モリちゃんの酒中日記 11月その2

11月某日
札幌でコンピュータソフトの会社を経営している佐藤正輝(マサキ)は小中高校が同じ。山本義則(オッチ)と前野信久(ノンチ)も同じでこの3人は家も近所だった。マサキとノンチは高校でスキー部を創部、マサキが東京に出張してくるたびにスキー部の連中に声を掛けて集まる。私も高校1年のときワンシーズンだけスキー部に席を置いたことがあるので参加することにしている。「新橋か有楽町辺りに店を予約しておいて」とマサキからメールが来たので、HCM社近くの「李さんの中華屋さん」をネットで予約、新橋駅の烏森口で待ち合わせることにする。待ち合わせ時間の10分ほど前に烏森口に行くと紅一点の中田(旧姓)さんが来ていた。ノンチは少し遅れて娘さんと来ることになっているので、予定の6人が集まったところで会場へ。少し遅れてノンチ親娘も登場する。ノンチが隣に来たのでお互いの家族のことなどを話す。そう言えばノンチの母親と私の母親が仲良しだったことを思い出した。幼馴染もいいものだ。佐藤からみんなにお土産の「札幌ラーメン」が配られる。私は春日部に住むオッチと一緒に新橋から上野東京ラインで帰る。

11月某日
図書館で借りた「明治維新の敗者たち-小栗上野介をめぐる記憶と歴史」(マイケル・ワート 野口良平訳 みすず書房 2019年6月)を読む。内容もよくわからないままタイトルに魅かれて借りたのだが正解であった。小栗上野介忠順は遣米使節の目付を務めたほか軍艦奉行、外国奉行などの役に就いた幕臣である。しかし今日、小栗が記憶されているとしたらそのような事績よりも大政奉還後、薩長を主とする官軍に対する徹底抗戦を主張しそれが容れられないとなると官を辞し、領地のあった今の群馬県に隠棲するも官軍に捕らえられ斬首されるという悲劇的な死によってであろう。著者のマイケル・ワードは小栗が隠棲した権田村(その後倉渕村、現在は町村合併によって群馬県高崎市の一部)で英語の教員をしているときに小栗のことを知り、それがきっかけとなって幕末日本を研究することになったという。本書は小栗の生涯の歴史的な事実を辿ることが目的ではなく(もちろんその役割も可能な限り果たしてはいるが)、小栗の生涯と死が日本の社会でどのように受け入れられていったかを一次資料、文学作品、映画、テレビ、記念事業などにより実証的に論じている。小栗の記憶を意識的に探し出し、後世に遺そうとした人のことを、著者はメモリー・アクティビストと呼んでいる。歴史には確かに思い出や記憶の集積という側面もあるのだろう。

11月某日
図書館で借りた「私はスカーレット Ⅰ」(林真理子 小学館文庫 2019年10月)を読む。マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」の超訳本である。「風と共に去りぬ」は読んでいないけれど、映画は2回か3回観ている。映画館とテレビでね。主人公のスカーレットはヴィヴィアン・リー、スカーレットの永遠の恋人レット・バトラーはクラーク・ゲーブル。「私はスカーレット」は、主人公のスカーレットが一人称で語り下ろす。スカーレットって当時16歳だったんだな。美して驕慢。ずっと恋焦がれていたアシュレは結婚してしまい、当てつけのようにスカーレットはチャールズ・ハミルトンと結婚。折から南北戦争が勃発、召集された夫は死ぬ。寡婦となったスカーレットは一人息子を連れて南部の中心地、アトランタへ向かう。林真理子自体が「風と共に去りぬ」の大ファンで、それがうまく作品に生かされていると思う。Ⅱ以降も読みたい。

11月某日
柏のがん研究センター東病院へ青海社の工藤社長と行く。根津の青海社に寄って千代田線で北千住へ。北千住からつくばエクスプレスで柏の葉キャンパス、そこからバスでがん研究センター東病院へ。精神腫瘍科の小川先生と秘書の酒井さんに面談、スケジュールなどを確認。帰りもバスで東病院から柏へ、柏から常磐線で我孫子まで1駅。工藤社長に「食事して行く?」と聞かれたので「呑んでいこう」と答え、駅前の「七輪」へ。

11月某日
16時から千代田線町屋駅直結の「ときわ」で呑み会。メンバーは私と確か中大の4トロ(50年前、正統トロツキストを自称していた第4インター派を他党派はこう呼んでいた)出身の某氏と北大叛旗派(同じく50年前のことですが1960年代末に共産主義者同盟(ブント)が分裂、戦旗派、赤軍派、情況派、叛旗派などが生まれた)OBの某氏である。4トロ氏は私より1歳上、叛旗氏は私より2~3歳下だがまぁ同世代である。叛旗氏は北大の理系学部を卒業後、1部上場企業に就職したが塾講師に転身、それも2~3年前に辞めたようだ。4トロ氏は卒業後、石油の業界団体に就職、その後石油の輸入商社で働いて定年退職した。叛旗氏は最近、中国に行ってきたようでその土産話を聞かせてもらった。中国は共産党が独裁的に支配する国家独占資本主義国家になったようだ。16時から4時間も呑み続けたので、呑み会終了。町屋から千代田線で我孫子へ。駅前の「愛花」で日本酒を2杯程頂く。さすがに疲れたのでタクシーで自宅まで帰る。

11月某日
元厚労省の江利川毅さんや川邉新さんを囲む「例の会」を神田司町の中華飯店「上海台所」で18時から。夕方、内神田の社保険ティラーレで打ち合わせがあったのでその後、佐藤聖子社長と15分ほど歩いて「上海台所」へ。いつもは一番乗りは川邉さんなのだが今回は15分前には江利川さんが来る。「上海台所」は初めての店なので早めに来たという。続いて川邉さんが来たが「だいぶ前についていたがその辺をウロウロしていた」。続いてセルフケア・ネットワークの高本真佐子代表、元厚労省で埼玉医科大学教授の亀井美登里さん、滋慶学園の大谷源一さん、上智大学の吉武民樹さん、社会保険研究所の手塚さん、基金連合会の足利聖治さんが来て、本日のメンバーは全員集合。高本代表が料理をテキパキと頼んでくれたので幹事は楽であった。今回の「上海台所」はおおむね好評だったので次回もここにすることにした。