11月某日
「キャベツ炒めに捧ぐ リターンズ」(井上荒野 角川春樹事務所 2025年10月)を読む。リターンズとあるのは2011年に「キャベツ炒めに捧ぐ」が刊行されているから。リターンズでは最年長の郁子が67歳、最年少の麻津子が65歳、江子が真ん中の66歳という設定。3人は共同で総菜屋「ここ家」を運営している。その日々を描いているわけだが、各章のタイトルが食べ物に因んでいる。「キャベツ炒め再び」「菜の花のペペロンチーノ」「ズッキーニのソテー」というふうに。井上荒野には「リストランテ アモーレ」など料理にからむ小説が多いように思うけれど、たぶん本人も料理好きなんであろう。フランス語やイタリア語(と思われる)料理や材料の言葉が出てくるが私にはチンプンカンプン。でも面白かった。最終章「キズの唐揚げ」から。
「制服、って言ったの! 見えない制服。あたしも、姫薇々ちゃんも、進君も、みんなずーっと、そういうの着てたんだなあって」
「なんじゃそれ」
麻津子は言ったが、
「わかるわあー」
と郁子は言った。……
「制服脱いで、路頭に迷わなければいいけどね」
麻津子は言った。
…
「路頭に迷うほうが制服よりマシよ!」
私はこの考えに全面的に賛成する。「路頭に迷うほうが制服よりマシ」-こういう考えは井上荒野の父親、井上光晴、光春の恋人だった瀬戸内寂聴の考えに共通するものだと思う。
11月某日
床屋さんに行く。以前、行っていた床屋さんが3500円から4000円に値上げされた。床屋に限らず物価高騰を実感する。今度の床屋さんは我孫子駅の北口の「髪風船」。大人調髪料が2200円、60歳以上は2000円。前の半額!入店して待つこと5分ほどで髭剃りと散髪。トクした気分で南口の中華料理店「海華」で上海焼きそば。我孫子市民図書館に寄って帰宅。
11月某日
「イスラエル人の世界観」(大治朋子 毎日新聞出版 2025年6月)を読む。2023年10月7日、パレスチナの軍事組織ハマスの戦闘員がイスラエル側に入り、多数のユダヤ人を殺害したうえ人質として住民を連行した。現在は停戦中で戦闘行為は中止され双方による捕虜の交換も進んでいる。パレスチナ問題に関連して何冊かの本を読んだが、本書は問題の本質を捉えている点で、最も優れた著書である。著者の大治は毎日新聞編集委員、1989年に入社、ワシントンやイスラエルの特派員を務め、テルアビブ大学院で「危機・トラウマ学」を修了。著者の立ち位置は次の文章にあらわれている。「いかなる社会も、大きな事件や事故、災害に見舞われれば、複雑な思考をめぐらす余裕を失うだろう。…危機に見舞われた時こそメディアはさまざまな角度から情報や思考を提供しなければならない。だが現実にはむしろその単純思考をあおるような役割を果たしてしまいがちになる。日本の戦時中、メディアが犯した罪の本質もここにある」。そのうえで著者はユダヤ人の歴史を振り返り、さらに現実のパレスチナ双方の庶民、兵士、指導者たちにインタビューを行う。専門的な裏付けのある優れたジャーナリズムの書である。
11月某日
「アイヌの歴史-海と宝のノマド」(瀬川拓郎 講談社選書メチエ 2007年11月)を読む。私は北海道生まれで18歳まで彼の地で暮らしていた。北海道の先住民としてのアイヌにはほとんど関心がなかった。しかし小学校の同じクラスにはアイヌの女の子が一人いたし、2学年上の兄の友人にもアイヌの男の子がいた。特に差別はしなかったと思うが、製鉄所の社員や国鉄職員の子弟が児童の多くを占めるその小学校では、アイヌの人たちは相対的に貧しかったように思う。今回「アイヌの歴史」を読んで、アイヌ民族は日本人(和人)と交流をしながらも独自の文化・文明を築いてきたことを知った。日本人が単一民族ということも「神話」に過ぎない。私が大学生のころ新左翼の一部が東日本反日武装戦線を結成し爆弾闘争を展開したことがあった。彼らの中に北海道出身者がいてアイヌ解放も叫んでいたように記憶する。本書を読んで我々がしなければならないことは、単純に解放を叫ぶことではなく先住民族としてのアイヌの歴史を学ぶことだと思った。アイヌ・エコシステムには地球温暖化の今、学ぶことが多いような気がする。
11月某日
週1回のマッサージの日。勤めが休みの長男に車でマッサージ店に送って貰う。途中でウエルシアによりジンを購入。電気15分、マッサージ15分。長男が迎えに来てくれる。私の銀行カードが我孫子警察署に届いているというので再び車で我孫子警察署へ。銀行カードを貰う。図書館で拾われたらしい。10分ほどで自宅。
