モリちゃんの酒中日記 1月その2

1月某日
図書館で借りた「韓国併合 110年後の真実-条約による併合という欺瞞」(和田春樹 岩波ブックレット 2019年12月)を読む。この本の意図するところは1910年8月に締結された韓国併合条約は、そもそも韓国および韓国民の合意に基づいていないと主張することにある。私の常識からしてもそうなのだが、どうも安倍政権の常識はそうでもないようだ。そもそも歴史的に見て日本は朝鮮半島を経由して、中国大陸発祥の中華文明を摂取してきた。豊臣秀吉による二度の朝鮮侵略の戦があったが、江戸時代を通じてほぼ友好的な関係が維持されてきた。明治維新、西南戦争、日清・日露戦争を経て日本は帝国主義国家としての姿を鮮明にしていく。日清戦争で台湾、日露戦争で樺太南部を領有した日本が、次に着目したのが朝鮮半島であった。しかし当時、朝鮮半島は大韓帝国の統治下にあり、日本政府は寺内正毅を統監として派遣、強引ともいえる手法で韓国併合を強行した。これはやはり帝国主義的な考えと行動だと思う。昨年来、日韓の緊張感は高まっているが、日本にとって必要なのは韓国併合以降の歴史認識だと思う。

1月某日
机を置かせてもらっているHCM社が昨年暮れに西新橋から東上野に移転、最寄りの駅は御徒町だが私は上野から徒歩で10分ほどかけて通勤している。韓国系の焼肉屋や食材店が多く町全体がアジアンテイストにあふれている感じだ。夕方、大谷源一さんがHCM社を訪ねてくれ福井土産のフグのひれを頂く。上野駅入谷口近くの「大衆酒場かぶらや屋」に行く。ここはもつ焼きと静岡おでんが売りの店のようだ。レバ、タン、ハツなどを頼み、最後に牛肉コロッケを頂く。値段もリーズナブル、味も上々。東上野はレベルが高い!

1月某日
御徒町の「吉池食堂」で高本真佐子さん、堤修三さん、岩野正史さんと会食。高本さんが進めている「アドバンスケアプランニング(ACP)と重度重複障害者の調査研究」について2人から貴重なアドバイスを頂く。お店の人の配慮で窓際の席に座ることができた。お勘定を頼むととレシートに合計金額と1人当たりの金額が記載されて出てくる。「吉池食堂」は会社帰りの男女やOB会などの年配の客が多い。割勘が多いということなのだろうが、レジの機能アップに感心。帰りは高本さんは仲御徒町から日比谷線で、堤さんと岩野さんは山手線で品川方面、私は山手線で上野へ。

1月某日
上智大学人間関係学部の特任教授をやっている吉武民樹さんに誘われて、滋賀県の信楽の知的障害者の暮らしを描いた記録映画「しがらきから吹いてくる風」を観に行く。13時に上智大学の吉武さんの研究室を訪問すると少し遅れて大谷源一さんが来る。映画をプロデュースした山上徹二郎さんを紹介される。吉武さんの授業で映画を上映、山上さんが学生たちに話をするという趣向のようだ。教室に移動して私と大谷さんは一番後ろに座らせてもらう。映画は1990年の制作だから30年前の作品だが、当時の信楽で今で言う「地域共生」が実践されていたことに驚く。映画は信楽青年寮で暮らす知的障害者たちが地域社会に受け入れられながら作陶の現場で働く姿を描く。映画を見終わった後、学生たちに感想文を書かせる。山上さんが何人かの学生に質問する。教育実習で特別支援学級に行った経験を話す学生など総じて真面目な反応だった。山上さんに「一番後ろの年配の方は」と指名されたので「私も軽い身体障害があるが、身体障害に比べると知的障害者を町中で見かけることは少ない。30年前の信楽で地域共生が行われていることに驚いた」というようなことをしどろもどろしゃべる。終って赤坂見附に移動して「赤坂有薫」で山上さん、吉武さん、大谷さんと食事。吉武さんにすっかりご馳走になる。

1月某日
図書館で借りた「六つの星星-川上未映子対話集」(文藝春秋 2010年3月)を読む。対談というと林真理子や阿川佐和子が週刊誌でやっている芸能人やスポーツ選手などとの軽い対談を私は思い浮かべる。私はこうした軽い対談も嫌いではないのだが、川上未映子の「対話集」は精神分析、生物学、文学、哲学の専門家と川上未映子との真剣勝負の対談が掲載されている。川上未映子は作家であり大学の通信教育で哲学を学んだというから文学者、哲学者の対談ならまだ分かるが、精神分析、生物学でも専門家と堂々の対談を行っている。川上未映子の読書量と理解力は半端ではない。私は一番最後に掲載されている哲学者の永井均との「哲学対話Ⅱ『ヘヴン』をめぐってから読み始めた。もちろん年末に読んだ「ヘヴン」に衝撃を受けたからである。「ヘヴン」の登場人物の「僕」、「コジマ」、「百瀬」それぞれの存在や関係性に哲学的、思想的な考察が加えられている。「あーなるほど、そういう読み方もあるのか」と思って、部分的に「ヘヴン」を読み返したりしたのだが、どうも読んだときのつらい記憶が蘇ってきてしまった。私は生物学者の福岡伸一との「生物と文学のあいだ」が面白かった。生物の起源とか細胞とかについてほとんど考えたことがなかったので。

1月某日
図書館で借りた「北海タイムス物語」(増田俊也 新潮文庫 令和元年11月)を読む。増田のノンフィクション「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか」が面白かったので図書館にリクエストしていた。横須賀に住む早大生だった主人公の野々村巡洋はマスコミ志望、10数社受けたがすべて落ち、唯一拾ってくれたのが北海道札幌市に本社のある「北海タイムス」。北海タイムスは実在の新聞社で北海道新聞と並ぶ地方紙だったが、北海道に進出した全国紙とそれを迎え撃つ北海道新聞に挟撃され倒産した。この物語はタイムスが倒産する数年前、1990年春に野々村が来札、北海タイムスへタクシーで向かう場面から始まる。最初は青年の単なる成長物語のように読めて正直あまり面白いとも思わなかった。しかし野々村が希望の社会部ではなく整理部に配属されたころから、私にはがぜん面白くなってくる。私は学校を卒業後、印刷会社で2年ほど写植のオペレーターをし、その後、住宅関連の業界新聞社2社に10年ほど勤めた経験がある。1972年から1984年ころまでである。印刷会社は主に労働組合の機関紙や業界新聞を印刷していた。業界紙は自前の印刷工場を持っているわけではなく、主に新聞専門の印刷工場で印刷していた。野々村は整理部で権藤という優秀な整理マンに鍛えられるのだが、最初に勤めた業界紙には同じような雰囲気の人がいた。その人は権藤よりも優しかったけれど。その業界紙には詩人で後に早稲田の文学部の教授になる吉田文憲さんもいた。小説で描かれた地方紙の雰囲気はどこか業界紙を髣髴させるものがあった。北海タイムスの印刷は1990年当時、鉛の活字を使うホットタイプから電算写植のオフセット輪転(コールドタイプ)に転換していたが、私は最後の活字世代である。作者は北大中退後、北海タイムスの記者になっているから主人公の野々村は作者の分身ではなく、北大中退で柔道部出身の松田が分身ということなのだろう。