3月某日
久しぶりに神田明神下の「章太亭」へ。ここは女性3人(70代、60代、50代(いずれも推定))でやっている小料理屋で、お客も女性たちと同じような年代が多い。ビールを頼むと「銘柄は何がいい?」と聞いてくれる。こういう店はなかなかない。キリンの一番搾りを頼む。おでんと月見を肴にぬる燗(確か沢の鶴だったと思う)を3本ほど。少しいい気持になって我孫子へ。駅前のバー「Vingt Neuf」に寄る。ジントニックを頼む。隣のお客が呑んでいたジンが美味しそうだったのでストレートでいく。確かにうまいような気がした。
3月某日
有楽町の交通会館の三省堂に寄る。今話題の村上春樹の「騎士団長殺し」が所狭しと平積みされている。私は躊躇せず2階の文庫本売り場に行く。村田喜代子の「ゆうじょこう」(新潮文庫 平成28年2月発行 単行本は25年4月)を買う。鹿児島県の硫黄島(小笠原諸島の硫黄島とは別)で生まれ育ったイチは15歳で熊本の東雲楼に売られてくる。遊女として売られて来るのだがこのイチは滅法たくましい。遊女はなじみ客に手紙を書かなければならないし、借金がいくら残っているか算術も学ばなければならない。イチと同僚たちは遊郭の学校、女紅場(じょこうば)に通わされる。そこにはお師匠さんの鐵子がいた。鐵子は下級幕臣の娘。幕府瓦解ととともに収入の途絶えた親によって吉原に売られた。年季を終えた後、遊女たちの読み書きの師匠となる。鐵子にイチは女紅場に行くたびに手紙を書く。島育ちでなおかつ好奇心いっぱいのイチには何もかもが新鮮だ。島の言葉で書かれた手紙の幼さ。遊女として女として成長していくイチ。これらを描く作者の筆力に脱帽。
3月某日
3.11の東日本大震災から6年。土曜日なので家でゴロゴロしていると、同じ我孫子の住人の吉武民樹さんから電話。駅北口のショッピングセンターで鎮魂の催しがあってその打ち上げがあるから来ないかという誘い。社長を辞めてやることもないだろうと心配してくれているのだろう、ここは厚意に甘えて行くことにする。開始の6時を少し回ったころ会場のショッピングセンターの3階に行くと打ち上げはすでに始まっていた。吉武さんは川村女子学園大学の副学長を去年まで勤め、地元でも名士。我孫子消防団の元団長で震災直後に南三陸町に入った人の話を聞くことが出来た。会の後、近くの蕎麦屋「おかめ」で吉武さんにご馳走になる。聞けばもうすぐ店を閉めるという。後継者不足なのだろうか。吉武さんと別れた後、駅南口の「愛花」へ。
3月某日
上野駅構内の本屋で「とめられなかった戦争」(加藤陽子 2017年2月 文春文庫)を買う。加藤陽子は東大大学院人文社会系大学院教授で日本近現代史専攻。日本が戦争へと突き進んでいく過程を実証的に研究している。何冊か著作を読んだことがあるが、実証的で謙虚な研究姿勢には好感が持てる。さて本書は、2011年5月、NHK教育テレビで4回にわたって放映された「さかのぼり日本史 昭和 とめられなかった戦争」の内容に添って書かれている。第1章「敗戦への道」1944年から第4章「満州事変 暴走への原点」まで歴史をさかのぼって、敗戦へ至る道が明らかにされている。加藤の視点は軍部が暴走したという単純なものではなく、それを阻止できなかっただけでなく、むしろ支えた当時の政治家、官僚、宮中そして次第に好戦的なっていくマスコミや庶民にも批判の目は向けられている。ところで本書によって私は「満州」の意味を始めて理解した。もともとは清王朝を建てたジュシェン(女真)族の国名(マンジュ国=16世紀末、清の太祖ヌルハチが建国した部族国家。マンジュとは梵語のマンジュシリ、文殊菩薩に由来する)であり、民族名だった。その後、マンジュの音に漢字の「満州」が当て字された。その範囲は清末、中華民国の行政区画でいえば東三省(遼寧省〔奉天省〕、吉林省、黒竜江省)の地域に該当する。なるほどねー。
3月某日
わが家のある我孫子市若松の近くにちょっと洒落た喫茶店がある。ランチもやっているのだが私は入ったことがない。日曜日に近郊の農家が軽トラックに野菜を載せて売りに来る。散歩のついでに寄ることがある。今日は菜の花を買う。その喫茶店の店頭で古本も売っている。「天才伝説 横山やすし」他文庫本4冊を買う。文春文庫で初版は2001年1月、単行本は1998年1月、「週刊文春」連載は1997年。やすしが死んだのは1996年1月、今から21年前だ。本書を読むと2人で演じるショービジネスとしての漫才の難しさがよくわかるような気がする。両雄は並び立たなければならないのだが、漫才はそこが難しい。ツービトは結局たけしが残り、伸介竜介では竜介が脱落した。漫才の相方同士が仲の悪いのは当たり前で例外は兄弟、夫婦、もと夫婦と本書にも出ていたが、それほど難しいということであろう。私は本書に描かれた芸人やすしの肖像を大変面白く興味深く読ませてもらったが、天才の不安、哀しさも十分に伝わった。