モリちゃんの酒中日記 10月その1

10月某日
「死と生」(佐伯啓思 新潮新書 2018年7月)を読む。著者の佐伯は東大の大学院で西部邁の下にいたことがあったんじゃなかったかなぁ。今は京大名誉教授で京大こころの未来研究センター特任教授。保守派知識人と呼ばれることが多いが、私は西部や佐伯を「日本会議」を根城にする所謂「保守派知識人」と一緒にするのには大いに抵抗がある。それはさておき本書は日本人の死生観について佐伯の年来の考えを表出したもの。佐伯はもともとは経済学の出身なのだが近年は社会思想家として「西田幾多郎」の著書もある。東大の経済学部、大学院で佐伯とほぼ一緒だったと思われる間宮陽介も、京大経済学部長も務めた「経済学者」なのだが、「丸山眞男を読む」を著したり「経済学」におさまらないフィールドで活動している。また話が横道にそれた。佐伯の考える日本人の死生観は、「仏教的なるもの」に多くの基礎を置いている。これはまぁ当たり前なのだが、佐伯の「仏教的なるもの」は古くはゴータマ・ブッダの原始仏教に始まり、平安時代の源信の浄土思想、さらに法然、親鸞、道元、鴨長明、現代の松原泰道に及ぶ。
佐伯は1949年生まれだから私より1歳下である。年齢的なこともあって「死」について思索するようになったのであろうか。また経済学的な思考をはじめ近代合理主義に包括される社会科学全般に限界を感じて「仏教的なるもの」に惹かれて行ったのか、そこは分からない。しかしキリスト教、ユダヤ教、イスラム教といった一神教と比べると仏教は異質である。ゴータマ・ブッダは仏教の開祖であるが、唯一神ではない。大日如来は密教では教主、主尊とされるが、浄土宗、浄土真宗では阿弥陀仏が本尊である。キリスト教、イスラム教にも宗派、分派があるが、仏教ほど多くはないのではないか。仏教はおおむね分派や他宗派に寛容だが、キリスト教は宗教戦争を戦ったし、イスラム教は現在でもISその他の勢力が聖戦を戦っている。佐伯は仏教の多くの宗派、分派を超えて「仏教的なるもの」に着目する。それは日本人の自然観―農耕社会的な生成の観念、つまり次々と命を生み出し、やがて朽ちてゆくという一種の植物的な生命観―に通じる、という(第7章「あの世」を信じるということ)。ふーん、何となくうなづけるものがある。

10月某日
浅田次郎の「沙高楼奇譚」(文春文庫 2011年11月)を読む。浅田次郎は最近好きな作家で、随分と読んだような気がするのだが、何しろ量産型の作家なのでとても追いつけない。浅田は多作という意味では量産なのだが、私が読んだものは私にとってはどれも面白かった。その点「外れ」のない作家で、私のようにさしたる目的もなく「ただ本を読むのが好き」なものにとってはありがたい。私は原則として一度読み始めた本は、つまらなくとも読み通すので、「外れがない」のは時間を有効に遣っているように思えるのだ。本書の狂言回しを務めるのは浅田とおぼしき、元刀剣売買の世界にいた作家である。ある日上野の国立博物館に刀剣を観に行きそこで旧知の鑑定家に会い、その日開かれるという会に誘われる。連れていかれたのが青山墓地ほとりの高級マンションの最上階で、玄関のホールには「沙高楼」と書かれた扁額が掛けられていた。その沙高楼の広いラウンジで出席者が自分の体験を語るというのが物語の骨格。1人目は作家を誘った鑑定家で、贋作に奇妙な情熱と技巧を凝らすある刀剣作家の話、2人目は名門私立の小学校を転校していった美少女と自分との30年に及ぶ奇妙な出会いを語る精神科医、3人目は戦後すぐの京都太秦の撮影所で、池田谷事件を題材にした時代劇を撮影中のキャメラマンの時空を超えた体験、4人目は本家の指令で自分の親分を殺害せざるを得なくなるヤクザの話である。2話目はたぶん親の破産で学校を転校せざるを得なかった浅田の体験が元になっていると思うが、他の3作は純粋な創作だろう。純粋な創作故に、1作目は日本刀、3作目は映画製作、4作目はヤクザについての実情、実態が綿密な資料調べの下に行われている。それがややもすれば荒唐無稽に取られかねないストーリーにリアリティを与えていると思われる。

10月某日
「未完のレーニン-〈力〉の思想を読む」(白井聡 講談社選書メチエ 2007年5月)を読む。本書はおそらく白井聡の初めての単行本である。「あとがき」にあるように本書は白井の修士論文がもとになっている。とは言え出版当初はそれなりに話題になったし、その後の白井の論壇での活躍は言うまでもないだろう。本書の書かれた意図はソ連邦をはじめ、いくつかの例外を除いて社会主義諸国が消滅した今日、レーニンが考えたこと、目指したことは何かを明らかにしていくことにある。そのため白井はレーニンの「何をなすべきか」と「国家と革命」を取り上げる。個人的なことを述べると私がレーニンの著作を初めて読んだのが「国家と革命」で大学に入学した直後、「ロシヤ語研究会」(露語研)というサークルの読書会で読みあわせた。もちろん露語研とは言え読んだのは日本語。国家とは階級対立の非和解的な産物であり、警察、軍隊は国家の暴力的な機構に過ぎないというレーニンの論に若い私は「その通り!」と思ったものである。「何をなすべきか」を読んだのは、私が過激な学生運動から召喚して、大学ももう卒業していたかも知れない。しかし自分の敗北経験からしても、労働者の自然発生的な意識からは革命的な意識は生まれないし、確固とした前衛党、すなわち労働者からの外部から意識を注入しなければ労働者は革命化しないという論にも「まぁそうだよな」と思ったものである。「国家と革命」の読後感が「その通り!」に対して「何をなすべきか」のそれが「まぁそうだよな」というのは、学生運動からの転向前と転向後の私の「意識」の違いをあらわしていて面白い。
今、「未完のレーニン」を読み終わって私は何を思うか。第一次世界大戦の前に、帝国主義諸国の領土争奪戦はほぼ終わっていた、そうであるが故に「遅れてきた」帝国主義国家であるドイツ英仏露に対して宣戦布告し、社会主義の国際組織だった第2インターナショナルは雪崩を打って「祖国防衛戦争」を支持した。ロシア社会民主党・ボルシェビキのなかでも「祖国敗北主義」を唱えるレーニンは少数派であったが、亡命地スイスで2月革命の報を聞いたレーニンは封印列車でロシアに帰り、武装蜂起を主張しその準備を進める。そのとき書かれたのが「国家と革命」である。革命によって国家権力を奪取した労働者階級とその前衛党は当面、プロレタリア独裁によってブルジョア階級を抑圧する。やがて抑圧すべきブルジョア階級は消滅し、階級抑圧の機関としての国家は必要なくなる。レーニンは一国で社会主義が成立するとは考えていなかったから、国家の消滅とともに国境も消滅する。少なくともロシア革命時、「国家と革命」を執筆していた当時、レーニンはそう考えていたに違いない。レーニンは革命後、数年にして死亡する。レーニン死後、スターリンが権力を掌握し一国社会主義を唱え、トロツキーはじめ、多くの反対派が粛清される。ソ連が実現した「社会主義」を見たらレーニンはどう思っただろうか?歴史に「if」はないけれど。

10月某日
長年の友人だった竹下隆夫さんが亡くなった。10月5日に未明に亡くなりその日、フィスメックの小出社長から訃報を聞いた。通夜は7日、告別式は8日だった。通夜の前日、奥さんの敦子さんから弔辞をお願いしたいという連絡があり、我ながら「心に沁みる」弔辞を書いた。ところがである、通夜の当日、武蔵野線の北朝霞を乗り過ごし斎場に到着したのは通夜開始のギリギリであった。「時すでに遅し」。結核予防会理事長の弔事に続いて友人代表として弔辞を述べたのは社会保険研究所の川上会長であった。献花のときに奥さんと娘さんに「申し訳ありませんでした」と謝り「竹下さんもモリちゃん、しょうがないなぁ、と許してくれると思いますが」と付け加えました。お清めの席で元厚労省の末次さん、高根さん、江利川さん、宮島さん、唐沢さん、ふるさと回帰支援センターの高橋理事長、高齢者住宅財団の落合さん等と話す。帰りは大宮まで出て落合さん、大谷さんと吞む。大宮から東武野田線で柏まで出て我孫子に帰る。我孫子駅前の愛花による。