モリちゃんの酒中日記 2月その1

2月某日
図書館から借りた「異次元緩和の終焉-金融緩和政策からの出口はあるのか」(野口悠紀雄 日本経済新聞出版社 2017年10月)を読む。野口悠紀雄は中公新書の「『超』整理法」や週刊新潮に連載されていた「世界史を創ったビジネスモデル」を読んだくらい。アベノミクスを支える異次元緩和を野口はどう評価をしているのかという興味から読み始めた。有効求人倍率が過去最高となり、円安株高も進んでいる。人手不足感から春の賃上げも2%に届きそうな勢いだ。しかし野口はこれらは誤った政策の結果に過ぎず、金融の異次元緩和というカンフル剤が日本経済を支えているに過ぎないとする。野口の経済理論を私が十分に理解したとはいいがたいが、産業の構造改革を伴わない異次元金融緩和は大いに疑問だ。本書でも明らかにされているが、今、アメリカでもっとも株の時価総額が高いのはアマゾンで2番目はグーグル、どちらも20年前には存在しないか、吹けば飛ぶような会社だった。対して日本はソフトバンクを除けば、時価総額上位は20年前とほとんど変わらない。著者は「日本は、産業構造改革という手術をせずに円安という麻薬を飲んでごまかしてきた」とする。労働力が減少している今、そしてロボットやICT、AIの技術開発が飛躍的に進んでいる今こそが生産性を高めるチャンスであろう。野口悠紀雄の考えに私は賛成である。

2月某日

図書館で借りた「日本の路地を旅する」(上原善広 文藝春秋 2009年12月)を読む。ここでいう路地とは被差別部落のことである。和歌山県、新宮出身の中上健次が自身のルーツの存在を路地と呼んでいた。上原は昭和48年、大阪府南部の更池という路地に生まれた。父は食肉を扱っていた。著者は幼い時に更池を離れるのだが、路地の魅力に魅かれて、離れた後も兄と一緒に更池を訪ねる。成人してからは全国の路地を歩く。本書は著者のルーツと成人してから路地の旅のドキュメントである。上原はあからさまにと言っていいほどに被差別部落の過去と現在を描く。上原自身が被差別部落の出身であるからできることと言えるかもしれない。上原がとまどいながら手探りで路地をたどる姿には好感が持てる。上原は自身の心境を「路地の歴史は私の歴史であり、路地の悲しみは、私の悲しみである。私にとって路地とは、故郷というにはあまりに複雑で切ない、悲しみの象徴であった」と綴るのである。

2月某日
図書館で借りた「石垣りん詩集」(伊藤比呂美編 岩波文庫 2015年11月)を読む。石垣りんの名前は知っているが詩はほとんど知らない。今度初めて詩を読んで「あぁいいな」と思った。表現が直截的でわかりやすく、そして私には彼女の独特な抵抗の姿勢が気に入ってしまったのである。伊藤比呂美の解説によると石垣りんは1920年生まれ(1923年生まれの私の母と同世代)、14歳で高等小学校を卒業して日本興業銀行に就職、55歳で定年退職して2004年、84歳で亡くなっている。高小を卒業して大銀行に就職したということは、お勉強はできたが家には上級学校に進学させる余裕がなかったということであろう。実際、父が病気に倒れ、弟は失職するなど一時、一家の生活は彼女の興銀での月給に支えられる。そのころの生活を描いた詩を抜粋しよう。

 縦二十糎
 横十四糎
 茶褐色の封筒は月に一回、給料日に受け取る

 一月の労働を秤にかけた、その重みに見合う厚味で
 ぐっと私の生活に均衡をあたえる
 分銅のような何枚かの硬貨と紙幣、 (月給袋)

 半身不随の父が
 四度目の妻に甘えてくらす
 このやりきれない家
 職のない弟と知能の遅れた義弟が私と共に住む家  (家)

生活には余裕はなかったが、石垣りんは積極的に組合活動に参加し、戦争反対を訴える詩を組合の機関誌に発表する。

 平和 
永遠の平和
平和一色の銀世界
そうだ、平和という言葉が
この狭くなった日本の国土に
粉雪のように舞い
どっさり降り積っていた。 (雪崩のとき)

分かりやすい。彼女の同世代の男たちの多くは戦地で死に、女たちも空襲に晒された。私の母の生前「シゲオ、戦争だけはやっちゃだめよ」と言っていたっけ。