11月某日
社会保険福祉協会の「保健福祉活動支援事業」運営委員会に参加。社福協が実施している「福祉活動」について報告を受け、意見を言うことになっている。私以外は「ひつじ雲」の柴田理事長など介護事業の専門家であり、私などの出る幕はないと思うのだがあと2年、委員の任期が残っているのでそれまでは続けようと思う。新しく医院となった宮川路子さんを紹介される。宮川さんは慶應大学出身の医学博士で現在、法政大学人間環境学部の教授。社福協からの帰り、虎ノ門まで少し話すことができたが、とても気さくでそれでいて教育には熱意を持っているようである。虎ノ門で宮川さんと別れ私は日土地ビルのフェアネス法律事務所へ。渡邉先生から経過報告を受ける。遠藤代表弁護士からは今度出す本のゲラ刷を見せられる。年友企画の迫田さんとその後、呑む予定だったが迫田さんの都合がつかず延期。今日の晩御飯はいりませんと言ってあるので我孫子の北口の居酒屋で一人酒。
11月某日
昨日に引き続き東京へ。本日は社保研ティラーレで「地方から考える社会保障フォーラム」の会議。吉高会長、佐藤社長、社会保険研究所の総務部長と水野氏が参加。フォーラムはおおむね年間3回、3コマで実施することで合意。次回のだいたいの構想について私がまとめてくることになった。社保研ティラーレを出て神田駅に向かうと「森田さん」と声を掛けられる。HCM社の大橋会長である。事務所へ帰る大橋さんと上野駅までご一緒する。土方さんを入れて忘年会をやることで一致した。上野駅からはちょうど来た特別快速に乗車。日暮里の後は北千住まで止まらない。我孫子にも止まらないので柏で下車。高島屋の地下2回の酒売り場によって国産のジンを買う。柏駅北口の「庄屋」で一杯。
11月某日
「しごと放浪記-自分の仕事を見つけたい人のために」(森まゆみ インターナショナル新書 2021年8月)を読む。森まゆみは1954年生まれ、73年に早稲田大学政経学部政治学科に入学。私は72年に卒業だからキャンパスですれ違ったこともない。私は森まゆみの良い読者とは言えないが「彰義隊遺聞」などを楽しく読んだ記憶があるし、彼女たちが発行していた地域雑誌「谷根千」は何冊か買った記憶がある。30年以上前だが「年金と住宅」という雑誌の編集をしていたとき「古地図を歩く」という連載の取材で谷中の大円寺を訪れた。菊人形が展示されていたがその傍らで「谷根千」が売られていた。売っていたのは本文中に出てくる山崎範子だった。森は大学を卒業後、PR会社と出版社に2年務めた後フリーに。地域活動や景観保存活動、反原発の活動にも取り組む。離婚も経験した。この本を読むと、森まゆみは自立した市民の先駆けであると思う。岩波文庫の「伊藤野枝集」は森まゆみの編集である。あまりお金になりそうもない地味な仕事もきちんとやっているのである。
11月某日
「ハコブネ」(村田沙耶香 集英社文庫 2016年11月)を読む。初出は「すばる」2010年10月号、単行本化されるのは2011年11月である。村田は1979年生まれ、2016年に芥川賞を受賞しているが、その前に03年に野間文芸新人賞、13年に三島由紀夫賞を受賞している。ファミレスでバイトする19歳の里帆は異性とのセックスが辛い。自分の本当の性は男ではないかと疑う彼女は、乳房の存在を極端に抑えた服装で自習室に通い始める。そこで出会うのは女であることに固執する31歳の椿とその友人で生身の男性と寝ても実感が持てない知佳子だった。LGBTQなど性的な多様性に関心が集まったのはこの5年ほどのことではないか?村田が本書で描きたかったのは性の多様性、不可思議性なのではないかと思う(自信はないけれど)。村田の小説を読むといつも「ちょいと理解できないな」感が付きまとう。でもまた読んでしまうんだよなぁ。
11月某日
瀬戸内寂聴さんが亡くなった。99歳だった。私は昨年、村山由佳が伊藤野枝の生涯を描いた「風よ、嵐よ」を読んで以来、明治大正期のアナキストに興味を抱き、瀬戸内寂聴の「美は乱調にあり」「諧調は偽りなり」(伊藤野枝と大杉栄)、「遠い声」(菅野須賀子)、「余白の春」(金子文子)を読んだ。菅野須賀子は大逆事件に巻き込まれて刑死、伊藤野枝は大杉とともに憲兵隊に虐殺され、金子文子は刑務所で自死した。まぁ三人とも非業の死である。瀬戸内は天寿を全うしたと言える。瀬戸内は出家する前、作家の井上光晴と不倫関係にあった。それを赤裸々に描いたのが井上の娘、井上荒野の「あちらにいる鬼」である。「あちらにいる鬼」を巡って瀬戸内と井上荒野が楽しそうに対談していた。こだわらない人であり、誰とでも対等に話をできる人だったと思う。