モリちゃんの酒中日記 10月その3

10月某日
卒業した中学と高校のクラス会があるので3泊4日の日程で北海道へ。初日は格安航空券で成田から新千歳空港、空港からは電車で登別、登別からタクシーで中学のクラス会会場の虎杖浜温泉ホテルほくようへ。中学のクラス会は何年か前、室蘭でやって以来。卓球部だった向井君、野球部だった晴山君や武田君は半世紀ぶりの再会だが、みんな面影はしっかりあった。宴会の後はカラオケルームで2次会。翌日はほとんどの人がバスで札幌方面へ帰るが、私は宮野君の車で東室蘭のホテルまで送ってもらう。室蘭では弟夫妻と夕食を一緒にとることになっているが、時間があるので卒業した蘭東中学まで歩く。同じ場所に中学校はあったが名前は変わっていた。中学校から自宅のあった水元町まで歩く。水元町からバスで東室蘭へ行く。途中、卒業した室蘭東高校前を通ったが、こちらも名前が変わっていた。私らが中高生の頃は室蘭も高度成長経済の波に乗って景気も良く、人口も膨張していたのだが、「鉄冷え」の時代が続き人口は激減、公立の学校も統廃合されたということだろう。夜、弟がホテルへ迎えに来てくれてホテル近くの居酒屋へ。私はもっぱら北海道の地酒を頂く。

10月某日
高速バスで高校のクラス会のある札幌へ。時計台前で下車、創成川沿いを歩いて会場の第一ホテルへ。高校のクラス会は普通科の3クラスが合同なので50人近くが集まる。倫理社会の先生だった富森先生が出席してくれる。中学のクラス会もそうだったが高校も女性の元気さが目立つ。夫に先立たれた女性も結構いた。おじいさんが朝鮮半島出身の女性がいたが、B型肝炎で国から補償金を得たり、今も病院で清掃の仕事を続けているそうだ。子供の頃近所だった山本君と同室。朝食後、数人とおしゃべりして解散。私は札幌駅まで歩き千歳空港まで電車。格安航空券で羽田へ。

10月某日
札幌行きの飛行機で読了したのが「オウム真理教事件とは何だったのか?-麻原彰晃の正体と封印された闇社会」(一橋文哉 PHP新書 2018年8月)。麻原が教団を設立した前後にブレーンとなった「神爺」「長老」「坊さん」の3人の証言からオウムの深層に迫ろうとしているのだが、この3人の証言の信ぴょう性が検証されていないのが難点。むしろ裁判記録を徹底的に検証して裁判で明らかになったことと、解明されなかったことを示すべきではないかと思う。麻原を「詐欺師」と断定する著者の視点にも疑問が残る。宗教的にも検証されるべきと思うのだが。

10月某日 ‘
飛行機の中で新書を読み終えてしまったので室蘭在住の弟に「薄めの文庫本(小説)を下さい」とメールしたら「指の骨」(高橋弘希 新潮文庫 平成29年8月)を用意してくれた。帯に石原慎太郎が「大岡昇平の名作『野火』『俘虜記』に匹敵する戦争文学だ。」という推薦の言葉が印刷されている。著者の高橋は1979年生まれだから私の子どもと同じ世代、太平洋戦争はもちろんベトナム戦争だって知らないはずだ。そういう人が書く「大岡昇平に匹敵する戦争文学」ってどういうことなのだろう、俄然興味を抱いてしまった。主人公の「私」は「赤道のやや下に浮かぶ、巨大な島。その島から南東に伸びる細長い半島」に米軍基地を占拠する目的で上陸するが、戦闘で負傷し後方の野戦病院へと担送される。「巨大な島」とはおそらくニューギニアのことだ。物語の前半はこの野戦病院での日常が淡々と描かれる。絵の巧い負傷兵や現地の子供たちに紙飛行機を折ってやる病兵、サナトリウに勤務していた軍医。彼らにとっての野戦病院は、まさに日常なのだが、野戦病院である以上、傷やマラリアが悪化して死亡する兵もいる。「指の骨」は死者の指を切り離し、遺品として持ち帰ることからタイトルとされている。戦闘の悪化にともない、野戦病院は撤収し歩ける兵はジャングルを転進する。銃も鉄兜もどこかへ行ってしまい「私」はいつか一人の敗残兵となる。ここら辺の描写が「野火」を連想させるのかもしれないが、私はむしろその乾いた文体からか、初期の大江健三郎の作品「飼育」や「死者の奢り」を思い出した。それにしても高橋弘希は日本の軍隊のことをよく調べ上げたと言わざるを得ません。

10月某日
図書館で借りた「日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実」(吉田裕 中公新書 2017年12月)を読む。たまたまなんだけど「指の骨」で描かれた兵士の太平洋戦争を、資料から明らかにしようとしたユニークで意欲的な新書である。「はじめに」によると、ある時期まで軍事史研究は防衛省防衛研修所などの旧陸海軍幕僚グループによる「専有物」だったという。おそらく開戦に至る経緯とか戦時中の銃後の政変、あるいは敗戦に至る政治過程とか、そういうところに歴史学の学問的関心があり、戦場や兵士の暮らしについてはあまり重視されてこなかっただろうと思う。「あとがき」で著者は、無残な死を遂げた兵士たちの死のありようを残しておきたいと強く思うようになり、1999年に靖国偕行文庫で部隊史や兵士の回想録を閲覧できるようになったのも書き残しておきたいという想いを一層強くしたと述べている。たしかに本書で紹介されている兵士の回想録や部隊史には、あの戦争がいかに無謀な戦争であったかが赤裸々に語られている。ようするに日本の生産力、国力が米英に比較すれば著しく劣っており、短期戦ならばともかく4年にもおよぶ長期戦を戦うべくもなかったのである。昭和天皇はじめ当時の権力者、指導者の責任は非常に重いと言わざるを得ない。本書を読んでもっとも感じるのは「兵隊さんは可哀想だね」ということと戦場となったアジアの人々に「迷惑をかけたんだなぁ」ということである。