モリちゃんの酒中日記 1月その2

1月某日
「「租にして野だが卑ではない」石田禮助の生涯」(城山三郎 文春文庫 1992年6月)を読む。我孫子市民図書館で借りた本の奥付では2016年6月第37刷とあるから随分と読まれた本である。しかし現在、石田禮助の名を知る若い人は少ないだろう。裏表紙の惹句に曰く「三井物産に35年間在職し、華々しい業績をあげた後、78歳で財界人から初めて国鉄総裁になった“ヤング・ソルジャー„石田禮助-明治人の一徹さと30年に及ぶ海外生活で培われた合理主義から”卑ではない、ほんものの人間の堂々たる人生を著者は克明な取材と温かな視線で描いた。ベストセラー作品の文庫化」。読んで「なるほどね」と思った。昔の政治家でも経済人でもひとかどの人と呼ばれるような人には風格があった。それが「卑ではない」ということ。今、衆議院選挙の真最中であるが、候補者の中に「卑ではない」と言える人がどれほどいるのだろうか。

1月某日
「神さまショッピング」(角田光代 新潮社 2025年9月)を読む。神さまショッピングというのは「診断に満足がいかず、医者を次々とかえることをドクターショッピングというのだと聞いた」とき、自分のやっていることは「神さまショッピング」と主人公が思ったことから来ている。表題作を含めて9編の短編がおさめられている。困ったときの神頼みというが、神仏にすがる気持ちは多くの人が持つことだろう。それも特定の宗教を信仰するというのではなく、軽い気持ちで神頼みをするのだ。そうしたときに、意外に人間の本質があらわれてくる。そこらの心の有り様を角田は巧みに描いて行く。

1月某日
本日(1月25日)の朝日歌壇、永田和宏選から「逆回転始めた地球 気がつけば帝国主義の時代の真中」(村田知子)「最果てのグリーンランドを三度撫でやおら地球儀机にもどす」(河合正秀)「危ないと感じてるなら黙らずに声をあげねば戦前になる」(坂入やすのり)「おだやかに笑みつつ事は進捗し防衛予算も確保されたり」(藤原明)。それぞれの永田による【評】も。「世界は帝国主義の時代に逆戻りという感が強いが(村田)、特にトランプによる傍若無人の発言にはあきれる他はない(河合)。こんな事態に声をあげなければ戦前になるとも思うし(坂入)、既に防衛予算の拡大にも現れている(藤原)。

1月某日
上野動物園のパンダが中国へ返還されるということでテレビや新聞で盛んに取り上げられている。パンダは熊科に分類されているようだが、同じ熊科でも日本のツキノワグマやヒグマは駆除の対象である。朝日歌壇の高野公彦選に「耳のタグああいたわしや山奥に逃がした子熊里で射殺され」(添田敏夫)。「ああいたわしや」に同感。

1月某日
「清張が聞く-1968年の松本清張対談」(松本清張 文藝春秋 2025年12月)を読む。68年に行われた松本清張と著名人の対談を再版したもの。68年と言えば現在の2026年からすると58年前である。私は20歳、早稲田大学の2年生で当時、学内を制圧していた革マル派と厳しく対立していたころである。対談は月刊誌の文藝春秋に掲載されたが、当時の私の感覚からすると、月刊文春などはブルジョア雑誌であり読むに値しないものであった。しかし今、読んでみると58年前と現在と同じような問題が続いていることもあって驚かされる。例えば創価学会の会長だった。池田大作との対談で池田は次のように述べている。「時代は中道を欲していることは否定できない」「右とか左とかいうのではなくて、日本の最大多数の人がどうすればほんとうに幸せになるか」。私たちには自公連立時代の公明党の記憶が根強いけれど、公明党・創価学会はもともと反自民、非共産の平和主義の政党であった。公明党が連立から離脱したのはある意味で当然であったのだ。