校に進学するも「団地育ちの自分には慶應は合わない」と早稲田大学政治経済学部に進み、ゼミは藤原保信ゼミ。日本経済新聞社に入社、東京社会部で昭和天皇の最晩年を取材。その後、東大大学院博士課程中退。放送大学教授、明治学院大学名誉教授。専攻は日本政治思想史。鉄道や皇室に関する著作が多い。朝日新聞の土曜版にも「歴史のダイヤグラム」を連載している。本書は「地形が思想を生み出したり、地形によって思想が規定されたりする場合がある」という観点から「地形と思想の浅からぬ関係について考察した紀行文風のエッセイ」(まえがき)。私には皇室とくに上皇一家が皇太子時代に夏をすごした静岡県の西気賀保養所の話や、皇室とは対称的な赤軍派の大菩薩峠福ちゃん荘での一網打尽の逮捕劇のエピソード。そういう時代もあったねと…。
3月某日
「張作霖-満洲の覇者、未完の『愛国』」(澁谷由里 岩波新書 2026年2月)を読む。日本軍の謀略により爆殺された張作霖の生涯を軸に清末から中華民国の建国から混乱期を描く。それにしても登場人物が多い、それもほとんどが中国人(当たり前だけど)!「おわりに」で著者が「本書が言わんとしていること整理しておきたい」としているので、それを私なりに抜粋してみよう。張作霖は中国東北部(満洲)の不法移民の末裔として生まれ、国家や地域社会が個人を守ってくれない環境で育った。馬賊という稼業を選び、出身地の奉天だけでなく、吉林省や黒竜江省も支配下に入れる。国共合作に踏み切った孫文は、共産党やソ連、コミンテルンへの対抗カードとして張作霖を選んだ。孫文だけでなく中国全体の情勢が常に彼を、そして彼の軍事力を必要としていた。満州を豊かにし、かつっソ連や日本から干渉・侵略されない強さをこの地域に持たせたいというのが彼の悲願であった。日本軍に爆殺された理由もこの辺にあるのだろう。「あとがき」では浅田次郎の張作霖や張学良、溥儀を主人公にした小説の監修をしたことも明らかにされている。まことに当時の中国は小説よりも奇なりだったわけだ。まぁ現代の世界も十分に小説よりも奇なりだけれど。
3月某日
私の住んでいる我孫子市は千葉県の北部に位置する。利根川を挟んで茨城県の取手市に隣接する。チバラキ県我孫子市と自嘲気味に呼ぶこともある。桜の開花も東京より1週間くらいは遅れ気味だ。来週の日曜日、大谷さんが我孫子を来訪するとのこと。吉武さんに連絡すると「車を出すよ」とのこと。我孫子駅で待ち合わせ、吉武車で桜名所に向かうつもり。
