モリちゃんの酒中日記 12月その1

12月某日
浅野史郎さんの出版記念パーティ。神保町の学士会館で17時30分から開始。会場に行くと福井Cネットの松永さんがいたので挨拶。浅野さんは先日の秋の叙勲で勲章を授与されたのでそのお祝いも兼ねている。パーティの前にミニシンポジウムがあった。前のほうの席に元厚労省で前参議院議員の阿部正俊先生と同じく元厚労省で今は社会福祉法人の理事長をしている河幹夫さんがいたので、彼らの後ろに座る。シンポジウムの出席者は小山内美智子さん、田島良昭さんら古くからの浅野さんの友人と厚生労働次官を務めた村木厚子さん。田島さんは浅野さんが教わったことが2つあるとして、人権の尊重と「どんなにつらくとも自分の想いを貫くこと」をあげていた。村木さんは冤罪での拘置所で犯罪者と呼ばれる人たちに「生きずらい人」が多いとして、彼らの学歴で一番多いのが中卒、次いで高校中退そして三番目に高卒が来ると言っていたのが印象的。役所にいたのでは実感としてわからないだろうな。パーティで「森田さん」と声を掛けられる。厚生省入省ながら法制局が長く、今は京大法学部で「立法過程?」を教えている茅野千江子さんだった。

12月某日
「日米安保体制史」(吉次公介 岩波新書 2018年10月)を読む。日米安保を通してみる戦後史、新書ながら労作、読み応えがあった。吉次は安保体制下の日米関係について、「非対称性」「不平等性」「不透明性」「危険性」に焦点を当てその歴史をたどっている。安保の「非対称性」というのは、米国は日本の防衛義務を負うが米国の領土が攻撃されても自衛隊は来援する義務はないということ。「不平等性」は刑事裁判権はじめ米軍に様々な権利を認めているということ。「不透明性」というのは、いわゆる「核持込み」などの「密約」である。「危険性」は在日米軍による事故や犯罪である。日本本土の米軍基地は縮小されつつあるが、問題は沖縄である。沖縄の米軍基地は高度化しつつ存続している。本土においても戦後、米軍がらみの事故、事件が頻発したが米軍基地の縮小にともない自己、事件も少なくなったが沖縄ではいまだに頻発していると言っていい。本書を読んで改めて日米安保の不平等性と危険性、さらには沖縄の犠牲の上の本土の安全があることを強く感じた。もう一つ上げるとすれば安全保障に関する昭和天皇の強い関心だ。「天皇は、安保条約と沖縄の米軍基地で日本を共産主義の脅威から守ろうと考えており、講和後も、日米協力や在日米軍を重視する旨を日米政府高官に伝え続けた」(P12)のだ。

12月某日
18時30分から虎ノ門の日土地ビルで打ち合わせ。でも17時以降は仕事をしたくない。それで居候をしているHCMの大橋社長に「6時半まで時間あるんだけれど」というと「それまで事務所にいていいですよ」という。「そうじゃなくて、それまで呑みに行こうよ」と連れ立って虎ノ門へ。日土地ビルの向かいにある新虎ノ門実業会館の地下2階の居酒屋へ入る。ビールで乾杯した後、ハイボールをジョッキで呑む。2杯目を途中まで呑んだところで6時15分。ハイボールを少し大橋社長に手伝ってもらって飲み干す。6時25分に店を出て日土地ビルへ。何喰わぬ顔で打ち合わせへ。この場合、「何呑まぬ顔」が正しい。

12月某日
学士会館のレストラン「ラタン」で建築家の児玉道子さん、年友企画の編集者、迫田さんとランチ。ここは味よし雰囲気よしで値段もリーズナブル。児玉さんは知多半島の常滑市で空き家を活用したホテルを活用する構想を話してくれた。迫田さんと別れてプレハブ建築協会の合田純一専務を訪問。児玉さんから岐阜県伊賀市の「伊賀越漬」を頂く。ウリの種を抜いた跡にいろいろな野菜を詰めた漬物で、「伊賀越え」に備えて忍者も食べたという優れモノだ。西新橋のHCMで大谷源一さんと待ち合わせて鶯谷の「やきとり ささのや」へ。ここは以前から大谷さんから聞いていた店で「安くて旨い」と評判の店だ。17時前だったがほぼ満員。店の手前は「キャッシュ&デリバリー」で常連さん向けの立ち飲み、店の奥は椅子席である。運良く椅子席が空いていたのでそこに座る。漬物と生ビールで乾杯。ハツ、ナンコツ、レバー、ニンニクなど焼き鳥を食べる。焼き鳥もおいしかったが、大谷さんお勧めの「煮込み」は絶品。

12月某日   
「戦争の論理―日露戦争から太平洋戦争まで」(加藤陽子 勁草書房 2005年6月)を読む。加藤陽子は1960年生まれ。現在、東大大学院の人文社会系研究科の教授である。日本の近代史が専門だが、史料を駆使した平易な文章で歴史を解明する姿勢には以前から私は好感を持っている。マルクス主義的な歴史理解ではなくそれでいてリベラル。「はじめに」で加藤はコリンウッドという人の言葉を引いて歴史家の仕事を「歴史の闇に埋没した作者の問いを発掘することである」としている。ここでいう「作者」とは政治家や軍人、経済人といったリーダーだけでなく実際に戦争を戦った兵隊やそれを支えた銃後の庶民も含まれると思う。近代の戦争がそれ以前の戦争と様相を異にするのは、それが総力戦として戦われたことであり、最終的に戦局を左右したのは国力、生産力だからである。
個人的には第六章の「統帥権再考―司馬遼太郎の一文に寄せて」に最も興味が惹かれた。司馬の論旨は「統帥権の独立によって、その番人たる参謀本部=統帥機関が暴走し『明治人が苦労してつくった近代国家は扼殺された』」というものだ。加藤は「それは小説家による単純化でことはもう少し複雑ではないか(もちろん、こう書いているわけではない)」と参謀本部が陸軍省から独立した1878(明治11)年から解き明かす。参謀本部の独立により、軍政は陸軍省、軍令は参謀本部という「軍政二元主義」が確立するが、軍部が政治的に台頭したのはむしろ軍部大臣現役武官制であったというのが加藤の理解である。軍部大臣現役武官制はシビリアンコントロールの対極に位置する。そして陸海軍大臣を現役としたことで、内閣あるいは総理大臣に対する拒否権を軍部に握られたことを意味する。大本営(戦時における統帥機関の最高の形態であった)の設置を巡っても統帥機関の参謀本部・軍令部(海軍の参謀本部に相当する)と陸軍省・海軍省で応酬があった。結局、加藤は戦時のリーダーが「戦争指導を直接的に行なう統帥機関になりがち」なことは一面の真理としつつ「20世紀の戦争は、作戦の集積にとどまるものでなくなった」ために、権力の統合強化が図られていったとしている。加藤の見方は総力戦の時代にあっては「統帥権の独立」はひとつの幻影に過ぎなかったということだろうか。

12月某日
年友企画の忘年会に誘われる。手ぶらで行くのも何なので、神田の食料品のディスカウントショップ河内屋でアイリッシュウイスキーの「ジェムソン」1本とバーボン1本を買って持って行く。会場は高級中華料理店の「桃園」年友企画の社員の皆さんと社会保険研究所の鈴木社長、谷野常務、フィスメックの小出社長も参加、全体で15、6人の参加であった。普段は少人数での呑み会が多いのだが、たまには大勢で吞むのも楽しい。