モリちゃんの酒中日記 12月その1

12月某日
BSTBSの「町中華で飲ろう」を観る。芸人の玉袋筋太郎が町中華すなわち町場の中華屋さんを訪ねてビールまたは緑茶割りを呑みながらレバニラ炒め、餃子などを食する番組だ。ビールは大人の6・4・3すなわち643ミリリットルの大びん、緑茶割りは氷抜きが原則。今回はたまたま我孫子の隣の柏を訪問。1軒目は中華大島。父が倒れて店を継いだのがカレーライスを修業した息子、店の名前と壁に張ったメニューは以前のままだが中身はカレーの専門店。頼んだカレーは絶品だったが…。2軒目は柏と豊四季の中間にある悠楽。老夫婦のやっている昼は中華、夜はカラオケスナックという店。ビールを頼むとマグロと以下の刺身が出てきて…。3軒目は豊四季の赤門、こちらは本格町中華であった。番組は後半、モデルで女優の高田秋がレポーターを務めて船橋を訪ねる。

12月某日
テレビ東京の「家ついて行ってイイですか?」を観る。街角で声を掛けて家までのタクシー代やコンビニでの買い物代をテレビ東京で負担するから、その人の家までついて行くというものだ。家について行って冷蔵庫をのぞいたり家族のことをインタビューしたりする。これも一種のファミリーヒストリーだ。この日最後に放映されたのは「豪雪の小樽で酒飲む男性…亡き妻へ贈る曲」。若くして最愛の妻を亡くした男が定年退職後、生まれ故郷の小樽へ帰る。趣味はシンセサイザーによる作曲。シンセサイザーを弾きながら妻を偲ぶ歌を口ずさむ。泣けますね。収録のあとしばらくして番組スタッフが男のもとを訪ねるとすでに男は死亡していたという。最愛の妻のもとに旅立ったのだ。ドラマ以上にドラマチック。
「サボる哲学-労働の未来から逃散せよ」(栗原康 NHK出版新書 2021年7月)を読む。栗原は1979年埼玉生まれ、早稲田大学の政治経済学部大学院博士課程出身で白井聰とは同じゼミだったそうだ。東北芸術工科大学の非常勤講師を務める以外は定職を持たず年収200万円を公言する。自他ともに認めるアナキストだからね。アナキストに金持ちは似合わない。ロシアの高名なアナキストであったクロポトキンは公爵家に生まれたが亡命しているからね、金には恵まれなかったろう。幸徳秋水や大杉栄も金には苦労したらしい。栗原はこの本でも「わたしはふだんあまりカネをつかわない。もちろん食料品や『麦とホップ〈黒〉』、タバコや本などは買うのだが、それ以外はほとんどつかわない」と書いている。でも栗原の本を読むとその学識の深さと広さに驚かされる。アナキズムは無政府主義という訳語が使われているが、語源はギリシャ語のアナルコス=無支配という意味で支配的な権力の最たるものが政府ということから無政府主義と訳された。栗原によると「いかなる支配も存在しない、そんな世のなかをめざしているのがアナキスト」ということになる。

12月某日
NHKBSプレミアムで「誰が為に鐘は鳴る」を観る。舞台はスペイン市民戦争、アメリカから人民戦線派に義勇軍として参加したロバート(ゲーリー・クーパー)は、ファシスト軍がおさえる橋の爆破を命ぜられる。人民戦線派の山岳ゲリラに協力を求めるがゲリラには美しい娘がいて食事作りを手伝っていた。この娘、マリア(イングリッド・バーグマン)はやがて恋仲となる。橋の爆破に成功したロバートと山岳ゲリラたちは馬で現場から逃走をはかる。敵の銃弾がロバートを射抜く。馬に乗ることが困難になったことを悟ったロバーツは現場に一人残り敵をひきつけることを決意する。マリアは「私も一緒に残る」と泣くが、ロバートは「僕は君のなかに生き続ける」と一人で機関銃を敵に撃ち放つ。エンドマーク。私はこの何年もテレビでしか映画を観ないが、そのなかで「ローマの休日」と「誰が為に鐘は鳴る」は何度も見た。「ローマの…」はオードリー・ヘプバーンとグレゴリー・ペックで1953年の制作、「誰がために…」は1943年の制作だ。1943年と言えば昭和18年、アメリカは太平洋で日本とヨーロッパではドイツと死闘を繰り返していた時期である。反ファシズムの戦意高揚の意味もあったのかも知れないが、この余裕は日本にもドイツにもなかったものだ。

12月某日
東京都美術館で開催されているゴッホ展を観に行く。上野駅公園口で香川さんと待ち合わせ美術館へ。ゴッホ展は過去何回も日本で開催されているが、今回はヘレーネ・クレラー=ミュラーという収集家が集めたものだ。ヘレーネ(1869~1939)は1907年かから近代絵画の収集をはじめ、実業家の夫の支えのもと11000点を超える作品を入手、とくにファン・ゴッホの作品では世界最大の収集家となった。今回のゴッホ展はオランダ時代の習作から晩年の「糸杉」や「悲しむ老人『永遠の門にて』」などが展示されていた。オランダ時代の養老院の老人たちをモデルにしたデッサンも数点展示されていたが、私は「コーヒーを呑む老人」が気に入った。友人の出雲さんに似ているように思ったからだ。2時間近くを美術館で過ごし香川さんと根津へ。根津駅近くの中華料理屋で食事。割と美味しかった。

12月某日
「定年ゴジラ」(重松清 講談社文庫 2001年2月)を読む。初刷が2001年2月で図書館から借りたこの本の奥付では2015年6月第40刷となっているから相当広範囲に読まれたんだろうな。舞台は東京西部のニュータウン、丸の内銀行を60歳で定年退職したばかりの山崎さんが主人公である。巻末に「本書は1998年3月小社より刊行」とあるから、物語の時点は1995(平成7)年ごろであろう。60歳の山崎さんは1935(昭和10)年生まれと推定される。今でも生きているとすれば今年86歳になった筈。ちなみに作者の重松は1963(昭和38)年生まれだから、山崎さんの子どもの世代である。私はこの小説を読んで向田邦子や田辺聖子先生の小説を思い浮かべた。サラリーマンないしはサラリーマンOBの悲哀がそこはかとなく感じられるからである。一昔前のテレビドラマならば山崎さん役を森繁久彌、長女の旦那役または次女の恋人役を竹脇無我が演じたかもしれない。私が現在住んでいるのは江戸川を越え利根川で茨城県と接する昭和40年代後半に造成された住宅地である。ニュータウンほど規模は大きくないし山崎さんの住むくぬぎ台ニュータウンほど住民が親密でもない。奥さんの親が建てた家だから、近所の家のご主人たちはほとんどが年齢も会社の役職も上の人たちだったからね。でもニュータウンもいつまでもニュータウンではない。成長し成熟しついには朽ち果てるのである。

12月某日
「聖子-新宿の文壇BAR『風紋』の女主人」(森まゆみ 亜紀書房 2021年11月)を読む。森まゆみは地域雑誌「谷中・根津・千駄木」を創刊したことで知られる。地域や人のドキュメントを描く地道な仕事も続けている。私は「彰義隊遺文」、「しごと放浪記」しか読んだことはないが、もっと読んでみたい。この本の著者紹介では「中学生の時に大杉栄や伊藤野枝、林芙美子を知り、アナキズムに関心を持つ」となっている。確か岩波文庫の伊藤野枝の文章の解説は森が書いていたと思うが、そういうことなんだ。本書はアナキストで洋画家の林倭衛の娘である林聖子からの聞き書きをメインとするドキュメントである。林聖子の個人史でもあるが聖子につらなる人脈をたどると日本の近現代史にもなるくらいの凄いネットワークである。林倭衛は明治28(1895)年生まれ、伊藤野枝と同じ年だ。働きながら絵を学びアナキズムと出会う過程で10歳上の大杉栄と知り合う。代表作のひとつに「出獄後のO氏」があるがO氏とは大杉栄のことである。本書は第Ⅰ部戦前篇、第Ⅱ部戦後篇に分かれるが第Ⅰ部は主として林倭衛、第Ⅱ部は林聖子とその周辺について書かれている。私には第Ⅱ部がとても面白く感じられた。終戦前に父を亡くした聖子は近所に住む太宰治と知りあい、太宰の紹介で新潮社に入社する。入社後、太宰は玉川上水で心中するがその捜索にも聖子は関わっている。筑摩書房を経て舞台芸術学院で演劇を学び、後に映画監督となる勅使河原宏と同棲する。勅使河原の前に哲学者の出隆の息子、出英利と同棲するが英利は事故死してしまう。そして文壇BARとして後に有名になる「風紋」を開くことになるのだが…。私も「風紋」に行ったことがある。文芸出版社の腕利きの編集者だった竹下隆夫さんに連れて行ってもらったと思う。巻末に「林倭衛・聖子のまわりの人々」という図があるが、「風紋の客」として壇一雄、色川武大、粕谷一希、田村隆一、中上健次といったそうそうたる名前が挙がっていた。