モリちゃんの酒中日記 1月その1

1月某日
正月3が日というか年末から「家呑み」を続ける。奥さんが買っておいてくれたビール、日本酒、焼酎を順番に呑む。といっても夕食のとき限定だけど。我が家で食事どきに酒を呑む習慣を有するのは私だけ。家族は10分か15分かで食事を終えるのだが、私だけぐだぐだと小一時間食事をとりながら酒を呑む。私の考えでは酒を呑めるというのは肉体的にも精神的にも健康な証拠。私が30代~40代でうつ病になったときは少しも酒を呑みたいと思わなかったし、呑んでも楽しくなかった。胃潰瘍と脳出血で入院したときも、もちろん院内飲酒は禁止だったし、このときも呑みたいと思わなかった。ただ退院してしばらくして飲んだ酒はうまかった。そういえば学生時代、留置所と拘置所で3か月ほど禁酒を余儀なくされたがこのときも全く禁断症状は出なかった。ミシェル・フーコーが病院と監獄の類似性について触れていると思うが、病院は個室と言えども病院の完全な管理下にあり、酒はご法度。その点ではいかに快適とは言え、病室と監獄は本質的に変わりはないのだ。

1月某日
「抱擁 この世でいちばん冴えたやりかた」(辻原登 小学館文庫 2018年8月)を読む。惹句に「現代最高の物語作家の傑作2冊を合本にして初文庫化!」とあるように「抱擁」は2009年に、「この世でいちばん冴えたやりかた」は2002年に「約束よ」というタイトルで、同じく新潮社で単行本として出版されている。「抱擁」は単行本化されたときに図書館で借りてすでに読んでいるが、例によって内容をほとんど覚えていないので再読する。舞台は東京駒場の前田侯爵邸、2.26事件の翌年だから1937年か。「わたし」は前田侯爵邸の小間使として侯爵の末娘、5歳の緑子に仕えることになる。「わたし」の前任者は「ゆきの」といったが、新婚の夫が青年将校として2.26事件に参加、夫の刑死の報を聞いて京王帝都電鉄の電車に飛び込み自殺する。緑子の周囲で不思議なことが起きる。緑子の英語の家庭教師、バーネット夫人は「キツネ憑き」を疑う。「わたし」はキツネ憑きを払うために緑子に刃を向け渋谷署に連行される。「わたし」の検事への供述として物語は始まるのだが、検事は「わたし」が緑子に危害を加える気持ちが無かったことを認め「起訴はしないから、今後、子供に会わないほうがいい」と「わたし」を諭す。釈放され実家に戻った「わたし」はおいとまの挨拶に屋敷へ出掛け、緑子に再会する。緑子は「わたし」の首を強く抱きしめ「さよなら、ゆきの」とささやく。解説の冒頭で宮下奈都という小説家が「辻原登さんの小説を読んで、すべてが腑に落ちたということは一度もない」と書いているが、「抱擁」もその通りの作品である。だが私にはとても魅力的だ。
「この世でいちばん冴えたやりかた」には7編の短編が収められており、三つが中国、四つが日本を舞台にしている。中国もののうち、「青黄(チンホアン)の飛翔」は浮浪児出身の中国青年が旅客機の車輪にぶら下がって米国行きを目指し、結果的に日本の入管に保護、拘留される話。「河間女」は北宋の首都東京(トウケイ)第八代皇帝徽宗治下、公開処刑された私が、その後2度転生し現在は日本の東京・高輪の魚籃坂で写真館を営んでいる。写真館の主が公開処刑されるに至った顛末を語る。中国ものの最後が表題にもなった「この世でいちばん冴えたやりかた」。第2次天安門事件に参加した後、北京、上海、香港、ニューヨーク、東京などでコンピュータ関連やファイナンスのエキスパートとして成功している青年たちが「黄河水源調査行」を実現させる。調査行の過程で私たちは村人が穴居している洞窟の村にたどり着く。村の祭礼へ出席した私は生贄として供物ともども断崖から突き落とされるが、断崖の途中で同じような洞窟の村に助けられる。驚いたことにここの村人は天安門事件のリーダーたちで、一人の女性は天安門事件で生き別れとなったかつての恋人だった。中国ものの特徴は「時空を超えるファンタジー」だ。
日本を舞台にした4作のうち「約束よ」は妻(まさる)と夫(雅美)という似た名前を持つ夫婦とまさるのセラピストを巡る物語。「かみにさわった男」は女子美出のソ子(正式には麤子、当用漢字にも人名漢字にもあるとは思えない!)はある日、見知らぬ男から自宅近くの船堀駅に誘い出され、船堀から都営地下鉄線に乗り小川町でおりて歩いて湯島のラブ・ホテルへ。トミーと名乗るその男は「おれたち、明日、結婚するんだから」とソ子を連れまわす。象潟のホテルでトミーは逮捕され、ソ子は警察の「いったいこの男はだれなんですか?」という問いに「私の夫です」と答える。「いまのところ彼女には、これ以上、最良の答えはみつからなかった。」というのが結びである。「かみにさわったおとこ」にも盲目の噺家の遊動亭円木が狂言回し役で軽く登場するが「窓ガラスの文字」「かな女への牡丹」では円木は準主役級の扱い。両作とも主人公は白河出身のかな。かなは九九も満足にできず漢字もろくに書けないが、物覚えは悪くないし着物を着せれば「映える子」と、かなが勤める塩原の旅館の女将は思う。かなは旅館の板前の修二と婚約する。修二は流れの氷屋佐伯に博打で300万円の借金を負う。佐伯は白河でかなと援助交際をしていたという噂を振りまく。佐伯はかつて殺人を犯していて警官に逮捕される。連行される佐伯を見かけたかなに佐伯は土下座して謝ると、かなはひざまずいて佐伯の両手をつかみ泣きながら「いいんです、いいんです」と佐伯への愛を語る。逆上した修二はかなを刺し、修二は逮捕されてかなは入院するが修二のことも佐伯のこともほとんど記憶にない。「かな女への牡丹」は傷が癒えたかなは深川は牡丹2丁目の料亭にいる。料亭の客の一人が刺青師の彫朝。彫朝はかなの肌を一目見て刺青を彫りたいと強く思い、かなに睡眠薬を飲ませ願いを成就する。かなは死のうと思うが大工の一八と祝言をあげることになる。披露宴に招かれた遊動亭円木が酔って自宅に帰る。「そのとき、かなの声がした。『円木さん、見て』 ふり向くと、かなの背一面に大輪の牡丹の花が咲いている。風に吹かれていた。円木も揺れた」。これがエンド。
辻原登は現代日本の作家で最も物語性の高い一人だと思う。かつての谷崎潤一郎かと思ったがむしろ石川淳か。石川淳は私の学生時代、文学青年の間では結構人気があった。1899年生まれだからその頃70歳になったばかり。日本文学の主流だった自然主義や私小説の伝統と対立するロマネスクの作家だと思う。の苫小牧市で古書店を営んでいた私の徳蔵叔父さんも、実は石川淳のファンで何冊か初版本を持っていた。「紫苑物語」だったか初版を一冊もらった覚えがある。私が辻原を最初に読んだのは大逆事件に題材をとった「許されざる者」(2010年)だから割と最近。読んでいない著作も多いので楽しみである。

1月某日
本棚にあった「失恋」(鷺沢萠 新潮文庫 平成16年)が目に付いた。例によって読んだ記憶はあるが、内容は覚えていない。鷺沢萠は1968年生まれで1987年「川べりの道」で文学界新人賞を受賞、女子大生作家としてデビュー(Wikipedia)。2004年4月自殺。都会的で繊細な作風が好きで彼女の小説は何冊も読んだ。自殺したから言うのかもしれないが彼女の作品にはある「切実さ」が込められていたように思う。待てよ2004年に自殺したということは、この文庫本が出版された年ではないか。解説を作家の小池真理子が書いているが、その日付は平成16(2004)年1月である。もっとも単行本が出版されたのは平成12年9月、当然だが作者の自殺を予感させるものは何もない。学生の頃から仲は良かったが恋人ではなかった男女二人。女は学生時代の仲間の一人と結婚するが夫は借金を重ね、覚せい剤にも手を出し離婚を余儀なくされる。男は映画評論家となり映画祭の取材帰りに女の赴任先のベルリンへ。女の部屋で二人は結ばれる。女の帰国後、元夫の自殺による通夜にかつての仲間が集まり、男と女は再会する。自然な形でふたりはセックスするが男は女がベルリンでの一夜を全く覚えていないことに驚愕する-短編集冒頭の「欲望」の粗筋である。男、悠介の想いは「人間は無力だ。思ってもみなかったほど、無力だ。それを悠介は、今日はじめて痛いほど思い知らされた」と表現されるが、「けれど、そんな無力なものにもできることは必ず、ある……」と続く。「絶望、そしてそれからの回復」が本作のテーマではないだろうか。そして現実の鷺沢は絶望からついに回復することがなかった。作家的な力量からすれば鷺沢は辻原登の足元にも及ばないかもしれない。しかし作品の「切実さ」において鷺沢は記憶されることになると思う。