モリちゃんの酒中日記 7月その3

7月某日
年金住宅福祉協会(年住協)の理事を退任した森益男さんのご苦労さん会。HCMの大橋社長が声を掛けてくれた。西新宿の「佐賀県三瀬村ふもと赤鶏」という大橋さんが予約してくれた店に行く。「ふもと赤鶏」というのは鶏の種類らしいけれど、レバーやハツが美味しかった。森さんと初めて会ったのは今から30年以上前だったと思う。森さんは富国生命で団体信用生命保険を担当していて、年住協はじめ転貸民法法人や年金福祉事業団を担当していた。私も年友企画で年金住宅融資を担当していた関係で親しくなった。当時は資金不足の時代で住宅金融公庫や年金住宅融資の人気も高く、転貸民法法人の鼻息も荒かった。特に年住協は転貸民法法人の中でも常にトップで、当時は毎年、関連の生保や損保に声を掛けてヨーロッパツアーを催していた。森さんと私は20年以上前のツアーに参加したが、団長は当時の環境次官を退任して年住協の理事長に就任していた森幸男さん。森団長と当時、千代田生命の専務だった津山さんは奥さん同伴だった。私と森さんは若輩者だったがツアー仲間のセントラルシステム社長の大沼さんなどに可愛がられた。森さんと私、それに千代田火災の黒川さんの3人が割と一緒に行動していたことを懐かしく思い出す。津山さん、大沼さん、黒川さんは亡くなってしまった。それだけ時間が経過したということなのだ。

7月某日
江藤淳の「南洲残影」(文春文庫 2001年3月)を読む。単行本になった平成10年に私は買って読んでいるはずなのだが、内容はまったく覚えていない。「南洲残影」は「全的滅亡の曲譜」という章から始まる。勝海舟は西郷隆盛との談判によって江戸無血開城に成功したことは良く知られている。その海舟は西郷が西南戦争に敗死した後も彼を追慕してやまず、「亡友南洲氏」などいくつかの漢詩を残している。江藤はしかし「なんといっても一私人海舟の心情、あるいは真情は、切々と流露してやまないのは」、海舟作の薩摩琵琶歌「城山」であるとしている。琵琶歌というのは七五調で四弦の薩摩琵琶の調べにのせて朗誦されるという。ちなみに江藤によると「城山」は「きのふまでは陸軍大将とあふがれ、君の寵遇世の覚え、たぐひなかりし英雄も、けふはあへなく岩崎の、山下露と消え果て〃」と西郷隆盛一人の悲劇を描くだけでなく「桐野村田をはじめとし、むねとのやからもろともに、烟と消えしますら雄」のすべて、私学校党全体の滅亡が、語られ追慕されているとしている。西南戦争は明治維新という革命に対する、復古的な反革命戦争というイメージが色濃くあるように思うが、本書を読むことによって西郷軍への参加者には実に多様な経歴、思い、政治思想があったことがうかがえる。
例えば西郷軍が鹿児島へと敗走するなかで自刃した小倉処平は、明治4年に英国に留学、英語もよくし訳書もある。城山で西郷の死を見届けた後戦死した村田新八は、岩倉使節団の一員として欧米各国を視察した。また佐土原隊の隊長で藩主忠寛の妾腹の三男、島津啓次郎は、7年間米国に学び、アナポリス海軍兵学校を卒業したという。欧米の進んだ文明を知悉していたわけである。ここからは私の想像になるのだが、西南戦争には明治維新に対する反革命戦争的な性格と、明治維新の不徹底なブルジョア民主主義革命、市民革命としての性格を徹底させようとした革命戦争(戊辰戦争に次ぐ第二次革命戦争)という性格も併せ持っていたのではないだろうか。

7月某日
朝、我孫子駅から電車に乗ったら「愛花」の常連の「カヨちゃん」に会った。カヨちゃんは看護師で「愛花」で知り合った頃は筑波大学大学院の院生だったが、今は有明の確か嘉悦大学の助教だ。南千住でつくばエクスプレスに乗り換え、新御徒町で大江戸線に乗り換えて有明まで行くらしい。南千住まで人工知能や手塚治虫のおしゃべりをして楽しかった。
お茶の水の社会保険出版社で「40歳からの介護研修」の打ち合わせ。天理から(有)あいネットの中川社長、NPO法人つむぎの山本代表とアトリエ・カプリスの岩田さんにきてもらい、東京からはSCNの高本代表、社会保険出版社の高本社長、間宮君、戸田さん、それとHCMの大橋社長と私が参加した。中川社長には「へるぱ!」の特集「介護は本当に成長産業か?」の取材をお願いして快諾してもらった。打ち合わせ後、私は近くの「スタジオ・パトリ」に寄って三浦さんと「スタジオ・パトリ」に最近間借りするようになった保科さんに挨拶。

7月某日
図書館で借りた「ピンポン」(パク・ミンギョ 白水社 2017年6月)を読む。いじめっ子に殴られる姿が「釘」に似ていることから釘とあだ名される中学生と、同じいじめられっ子で「モアイ像」に似ていることからモアイとあだ名される中学生は、原っぱのど真ん中にある卓球台で卓球をするようになる。卓球を卓球店主の「セクラテン」に習う2人。セクラテンから教わる卓球の歴史は戦争の歴史だった。世界はいつもジュースポイントで勝負はまだついていない。空から巨大なピンポン玉が落下し地球は巨大な卓球界になってしまう。「ネズミ」「鳥」との勝利者に、人類をインストールしたままにしておくのか、アンインストールするのか、選択権があるという。という粗筋からもわかるように、この小説はリアリズムではなく壮大な暗喩である。地球という現実、世界という存在に対する暗喩。その暗喩を正確に読み解くことはできなかったが、ストーリーはとても面白かった。小説はそれでいいと思う。