モリちゃんの酒中日記 12月その4

12月某日
後楽園ホールにボクシングを観戦しに行く。年友企画の迫田さんが大山社長からチケットを譲られ、それが私にも回ってきたというわけ。大山社長は印刷会社のキタジマの社長から招待されたということだ。5時半に水道橋駅で待ち合わせて会場に入る。6時から試合開始。第1試合はどちらもデビュー戦で初々しい。ちなみに席はリングサイドのS指定席でチケットを見るとなんと1万円だ。「右だ、右!」「腹狙え!」「足使え、足!」といった、声援なのか、コーチなのかよくわからない声が観客席からかかる。これは生の醍醐味ですね。セミファイナルを見終えたところで8時半から虎ノ門で打ち合わせがあるので残念ながら中座した。当日のメインイベントはWBOアジアパシフィックSライト級王座決定戦だったが、翌日の日経新聞のスポーツ欄にはべた記事扱いで数行報じられていた。会場の熱気との落差がまたいい。

12月某日
大学の同級生で弁護士をやっている雨宮君の呼びかけで同級生が集まった。いすゞ自動車の関連会社の会長をやった後、今イタリアで自動車関連の仕事をしている内海君、伊勢丹を定年まで務め今は悠々自適の岡君、それにクラスは違うが、女性の関さん。西新橋の弁護士ビルにある雨宮君の事務所に行くとすでに内海君が来ていた。弁護士ビルは私が今お世話になっているHCMから歩いて5分だ。岡君も顔を出して4人で会場に向かう。会場は弁護士ビル1階の「しゃぶしゃぶ芋つる」。富山料理の店である。お店には関さんがすでに来ていた。もしかしたら4人が顔を揃えるのはほぼ半世紀ぶりかもしれない。でも同級生ってのは面白いもので、話を始めるといつも会っているように話が弾む。おいしい料理と酒を楽しんであっという間の3時間だった。私以外は虎ノ門から私は新橋から上野-東京ラインで帰る。新橋から成田行きに座ることができた。我孫子で「愛花」に寄る。

12月某日
名月庵ぎんざ田中屋総本店で社福協の本田常務、内田さん、高橋さん、岩崎君、年友企画の大山社長、迫田さん、酒井さんと私のご苦労さん会を兼ねた忘年会。女性に人気のありそうな和食とそばの店。ビールで乾杯の後、福井の黒龍酒造の「九頭竜」をいただく。次に宮城の「蒲霞」。私の場合ですが日本酒は値段の高いものからいただくことにしている。酔ってだんだん味が分からなくなるからね。最後はぬる燗で締める。こう書くと日本酒にうるさい人のようだがそんなことはありません。ただ日本酒の「ジワーッ」とした酔い方が好きなだけ。本田常務から「皇室カレンダー」をお土産にいただく。

12月某日
図書館で借りた「無知の涙 増補新版」(永山則夫 河出文庫 1990年初版)を読む。1971年に合同出版から刊行されたものを河出書房新社が増補して文庫化した。永山は1949年、北海道の網走に生まれる。青森の中学を卒業後、上京。渋谷の高級果物店(多分、西村フルーツパーラー)の店員となる。その後、職を転々としてその間、横須賀の米軍基地から拳銃を盗み出し、その拳銃によって4人の連続射殺事件を1968年に起こす。1969年に逮捕され、1990年死刑確定。1997年に執行される。文庫本でも500ページ以上あり、文章も決して読みやすいとは言えず、読み終えるのに1週間以上かかってしまった。時間はかかったが私は永山という人に強く惹かれるものを感じた。1歳違いで同じ北海道出身ということもあるかもしれない。それ以上に共通点は、私は1969年の秋口、永山と同じ東京拘置所に拘置されていたということだ。本書によると永山は東京拘置所の4舎1階に拘置されていたとあるが、私は確か東京拘置所の4舎3階だったのではないかなぁ。永山と私の人生が東京拘置所で一瞬交差するのだ。当時の東京拘置所は東池袋にあり、その跡地にはサンシャインシティビルが建っている。1959年の9月、私は10数人の学生と一緒に早大の第2学生会館に立て籠り、機動隊の攻撃に火炎瓶や投石で抵抗したため逮捕起訴された。罪名は現住建造物放火、傷害、暴行、公務執行妨害、不退去だったと思う。もう半世紀も前のことだが、永山は刑死し私は何とか生きている。この差って何なんだろう。

12月某日
神保町にデザイン事務所を構えている三浦哲人さんと現在、その事務所に机を置いているフリー編集者の保科朋子さんが激励会を開いてくれるというので、神保町の「スタジオ・パトリ」を訪問。近くのこじゃれた料理屋さんに案内される。三浦さんと知り合ったきっかけは「海苔食品新聞社」の争議の支援がきっかけ。40年近く前の話である。当時、私は日本プレハブ新聞社という業界紙に勤め、三浦さんは確か檸檬社というエロ出版社の編集者だった。その後、三浦さんはデザイナーとして独立し、表参道の骨董通りに事務所を開き、私は年友企画に転職した。争議の支援共闘会議の同志という関係から編集者とデザイナーという関係に変わったわけだ。グリーピア津南のパンフレットや、年住協のリーフレットやってもらった記憶がある。