5月某日
HCM社で打合せ。終了後、大橋社長から「この後予定入ってますか?」と聞かれる。「何も」と答えると、「ご馳走しますから呑みに行きましょう」と誘われる。「清龍にしようか」と向かうと違う店になっていたので烏森口の縄暖簾に入る。私はホッピー、大橋社長は生ビールからウイスキーの水割り。いい気持ちになったところで烏森口の大橋社長行きつけのスナックへ。ここのママは最近まで明治生命の外務員とママを兼業していたらしい。頭の回転がよさそうだが、外務員としては押しが弱いかも。すっかり大橋社長にご馳走になってしまう。
5月某日
芝パークビルで開かれたシルバーサービス振興会の月例研究会に当社の酒井と参加。講師は一橋大学の猪飼周平教授でテーマは「地域包括ケア化はヘルスケアの生活モデル化―長期的トレンドに基づく支援観の変化「生活モデル化」による地域包括ケア」。いささか難解だったが、当日のレジメをパラパラめくっていたらおぼろげながら理解できた感じがする。「地域包括ケアの総括」では、地域包括ケアが浸透しない原因として「介護保険は様々な議論がありながらも素早く社会に浸透・根付いた」のに対して、地域包括ケアは「多くの自治体にとってはなぜ、地域包括ケアを展開しなければならないのか理由がわからず、積極的に取り組む姿勢になれない」としている。また「労働力人口の減少と財政逼迫に立ち向かう政策の必要性として「ロボット、自動運転、AI技術などによって労働生産性を上げること」「テクノロジーを最大限活用した先に人間にしかできない支援とは何かを今から考えておく必要」を上げていたが、これには共感するところが大きかった。それで肝心のなぜ生活モデルなのかについては、私の理解では「医療モデル」「社会保障モデル」では、援助が必要とされる人の複雑な全体像を把握することはできず、支援モデルが社会保障モデルから「生活モデル」へ移行しつつあるということ。講演を聞いた後、同じ芝パークビルにある企業年金連合会の足利聖治常務理事を訪問する。
5月某日
京大理事の阿曽沼さんからメールで東京出張とのこと。霞が関で仕事ということなので西新橋の「酒房 長谷川」を予約。約束の6時に行くと阿曽沼さんはすでに来ていてビールを吞んでいた。大学の理事というのも結構、大変らしい。まぁ私の今の立場からすると、「全ての人の仕事は大変!」と思ってしまう。私もビールにしてそのあとは日本酒をぬる燗で。阿曽沼さんにすっかりご馳走になる。新橋駅で阿曽沼さんと別れ、私は我孫子で「七輪」に寄る。
5月某日
健康生きがい財団の大谷常務に電話して神田明神下の「章太亭」で待ち合わせ。神田駅でばったりHCMの大橋社長に会ったので一緒に飲むことにする。ここでもビールの後、ぬる燗。大橋社長は忙しくて昼飯抜きで今日初めての食事だそうだ。大橋さんは「章太亭」は初めてだが気に入ってくれたようだ。ちょうど神田明神のお祭りで吞んでいる最中に、お神輿が近くの通りを通る。お店の人も客も神輿を見に行く。お店の女の人は神輿を担ぎだした。この辺りは「ご町内」が立派に機能していると感じた。地域包括ケアシステムの原型があると言えるのではないか。
5月某日
図書館で借りた「ぼくらの民主主義なんだぜ」(高橋源一郎 朝日選書 2015年5月)を読む。高橋源一郎の本は小説を含めて読んだことはない。高橋は1951年生まれ、横浜国大経済学部中退。読んで大変まともなことが書いてあり感心した。朝日新聞の論壇時評として2011年の4月から2015年の3月まで連載されたものがまとめられている。そうなのだ、本書は2011年の東日本大震災の直後から執筆が開始され、当然のことだが大震災や原発事故に対する論評が目立つ。それぞれの時評に高橋の思いが凝縮されている。そのなかでとくに最終章の「「知らない」から始まる」が私は好きだ。高校2年の夏休み、広島で出会ったヤクザの話から始まる。そのヤクザは慶応大学大学院でスタンダールを研究していたが親の家業を継ぐために広島に呼び戻された。広島のヤクザから話は「仁義なき戦い」と続き、そこで主人公のヤクザを演じた菅原文太へと進む。菅原は晩年、政治活動に踏み出し、「行動する知識人」とも見なされる。その菅原について「『知識人』になった後の菅原と、俳優・菅原文太との間に齟齬が感じられなかったは、彼が、演じることを通じて、自然に『知識』を、いや『知性』を身にまとっていったからなのかもしれない。そのことは、実はひどく難しいことなのだった」と述べている。