モリちゃんの酒中日記 9月その2

9月某日
「福沢諭吉 その報国心と武士道」(西部 邁 中公文庫 2013年6月)を読む。福沢諭吉は何ものか?こうした問いに答えるのはそうやさしいものではないと思う。「学問のすすめ」や「西洋事情」を著した啓蒙家にして思想家、「時事新報」に拠るジャーナリスト、慶應義塾を創始した教育者といった多面性を有している。西部はそうした福沢をマージナル・マン(境界人)として評価する。福沢を語る西部の文章の真意を理解するのは、私には正直難しかったのだが当時のトップレベルの知識人であった福沢がたんなる西欧文明の紹介者にとどまることなく〝伝統″〝良識″に根差した公智・公徳を大切にした〝保守″の人であったということは理解できた。

9月某日
「生と死-その非凡なる平凡」(西部 邁 新潮社 2015年4月)を読む。このところ西部の本を読む機会が多い。西部の考え方すべてに賛同するというわけではないのだが、彼の身の処し方や友人、知人、家族、世間との接し方には共感するものが多い。本書は主に雑誌「発言者」に掲載されたものだが、より西部の肉声に近いものが聞こえるような気がする。立川談志との交情を綴った「正気と狂気のあいだを渡った人」も良かったが、本書の圧巻はなんといっても亡き妻のことを回想し哀惜する文章だと思う。

9月某日
この夏、我が家の玄関に体調6~7㎝のヤモリが顔を出すようになった。サンダルにへばりついている姿を毎日のように見かける。我が家の玄関をわが住処、サンダルをわが褥と認識しているのだろうか?毎日見ているとそれなりに愛着も出てくるのだが、先日「あれ、今朝は見かけななぁ」と呟いたら、家人が「死んじゃったのよ」と言う。亡骸は庭の片隅に埋めたそうだ。会社を休んだ今朝、図書館に行こうと玄関を出ると体長3㎝くらいの小さなヤモリがいるではないか。きっと死んだヤモリの子供に違いないと思う。

9月某日
中央線沿線で訪問介護や特養、デイサービスなど介護事業を幅広く展開している特定非営利活動法人やわらぎの代表理事で、同じく社会福祉法人にんじんの会の理事長の石川はるえさんとは20年を超える友人。最近は児童虐待防止活動にも熱心に関わっている。やわらぎが創立30周年、にんじんの会が創立20周年を迎え、立川グランドホテルでのパーティに招かれた。JRの立川駅の改札で30周年写真集の制作に携わったフリーのエディターの浜尾さん、ディレクターの横溝君と待ち合わせて会場へ。大谷源一さん、中村秀一さんや吉武民樹さん、竹下隆夫さんら知り合いに挨拶。パーティが終わった後、ホテルの8階のラウンジの2次会にも参加、私と吉武さんはホテルに宿泊。お世話になりました。

9月某日
図書館で借りたミネルバ日本評伝選の「西郷隆盛-人を相手にせず、天を相手にせよ」(家近良樹 ミネルバ書房 2017年8月)を読む。A5判 600ページ近い大著だが面白くて3日ほどで読了。どうも私は歴史において敗者に魅かれる。幕末明治維新期ならば新選組、彰義隊、会津藩、榎本武揚。西郷は戊辰戦争においては勝者だが、最終的には西南戦争で敗者として人生を終える。今まで断片的に西郷の人生を読んできた。江藤淳の「南洲残影」桶谷秀昭の「草花の匂う国家」、小説では司馬遼太郎の「翔ぶが如く」である。家近の西郷隆盛」は、従来の研究も参考にしつつも残されている書簡や日記を丹念に拾って西郷の実像に迫ったのが特徴と言える。西郷と島津久光との角逐は従来から歴史書で明らかにされているが、本書を読むとそれがいかに西郷にストレスを与えていたかが分かる。もう一つ本書で知ったのは大政奉還から王政復古の大号令、倒幕へと向かう政治過程の中で、薩摩の島津久光、土佐の山内容堂、越前の松平春嶽、伊予の伊達宗城らが直接会ったり、書簡を交わすなどして積極的に国政にかかわっていたことである。西郷が下野する直接的なきっかけとなった征韓論の敗北については、どうも西郷の「死にたがり」の性格にも起因しているような気がする。

9月某日
浅田次郎の「五郎治殿御始末」(新潮文庫 平成21年5月 平成15年に中央公論新社より刊行)を読む。これは明治維新の敗者の物語である。「椿寺まで」は彰義隊の敗残兵となった旧幕臣三浦小兵衛が身分を偽って商人として成功する。小僧を伴って尼寺の庵主を訪ねた小兵衛を待つ間、寺男が小僧に明かす真実は。ひねりがあって、人情があって、浅田次郎の幕末ものは面白い。面白いしこの短編を描くにあたってどれほどの資料をあたったことか、浅田次郎恐るべし。