モリちゃんの酒中日記 11月その4

11月某日
我孫子駅に着くとまだ18時前。駅前の「しちりん」で少し呑んでから帰ることにする。社会保険研究所の手塚愛子さんにもらった「哲学すること-松永澄夫への異議と答弁」(中央公論新社 2017年11月)を拾い読みする。手塚さんは東大の哲学修士課程だったか博士課程を修了した才媛で、彼女も彼女の連れ合いも松永澄夫に師事したということだ。700ページの大著で「本体5800円+税」という自費であれば絶対に買わない本。巻末の松永自作の「松永澄夫略年譜」をパラパラと読む。松永は1947年12月生まれ、私の1歳年長。熊本に生まれ県立熊本高校卒業後、ストレートで東大理科Ⅰ類から1968年に理学部生物化学科に進学。激化していた東大闘争の影響で実験室が閉鎖されたこともあって、文学部哲学科への転部を考えるようになり、1970年に転部、特例で1年で卒業して修士課程博士課程に進む。私は北海道室蘭市の高校を卒業した後、一浪後、1968年に早稲田大学政経学部に進学したのだが、授業がつまらないこともあって積極的に学生運動に参加した。政経学部の学生自治会は社青同解放派だったが、1968年の12月に革マル派から早稲田を追い出され東大駒場に逃れた。確か駒場の教育会館に立て籠った記憶があるけれど、真面目な東大生には迷惑な話だったかもしれない。「しちりん」の後、「愛花」に寄る。看護師養成大学の助教のケイちゃん、エロ小説作家のお姉ちゃん、その他常連が来ていた。

11月某日
古巣の神田の年友企画に行って迫田さん、酒井さんと「へるぱ!」の打ち合わせ。大山均社長と少し話す。年友企画の総務担当の石津さんと浜松町の「秋田屋」に呑みに行く約束だったが、神田に変更。南口駅前の居酒屋へ。石津さんが酒井さんを呼んで三人で呑む。

11月某日
フィスメックの会長を退任した田中茂雄さんと奥さんのマキコさんと食事。2人は国分寺に在住だったから西国分寺の「オステリア西国分寺」をネットで調べて17時30分から3人で予約する。オステリアというのはイタリア語で居酒屋という意味らしい。フランス語のオーベルジュか。西国分寺駅でキョロキョロしていると「森田さん!」と声を掛けられる。見ると白梅大学の山路憲夫先生だ。山路先生は毎日新聞の論説委員を辞めた後、白梅大学で教授に就任、定年で教授は辞めたが「小平学」の研究所を設立した。障がい者福祉の社会福祉法人の理事長もやっている立派な人だ。「こんなところで何やっているの」「いやちょっと食事会があって」という会話を交わして、私は西国分寺の北口飲み屋街へ。2~3分歩くと「オステリア西国分寺」があった。お店に入ると何か一度来たことがあるような記憶が…。そういえば(社福)にんじんの会の打ち合わせの前か後に、フリーの編集者の浜尾さんと食事に来た店であった。お店の人に「5時半から予約している森田です」と伝えると「お連れ様が見えています」。奥のテーブルに田中さんが座っている。2人でビールを呑み始めたところで、奥さんが登場。いろいろ昔の話ができて楽しかった。ここのお勘定は私が持つつもりだったが、奥さんに払われてしまう。奥さんから「これ奥さんに」とお土産までいただく。西国分寺から武蔵野線で新松戸へ。新松戸から我孫子へ。

11月某日
浅田次郎の「ブラック オア ホワイト」(新潮文庫 平成29年11月)を読む。浅田次郎は現代小説でデビューした人だけど「鉄道員(ぽっぽや)」で直木賞をとり、任侠モノや時代小説、大陸モノ(中国を舞台にしたもの)など幅広い分野で活躍している。「怪異モノ」もその一つでこの小説はそれに入る。それにしても浅田次郎は今や文豪だね。「何を読んでもそれなりに面白い」などというと作家に対して失礼かもしれないが、ある一定の水準を上回る作品を次々と上梓できるというのはたいした才能だと思う。解説によると本作は週刊新潮2013年10月3日号~2014年7月24日号に連載され、単行本は2015年2月に刊行されたとある。友人の通夜の帰り「私」は都築のマンションに誘われる。都築は満鉄の理事から商社の役員を務めた祖父、その入り婿となった父と三代にわたる資産家の家に生まれ、現在の住まいはその邸宅の跡地に建てられたものだ。資産家とか満鉄の元理事という設定からして怪しい。都築は父と祖父の勤めた商社に入社し、スイスに出張する。「そのホテルは、いわゆるベル・エポックの典型だった」で始まる物語では、ホテルのバトラーが就寝時、「ブラック オア ホワイト」と言って二つの枕を持ってくる。白い枕で都築が見た夢が物語の骨子である。夢だから話の中身に荒唐無稽なところも無論ある。それが物語に対する興味を削ぐかというとそれが逆。浅田のストーリーテラーとしての巧みさに脱帽するばかりである。