6月某日
村上一郎の妻のことを描いた「無名鬼の妻」を読んで久しぶりに村上一郎を読もうかと思ったが書棚に見当たらず。確か書名は「浪漫者の魂魄」で出版社は冬樹社だったように思うのだけれど。代わりに桶谷秀昭の「草花の匂ふ国家」(文藝春秋 平成11年6月)が出てきたので読むことにする。平成11年といえば1999年、今から18年前、私が50歳のころだ。「こんな本を読んでいたんだ」と思うけれど内容は全く覚えていない。江藤淳が死んだのが1999年だからそれに触発されたのかもしれない。というのは本書の帯に「西郷隆盛を主軸に描く揺籃期の明治日本。日本人は何を守り、何を捨てたのか?」とあり、当時私は江藤淳の西郷隆盛を論じた「南洲残影」を興味深く読んだ記憶があるからだ。
明治政権は誕生時、極めて脆弱な基盤に依拠せざるを得なかった。大政奉還とその後の鳥羽伏見の戦いに始まる戊辰戦争の勝利により、軍事的な支配は確立したものの明治新政権の政治的、経済的、外交的な基盤の整備、改革が急がれた。それが版籍奉還と廃藩置県であり、岩倉使節団の欧米への派遣などの施策であった。ここら辺の政権内部の動きを三条実美、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、西郷隆盛の主として書簡を通して明らかにしていく。よく知られているように西郷が政権を離れ、鹿児島に隠棲するのは征韓論に敗れたためだが、ことはそれほど単純ではなく同じ征韓派でも西郷と板垣退助、江藤新平等にはその目的と手段の両方に大きな差があった。結論として西郷は鹿児島に帰郷し私学校に拠る反政府勢力に担がれることになる。本書ではもちろんその政治過程を明らかにしてゆくのだが、私はむしろ西郷という類い稀な人格の存在に大いに興味をそそられた。それと書簡の文体ね。明治初期の知識階級、支配者階級の書簡って漢字仮名交り文の候体、漢学の素養が教養の基礎になっているんだろうな。これも日本人が失ったもののひとつだろう。それと桶谷秀昭は旧仮名遣いを守っている。「草花の匂ふ国家」という具合。パソコンで1回では変換できないけれど、こだわりがあるのだろうな。私は嫌いじゃないです。
6月某日
土曜日だけれど「40歳からの介護保険」の打ち合わせで10時に社会保険出版社へ。奈良県の天理市で訪問介護事業などを展開している中川氏と山本さん、社会保険出版社の高本社長と戸田さん、セルフケア・ネットワークの高本代表、そして私。ビジネスモデルについて話し合ったが、息の長いビジネス展開ができればと思う。打ち合わせ後、山の上ホテルでステーキをご馳走になる。中川氏は私が先日インタビューした奈良市の医師で元プロボクサーの川島さんとフェイスブックでつながっているという。フェイスブックを私はやらないが伝播力ってすごいんだなぁ。
6月某日
京大の阿曽沼理事が東京に出て来ているということなので、新丸ビルの「神田新八」という店で待ち合わせ。新丸ビルに着く直前に結核予防会の竹下専務から「夜空いている?」。「阿曽沼さんと会うのだけれど」「じゃ俺も行く」。てことで3人で会食。阿曽沼さんは8時前に「京都に帰るから」と大枚2万円を置いて帰る。そのあと竹下専務と意地汚く「森伊蔵」などを飲み続ける。追加分は竹下専務にご馳走になる。ご馳走になりっぱなしも申し訳ないので神田の「庄屋」で飲み直し。その後、フィスメックの小出社長や社会保険出版社の高本社長、社会保険研究所の鈴木社長たちが呑んでいる場所に合流。
6月某日
佐藤雅美の「町医 北村宗哲」(角川文庫 平成20年12月)を読む。主人公の北村宗哲は芝神明前で開業する町医者。母は江戸城の奥医師の妾で母の死後、本家に引き取られ医学院に学ぶが父の死により学業を中断、手っ取り早く飯を食うために浅草の顔役、青龍松の配下となる。ひょんなことから青龍松の息子を刺殺することとなり、宗哲は旅に出ることを余儀なくされる。巻末の縄田一男の解説によると、作者はこの設定を往年のテレビドラマ、デヴィッド・ジャンセン主演の「逃亡者」からヒントを得たという。なるほど。綿密な時代考証ののもとに描かれるのは作者の他のシリーズと同様ではあるが、対象が医療なので苦労したと思われる。近代的な制度としての社会保障は江戸時代には存在しなかったが、それなりの相互扶助、所得の再分配とは言えないまでも限定的ながら社会的な扶助システムがあったことも本書からも読み取ることができる。
6月某日
「健康生きがい開発財団」の大谷常務に連絡すると、共同通信の城記者が来ているというので合流。茗荷谷の喫茶店でビールをご馳走になる。城さんは最近結婚して、旦那さんの仕事の都合で、共同通信を一時休職、アメリカに行くと言っていた。城さんと別れて大谷さんと私はアメ横へ。「余市」という居酒屋で飲む。
6月某日
元厚労次官の江利川毅さんが叙勲されたようなので、いつもの仲間と「叙勲を口実に飲む会」を企画したのだが、江利川さんは相変わらず多忙なようで「9月頃なら」という返事。ならば江利川さん抜きで「叙勲を口実に飲む会を企画する会」を企画、江利川さんと同期で江利川さんの次に年金局資金課長を務めた川辺さん、そのころ資金課の補佐だった足利さんと岩野さんと私で、鎌倉橋ビル地下1階の「跳人」で飲むことにする。