6月某日
プレスセンターでの「虎ノ門フォーラム(医療福祉政策研究フォーラム)」に参加。定刻の6時半に少し遅れたので国土交通省住宅局の伊藤明子審議官の「新しい住宅のセーフティーネット」の講演はすでに始まっていた。労働力人口が増大し経済も急成長を遂げていた時期と、現在のように労働力人口は減少し経済も低成長しか期待できない時期とでは、おのずと住宅政策の目指す方向性は違ってくる。戦後の住宅政策は住宅金融公庫の低利融資を中心とする持ち家政策と低所得者向けの公営住宅政策が主として担ってきた。しかし1世帯1住宅が実現し空き家が急増するという現実の前に住宅政策は大きな転換を余儀なくされえる。住宅金融機構は住宅支援機構に組織変更し持ち家融資からは撤退した。賃貸住宅政策も地方公共団体が直接供給し管理する公営住宅オンリーから特定優良賃貸住宅の認定による民間活用やサービス付き高齢者住宅やセーフティネット住宅の登録による民間支援へとその幅を大きく広げつつある。そこら辺を伊藤審議官は実に歯切れよく話す。大したものである。虎ノ門フォーラムが終わった後、結核予防会の竹下専務、高齢者住宅財団の落合部長、記録映画の制作会社の佐藤千久枝さん、当社の酒井と飲みに行く。
6月某日
会社を休んで上野動物園へ。ウイークデイだが動物園は家族連れで大賑わいだった。上野動物園から会社近くの千代田区立体育館のプールで水中ウォーキング。5時過ぎに「跳人」でブログの更新などで世話になっている李さんに合流。我孫子駅近くの「愛花に」よる。
6月某日
「寂しい丘で狩りをする」(辻原登 講談社 2014年3月)を読む。雨の日、タクシー乗り場には長蛇の列。タクシーへの相乗りを許した男は強姦目的だった。男は逮捕され実刑判決を受けて下獄する。男は服役後、被害者女性への復讐を誓い付け狙う。女性は女性探偵に身辺の警戒を依頼する。実は女性探偵も別れた男からの執拗なストーカー行為に悩まされている。一種の犯罪小説だが、女性被害者も女性探偵もとても魅力的に描かれているように思う。
6月某日
セルフケア・ネットワークの「グリーフケア勉強会」に参加。関西学院大学人間福祉学部の坂口幸弘先生の講演を聞く。「相手の思いを尊重する」ことがグリーフケアの基本ということではないかと思う。先生は川本三郎の「いまも、君を思う」から、豆腐屋のおかみさんに「最近、奥さん見ないけど」と聞かれ「6月に亡くなりました」と答えると「おかみさんは、頭にかぶっていた手拭いをとって深々と頭を下げてくれた。私の知らなかった家内がいる。近所の人に親しく記憶されている。そのことがうれしかった」を引用、「生物学的な死≠社会的な死」で「故人は生きている」と言う。川本三郎のエッセーは好きなので少しうれしかった。勉強会の後に先生を交えて食事会。先生を送った後、神保町のイタリアレストランで二次会。社会保険出版社の高本社長にごちそうになる。
6月某日
「無名鬼の妻」(山口弘子 作品社 2017年3月)を読む。「無名鬼」とは思想家で小説家、歌人でもあった村上一郎の個人誌のタイトルである。村上一郎は私の学生時代は独特の存在感を持った思想家だった。1970年11月25日、作家の三島由紀夫は市ヶ谷の自衛隊で隊員に決起を促すも容れられず、「盾の会」の森田必勝と自刃する。私はこのとき早稲田の3年生、確か食堂のテレビの速報でこのことを知り、そのころ付き合っていた女子大生(今の奥さん)と市ヶ谷に駆け付けた。もちろん基地内には入れなかったのだが、そのとき村上一郎が基地の歩哨と何か交渉をしているのを目撃している。村上一郎は1975年に自殺している。本書は村上を支えた妻、「えみ子」からの聞き書きである。村上は海軍大尉で戦争を迎え、日本共産党に入党レッドパージに会い職を失う。えみ子さんが会社員や内職をしながら、躁と鬱を繰り返す夫の文筆を支えたことが分かる。それにしても今の若い人には吉本隆明はともかく村上や桶谷秀昭は遠い人なんだろうな。
6月某日
「音楽運動療法研究会」に参加。今回は認定音楽療法士の丸山ひろ子さんから「音楽療法」についてのレクチャーを受ける。また関係者へのアンケート調査も実施することになっているが、その前に音楽療法を実際に行っている現場を見てみたいと提案、了承される。