モリちゃんの酒中日記 12月その1

12月某日
私は北海道立の室蘭東高校という高校に入学した。卒業したのは確か1967年の3月。東高は私が入学する1年前に開校した新設校で、1期生には東アジア反日武装戦線のメンバーで逮捕時に自殺した斎藤和氏がいる。1期生にはほかに大宅ノンフィクション賞を受賞した久田恵氏もいるのだが、2期生にはこれといった有名人は出ていない。小中高ともに同じ学校だった山本君から連絡があって、東高で一緒だった5人と柏で忘年会を開くこととなった。私と山本君、坂本君、竹本君、金沢君の5人が柏駅中央口で待ち合わせ、会場の丸吉酒場柏店に向かう。楽しく呑んで食べて喋って3時間。金沢君からお土産に12月31日抽選の宝くじをいただく。

12月某日
「水は動かず芹の中」(中島京子 新潮社 2025年10月)を読む。作家の「わたし」はスランプで筆が進まない。気分転換に以前訪れた唐津を訪れ陶芸家と知り合う。陶芸家の夫妻を通して水神(河童のこと)のことを知り、時空を超えて猿関白(秀吉のこと)の2度にわたる朝鮮侵略の概略、朝鮮から連れてこられた陶工とその末裔のことを知ることになる。中島京子の小説は小さき者や弱者への視点が優しいのが好きだ。河童も人間に害をなすものとして描かれず、むしろ滅びゆくものとして描かれる。侵略者の秀吉もやがて死んでゆく小柄な老人がその本質なのだ。東洋的といおうか仏教的な価値観が中島京子にはあると思う。

12月某日
「地図で見るパレスチナハンドブック」(ピエール・ブラン ジャン=ポール・シャニョロー 地図製作*マドレーヌ・ブノワ=ギョイヨ 大塚宏子訳 原書房 2025年11月)を読む。いつものように我孫子市民図書館で借りたのだが定価3500円+税である。私の懐事情からしてまず買うことはない図書である。しかし私には良書であると感じられた。オスマン帝国化のパレスチナからイスラエルの建国、1967年の6日間戦争、23年10月のハマスによるイスラエルに対する攻撃、そしてイスラエルの過剰な反撃まで地図入りで解説している。著者の2人はフランス人のようである。私の感じからするとアメリカは親イスラエル、ドイツはユダヤ人に対するジェノサイドの記憶から親イスラエル、に対して旧ソ連圏の国々は親アラブだ(個人の感覚です)。フランスや日本は中立か。本書を執筆した2人は親パレスチナである。ただし23年のハマスによる奇襲については極めて批判的だ。私もこの2人の考え方に賛成だ。イスラエルの建国の方法、パレスチナ人を追い出してユダヤ人が入植地を拡大していく様子を本書で確認すると、私はどうしても日本帝国主義が満洲国をつくり、現地の人の土地を奪って開拓していったことを思い出す。明治新政府がアイヌ民族を大地から追い出し、北海道を開拓したこともね。アメリカの西部開拓も先住民のインディアンからすれば侵略だよね。

12月某日
神田小川町の「蕎麦といろり焼 創」で社会保険出版社の高本さん、フィスメックの小出さん、年友企画の岩佐さんと会食。おいしい日本酒と蕎麦懐石風の料理をいただく。高本さんから社会保険出版社を辞めたことを聞かされる。社会保険研究所グループの中でも営業手腕も経営能力も高く、業績も好調だったはずだが…。しかし高本さんも料理も日本酒もぐいぐいやっていたのでひとまず安心。小出さんにすっかりご馳走になる。

12月某日
15時に手賀沼健康歯科で歯の定期健診。歯科衛生士さんから「歯間の汚れ」を指摘される。そういえば以前は歯間ブラシでマメに掃除していたが最近はご無沙汰。歯の定期健診に時間がとられてしまい、社保研ティラーレの吉高会長との約束に遅れてしまった。吉高会長に前も連れて行ってもらった神田駅北口近くのタイ料理屋へ行く。私はタイのビールを2杯飲んだ後、ウイスキーの水割り。つまみはもちろんタイ料理。このお店は一人で夕食に食べに来る人も多いようだ。吉高さんにご馳走になる。

12月某日
「SISTER“FOOT”EMPATHY」(ブレイディみかこ 集英社 2025年6月)を読む。タイトルのシスターフットエンパシーはシスターフッドエンパシーとかけたもの。シスターフッドエンパシーとは、本書の「はじめに」によると、「女性どうしのつながり」や「姉妹のような関係」を指すが、「共通の目的のために闘う女性たちの連帯」を意味するポリティカルな言葉であるという。エンパシーとは「自分とは違う他者への想像力」のことである。他者への想像力と連帯はガザやウクライナの現実を見ると本当に必要なことだと思う。日本の師走の現実だって、他者への想像力と連帯が求められている。連帯という言葉は最近では死語だが、1980年代だったかポーランドの民主化を闘った労組が連帯を名乗っていた。60年代末の学生叛乱のときも毛沢東派の学生が人民連帯を名乗って白地に赤のモヒカンヘルメットを被っていた。同じ毛沢東派でもML派は赤地に白のモヒカンだった。本当に連帯が必要なのは今であるような気がするのだが。