モリちゃんの酒中日記 10月その1

10月某日
「他者の靴を履く-アナ―キック・エンパシーのすすめ」(ブレイディみかこ 文藝春秋 2021年6月)を読む。「はじめに」に次のようにある。「2019年に『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という本を出した。(中略)本の中の一つの章に、たった4ページだけ登場する言葉が独り歩きを始め、多くの人々がそれについて語り合うようになったのだ」。その言葉がエンパシーだ。「ぼくはイエローで」の目次を開いてみると、5章のタイトルが「誰かの靴を履いてみること」となっている。中学生の息子の期末試験に「エンパシーとは何か」という問題が出て、息子は「自分で誰かの靴を履いてみること」と書いて、「余裕で満点とれた」そうである。著者が英英辞典で確認すると「エンパシー…他者の感情や経験を理解する能力」「シンパシー…1.誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと2.3.(略)」とあった。エンパシーは能力なのに対してシンパシーは感情である。関東大震災の後、大逆罪の容疑で逮捕起訴され死刑の判決を受け、後に無期懲役に減刑されたが、獄中で縊死した金子文子というアナキストがいた。彼女の獄中で書いた短歌に「塩からきめざしあぶるよ 女看守のくらしもさして 楽にはあらまじ」というのがある。反天皇制を唱えていた文子にとって看守は敵側の人間だ。しかし文子はめざしの匂いをかいで、女看守の質素な暮らしぶりを想像してしまう。「ああ、あの人の生活もきっとそんなに楽ではないんだろうと」。これがエンパシーである。獄中において懲役人は看守に対してシンパシーを感じることはない。しかし文子はエンパシーを感じるのである。文子は母や祖母から虐待され満足な教育も受けていない。しかし独学で文字を学び、獄中で自叙伝も著している。

10月某日
社保研ティラーレで吉高会長、佐藤社長と歓談。吉高会長とは岸田新総理に「消極的期待感」を持つことで一致した。私の考えでは岸田の抱くイデオロギーは宏池会の直系らしく修正資本主義だと思う。極端な富の集中を防ぎ、所得の再分配を重視するいわばケインズ主義だ。安倍や菅が抱いている新自由主義とは一線を画する。とは言え安倍の属する細田派の支援もあって自民党総裁の座を手に入れたのだから露骨な政策の舵切りも出来ない。政調会長に安倍と価値観を共有する高市早苗を選んだのも、安倍の意向を無視できない岸田の思惑だろう。社保研ティラーレを出て、居酒屋「鳥千」へ。年友企画の石津さんを呼んで一緒に呑む。

10月某日
「主権者のいない国」(白井聡 講談社 2021年3月)を読む。過激な政権批判で知られる白井だが研究者としての出発はレーニンの思想だ。世に知られるきっかけとなった著作も「未完のレーニンー〈力〉の思想を読む」だ。「主権者のいない国」も政権批判論が並んでいるが、私は白井が現在の上皇が退位の意向を表明するためにビデオ出演して発出した「おことば」を評価していることに注目したい。白井によると「おことば」は「天皇たるもの、ただ生きて存在しているだけでは不十分であり、『動き』、国民との交流を深め、それに基づいた『祈り』を実行することによってのみ、『国民統合の象徴』たりえるとの認識を強く示した」という。右派さらに言えば「ネトウヨ」から毛嫌いされている白井だが、現上皇の思想と行動を一貫して支持している。本書には西部邁や廣松渉に関する小文も掲載されている。両者とも晩年に西部は「反米保守」を自認し、廣松は「日中を軸に『東亜』の新体制」を唱えた。両者には60年安保ブントの指導者だったという共通点がある。白井にも言えることだが、単純な右派左派論ではわかりえない人物に優れモノが多いということか。

10月某日
北千住で小学校以来の友人の山本クンと待ち合わせ。5時の待ち合わせ時間よりだいぶ早く着いたので駅ビルに併設されているルミネに入る。9階の書店「BOOK1ST.」へ入る。桐野夏生の新刊本があったので購入する。新聞の書評にも広告にも見かけたことがなかったので多分、印刷されたばかりなのだろう。奥付を見ると「2021年10月30日 第一刷発行」となっていた。エレベーターホールの椅子に座って読み始める。待ち合わせの時間が近づいたのでエレベーターで駅改札へ。山本クンはすでに待っていた。今日の目当ての店は「室蘭焼き鳥の店 くに宏」。開店直後だったので客は私たち2人だけ。生ビールで乾杯の後、室蘭焼き鳥と卵焼きを頼む。室蘭焼き鳥は豚肉が主で、肉と肉の間に玉ねぎがはさんであるのが特徴。山本クンとは考えてみると70年近い付き合いだ。

10月某日
「砂に埋もれる犬」(桐野夏生 朝日新聞出版 2021年10月)を読む。タイトルの「砂に埋もれる犬」とは何を指すか? 私の考えではこれはこの小説の主人公である優真のことである。優真は母親の育児放棄によりろくに食事も与えられず、母親と母親の同居人から暴力を日常的に加えられる。児童養護施設に入った優真はコンビニの経営者夫妻から養子縁組を希望される。生まれて初めて満足な食事と環境を与えられた優真は満足しながらも戸惑いも覚える。中学に進んだ優真はクラスに馴染めないままクラスメートの熊沢花梨に幼い恋心を抱く。しかし花梨に拒絶された優真は花梨に害意を抱きナイフを購入する…。いつもながらの桐野ワールドで500ページほどの大著を1日半で読み終えてしまった。桐野の小説を現代のプロレタリア文学と称したのは白井聡だが、この構造は「砂に埋もれる犬」にこそ当てはまる。プロレタリアは優真でありブルジョアの代表が熊沢家である。優真の蜂起は未遂に終わる。そこでこの小説も終わるのだが、優真の「階級闘争」はこれからも続くのか?