12月某日
「のろのろ歩け」(中島京子 文春文庫 2015年3月)を読む。単行本は2012年の3月である。「天燈幸福」「北京の春の白い服」「時間の向こうの一週間」の3作が収録されている。舞台はそれぞれ現代、というか2010年ごろの台湾、北京、上海である。タイトルの「のろのろ歩け」は、「北京の…」で中国初の女性誌創刊のために北京を訪れた夏美が屋台で饅頭を買ったときにマンマン・ゾウと声かけられることに由来する。漫漫走、のろのろ歩けという意味である。「天燈幸福」は亡母の知己である3人の台湾男性に会いに行く美雨のちょっとしたロードノベルだ。相棒は花蓮(ファレン)へ行く列車で知り合った台湾人のトニー。本筋とは関係ないが台湾料理がおいしそう。「北京の…」は活き活きと働く北京のスタッフの描写が見どころ。「時間の…」は北京で働く夫と同居するために北京を訪れた亜矢子が中国人の案内で不動産を見て歩く。実はこの中国人は…。なかなか上等な短編集であった。
12月某日
「くらしのアナキズム」(松村圭一郎 ミシマ社 2021年9月)を読む。著者の松村圭一郎の本を読むのは初めてではない。3年ほど前、同じミシマ社の「うしろめたさの人類学」を読んだ。SCNの高本代表に借りた。エチオピアでのフィールドワークについて書いたものと記憶しているが、人類学的な観察対象のエチオピアの人たちとの交流が対等な目線で記録されていていたと記録する。今回、松村の関心はアナキズムに向かうのだが、「人類学の視点から」というのがユニークだ。もっともこれには先達がいて2020年に急逝したデヴィッド・グレーバーで、「アナーキスト人類学のための断章」などの著作がある。グレーバーの著作はアナキスト文人、栗原康の「サボる哲学-労働の未来から逃散せよ」でも引用されていた。それはさておき、松村の考えにはほぼ全面的に同意する。何十万年かの人類の歴史の中で国家が誕生したのは紀元前3300年頃のメソポタミアでウルクと呼ばれる都市国家だった。人類史のなかでは比較的、「新しい」エピソードなのだ。フランスの人類学者ピエール・クラストルは「『未開社会』が国家をもたないのは、国家をもつ段階に至っていないからではなく、むしろあえて国家をもつことを望まなかったから」と言っているそうだ。文明とは?進歩とは?幸福とは?…いろいろと考えさせるところの多い本であった。
12月某日
「秘密の花園」(三浦しをん 新潮文庫 平成19年3月)を読む。巻末に「本書は2002年3月マガジンハウスから刊行された」とあるから、初出はマガジンハウスの雑誌かな、女子高を舞台にしていることからすると若い女性向けの雑誌かも知れない。小説は「洪水のあとに」①「地下を照らす光」②「廃園の花守りは唄う」③の3部構成で、語り手は①が那由多、②が淑子、③が翠、3人とも幼稚舎から高校まである横浜の聖フランチェスカ学園の高校の同級生だ。那由多はサラーリーマン家庭の娘で最近、母を亡くした。淑子は鎌倉の病院の娘で、夏休みに一家でモルジブに行くほどの金持ちの家だ。翠は東横線の白楽駅の小さな書店の娘で弟がいる。三浦しをんは中高が確か横浜のフェリスだから、彼女の体験の一部がもとになっているのかも知れない。彼女のデビュー作は2000年の「格闘する者に〇」だから、デビュー間もない作である。小説の一つの軸となるのが、淑子と国語教師の平岡との恋愛である。恋愛の過程で淑子は失踪するのだが平岡は平然と授業に出てくる。そんな平岡に対して翠は「愛のかけらを傲慢に投げ落としておいて、のらりくらりと日常を続けようとしている」と批判的である。小説が書かれてから20年後の今なら、平岡は責任を取らされて退職を迫られたであろう。恋愛するのにも窮屈な時代となったのか。
12月某日
「きみのためにできること」(村山由佳 集英社文庫 1998年9月)を読む。単行本は96年11月である。文庫本のカバーに印刷されている著者略歴によると、村山は64年生まれ、立教大学文学部卒、93年「天使の卵」で小説スバル新人賞、03年「星々の舟」で直木賞を受賞となっている。私は昨年、村山の関東大震災後に大杉栄とその甥とともに憲兵に虐殺された伊藤野枝の生涯を描いた「風よあらしよ」を読んだ。だが、村山が本領を発揮してきたのは恋愛小説らしい。「きみのためにできること」もテレビ制作会社の新米音声マンの高校時代からの恋人と10歳以上年上の女優でジャズシンガーとを巡る物語である。撮影で西表島や日本アルプス、房総半島を巡るから観光小説の面もあるが、何といっても新米音声マンの青春小説であり成長物語だね。
12月某日
近所の「絆」で今年最後のマッサージ。来年は1月4日からスタートということなので4日の11時30分からを予約。「絆」は30代前半と思われる二人の若い男性がやっている。そのせいか女性客が多いような気がする。マッサージ店を出た後、我孫子市の農産物直売所「アビコン」を訪問。粉末の玉ねぎスープとレタスを購入する。アビコンからの帰りにパン屋「まきば」によって、「チキンレバームース」を購入。家に帰ってスマホの万歩計アプリを見たら9300歩。家にあったニンジン、ピーマン、玉ねぎに買ってきたレタスを刻み、キムチを隠し味にご飯と卵を炒めてチャーハンを作る。玉ねぎスープと一緒に本日の昼食である。
「学歴貴族の栄光と挫折」(竹内洋 講談社学術文庫 2011年2月)を読む。竹内は1941(昭和17)年生まれ。佐渡ヶ島育ちで京大教育学部を卒業。民間企業に務めた後、大学院に進学、京大の教員となる。何年か前にこの人の確か「教養主義の没落」を読んだことがある。その中で学生時代に「吉本隆明もいいけど清水幾太郎(福田恒存だったかもしれない)もいいぞ」と言ったら、女子大生に「この人、ウヨクよ」と言われたエピソードを紹介し、その頃は「この人、バカよ」と言われたに等しいと書いていたことを覚えている。竹内と私では竹内が6歳年長ということになるが、私の学生時代も同じような感じだった。モノゴトの本質を書物から学ぶのではなく、世間的な評価それも学生というきわめて狭い世間の評価で書物や著者を評価していたのである。それはともかく本書は「旧制高校」を通して150年に及ぶ日本の高等教育を論じている。小学校―旧制中学―旧制高校―大学というのが戦前のエリートコースであった。戦後、旧制高校は廃止され六・三・三・四制の単線系教育システムに移行した。しかし旧制高校的エリート意識は残った。このエリート意識が最終的に解体されたのは1960年代末から70年代にかけて闘われた学園闘争(著者は大学紛争と書いているが)によってである。同時期の丸山眞男と吉本隆明の論争、対立にも学歴貴族と傍系学歴の対立を見る。丸山は一高、東京帝大法学部、法学部助手から助教授、教授と絵に描いたようなエリートコースを歩んだ。対して吉本は高等小学校から府立化学工業学校→米沢高等工業学校→東京工業大学という傍系コースを歩んでいる。竹内によると「吉本はすでに安保闘争直後のころから『進歩的教養主義・擬制民主主義の典型的な思考法』と丸山批判をしており、『ここには思想家というには、あまりにやせこけた、筋ばかりの人間像が立っている』という有名な文句が冒頭にでてくる『丸山眞男論』も書いている」という。私が大学生だった昭和45(1970)年には大学進学率は23.6%で、竹内は「昭和40年代は日本の高等教育がエリート段階からマス段階になったときである」と書いている。2018年で大学・短期大学への進学率は54.8%と過半数を超えている。高等教育のマス化がさらに深化、拡大しているのである。
12月某日
「光」(三浦しをん 集英社文庫 2013年10月)を読む。初出は「小説すばる」で2006年11月号~2007年7月号、2007年9月号~12月号、単行本化は2008年11月である。三浦しをんの作品に対する私の印象は、デビュー作の「格闘する者に〇」から始まって、直木賞を受賞した「まほろ駅前多田便利軒」、本屋大賞受賞作の「舟を編む」など、それなりに厳しい現実をユーモアに皮肉を交えて描くという印象だった。「光」の印象は全然異なる。最初の舞台は伊豆七島に付随したような美浜島。島民が全部で3百人に満たない小さな島だ。中学生の信之は同級生の美花と大人の眼を盗んでセックスを繰り返す仲だ。島を襲う大津波。島民の大半は流される。大津波が来た夜、美花が観光客でカメラマンの山中とセックスしている姿を目撃した信之は山中を殺害する。両親と妹を津波に奪われた信之は東京の施設で暮らし川崎市役所に務める。美貌の美花は映画俳優として注目を浴びる存在となっている。山中の殺害を目にした幼馴染の輔(たすく)も川崎で小さな工場で工員として働く。美花を守るために信之は第2の殺人を決意する…。爽やかさのまったくない、不穏なイメージの漂う小説。面白かったけれど。津波で多くの人が亡くなったのは2011年3月、三浦はその5年以上前に被害を予見するような小説を描いていたわけだ。
12月某日
「地球星人」(村田沙耶香 新潮社 2018年8月)を読む。村田沙耶香は仲間内では「クレイジー沙耶香」と呼ばれているらしい。なぜかは知らないがこの小説を読むと「さもありなん」と思えてくる。小学生の奈月は自分のことを魔法少女と認識している。長野のおばあちゃんの家で会う同い年のいとこの由宇は宇宙人だ。小学生の二人は結婚を誓い裸で抱き合っているところを親に発見される。二人の仲は引き裂かれる。塾の美貌の学生教師に凌辱された奈月は復讐に学生を殺害する。奈月の犯行は迷宮入りする。大人になった奈月は結婚し亡くなったおばあちゃんの家で由宇に再会し、そこでも惨劇が繰り返される。とストーリーを述べてもむなしいものがある。クレージー沙耶香だもね。