モリちゃんの酒中日記 1月その4

1月某日
図書館で借りた「あたしたち、海へ」(井上荒野 新潮社 2019年11月)を読む。井上荒野は新刊が出るとだいたい図書館に予約する。新聞や週刊誌の書評欄でおおまかな内容を把握しているケースもあるが、井上荒野の場合は内容よりも人。今まで読んでつまらなかったことがないからね。井上荒野のお父さんは井上光晴という小説家で私も30代から40代にかけてよく読んだ。作風は全然違うけれど、父は日本共産党を除名された左翼系の「硬派」の作家。対して娘は都会的で恋愛ものを得意とする。本作は女子中学生が主人公なので「珍しく学園ものか」と思いながら読み進むと、学園ものは学園ものなんだが、今回は虐めがテーマ。虐めと言ってしまうとすでに現代的な風俗や風景のなかに溶け込んでしまっていると私などは思ってしまうので、これは現代における「支配と被支配」の関係性を描いたと言ったほうがよい。3人の仲良しの女子中学生がいて、最初そのうちの一人が虐めの対象とされ転校を余儀なくされる。残った二人は転校した友達のところへ自転車で会いに行ったりするのだが、虐めの矛先はさらに残った二人へも向かう。転校した娘の母親は高齢者向けマンションの炊事係に転職するが、そこでも入居者による虐めを目撃する。虐められた上品な老女は姿を消すが、翌日、髪をピンク色にして現れる。「支配と被支配」の関係性を打破すべく「逆襲」が開始されたのである。女子中学生たちももちろん「逆襲」するのだが、それは「連帯」によって支えられる。ラスト、転校した娘を訪ねた二人と母親の四人が庭でバーベキューをするシーンが描かれる。連帯確認のバーベキューパーティである。

1月某日
昨年の暮れに出版された中村秀一さんの「平成の社会保障-ある厚生官僚の証言」(社会保険出版社)の企画を少し手伝った。中村さんが携わった編集者、デザイナー、出版社にお礼がしたいと有名レストランに招かれた。食事は6時から有楽町の「アピシウス」でということなので、私は社会保険出版社に寄って高本哲史社長とタクシーで会場に向かう。会場にはすでに中村さん、フリーの編集者の阿部さん、デザイナーの工藤さんが来ていたので早速、シャンパンで乾杯。「アピシウス」は30年ほど前に年住協の中村一成理事長と小形カメラマンの3人で来たことがある。当時、中村理事長が雑誌「年金と住宅」に「古地図を歩く」というエッセーを連載していた。奉行所跡や吉良上野介の屋敷跡などを訪ね、古地図での記載と現在の佇まいを写真とエッセーで紹介するという企画だった。連載は2年以上続いたと思うが、取材の後の食事が楽しみな連載だった。そんなことを思い出しながら食事とワイン、おしゃべりを楽しむ。「本日のメニュー」を紹介すると、前菜が「雲丹とキャビア カリフラワーのムース コンソメゼリー寄せ」、魚料理が「豊洲市場から届いたお魚料理 シェフのスタイルで」、肉料理が「シストロン産仔羊のロティとクレビネット包み焼」と「シャラン鴨のロティ サルミ風ソース」のチョイス。それに季節のデザートとコーヒーだ。料理やワインを説明するボーイさんが、部屋に掛けられている絵画についても丁寧に話してくれる。「アピシウス」ともなると料理だけでなく、部屋のインテリア、調度品、ボーイさんまで一流ということであろうか。

1月某日
「漂砂のうたう」(木内昇 集英社文庫 2013年11月)を読む。漂砂は「ひょうさ」と読んで海の底などでうごめく砂のことを言うらしい。舞台は明治10年の根津遊郭。幕臣から根津遊郭の客引きとなった定九郎が主人公。人気の花魁、小野菊や廓を守る龍蔵、噺家のポン太が根津遊郭で漂砂のようにうごめいているさまを描く。何とも救いのない小説だが、直木賞受賞作であり、木内昇の作家としての力量を示す作品。私は嫌いではない。ちなみに木内昇は「きうちのぼり」と読む、1967年生まれの女性である。

1月某日
本郷さん、角田さん、水田さんと町屋の「ときわ」で呑む。私も含めた4人の関係とは次のようなものだ。角田さんは群馬県の前橋高校出身。高校で私の早稲田大学政経学部の1年先輩の鈴木基司さんと一緒だった。角田さんは大学卒業後、石油連盟に就職しそこで同僚だったのが本郷さん。本郷さんは後に石油商社に転職した。最近本郷さんと知り合ったのが水田さんだ。水田さんが一番若く60歳代前半、あと3人は70歳代。この4人の共通点は学生運動崩れ。本郷さんは中大、角田さんは都立大、水田さんは北大、私は早稲田でそれぞれ学生運動を経験している。私たちが大学を卒業したころは高度経済成長期だったから、選びさえしなければ極端な話し、就職先には困らなかった。だけど「権力に歯向かった」活動家崩れとしては、一流企業に就職するのは何となくためらわれた。で、私は友人の親戚が経営する小さな印刷会社に写植のオペレータとして入社し、その後、業界紙の記者に転じた。本郷さんや角田さんが入社した石油連盟のような業界団体も業界紙と同様、学生運動経験者の受け皿となっていたのである。水田さんも大卒後、一部上場企業に就職したもののほどなく塾の講師に転職した。まぁいずれにしても半世紀前の話である。

1月某日
佐藤雅美の「縮尻鏡三郎」シリーズの「夢に見た娑婆」(文春文庫 2014年12月)を読む。佐藤雅美の時代小説は綿密な時代考証が特徴だが、今回の舞台は江戸時代の「鳥の業界」。江戸時代は仏教の教えに基づいて牛や豚など獣の肉を食べることは禁じられていたが、例外として鳥の肉は食べることを許されていた。では、その鳥肉の供給はどうなっていたかというと、そこで佐藤雅美の綿密な時代考証の腕が発揮されるわけである。江戸時代は徳川将軍家をはじめ、有力大名の間では鷹狩りが流行っていた。鷹狩りの鷹を養うにはエサが必要で鷹は一日にスズメ10羽、ハト3羽を食した。鷹は2組で100羽だから年にするとスズメ36万5000羽、ハト10万9500羽が必要となる。この捕獲を担当したのが御鷹餌鳥請負人で、彼らは専門の捕獲人「いさし」に鑑札を与え、スズメとハトを捕獲させた。いさしはスズメやハト以外にもウズラ、ホオジロ、メジロ、大きなものではガン、カモ、ツルなども捕獲したが、これらは市場で売却された。「鳥の業界」が形成されたわけである。佐藤雅美の小説にリアリティを与えているのはこのように綿密な時代考証であるのだが、私などは「浮世には何の役にも立たない」江戸時代の「鳥の業界」のことを知るだけで楽しくなってしまうのである。