モリちゃんの酒中日記 2月その3

2月某日
図書館で借りた「未完の西郷隆盛 日本人はなぜ論じ続けるのか」(先崎彰容 新潮選書 2017年12月)を読む。西郷隆盛については昨年、家近良樹の「西郷隆盛 人を相手にせず、天を相手にせよ」(ミネルヴァ書房)を読み、次いで20年近く前に読んだ「草花の匂ふ国家」(桶谷秀昭 文藝春秋 1999)を再読した。日本人の多くは西郷贔屓である。それは今年のNHK大河ドラマが林真理子原作の「西郷どん」で高視聴率を上げていることからも分かる。「未完の西郷隆盛」は西郷隆盛の評伝ではなく副題にあるように、明治以降現在まで西郷隆盛はどのように論じられてきたかという考察である。著者の先崎は1975年生まれ、東大文学部倫理学科、東北大学大学院博士課程を終了後、フランス社会科学高等研究院に留学、現在は日本大学危機管理学部教授という日本思想史を専攻する気鋭の学者である。「はじめに」によると本書の狙いは「西郷その人の言行を追うことでない。むしろ、その後に紡がれた西郷をめぐる精神史」を追うことにある。福澤諭吉、中江兆民、頭山満、丸山眞男、島尾敏雄、江藤淳、司馬遼太郎らがどのように西郷を受容してきたか、テキストを読み込むことによって論じる。大変面白く読ませてもらった。「あとがき」によると先崎は16歳の時に、西南戦争に関する本に出会い、西郷隆盛にのめり込んでいったという。しかしフランス留学ではメルロ・ポンティなどの現代思想を学び「西郷のことなど、すっかり忘却していた」。彼の中で再び西郷隆盛が浮上してきたのは、東日本大震災で被災したことによる。先崎は「西郷はその政治思想ではなく、死生観によって記憶され続けている」とする。明治維新を演出した稀代の政治家であり戊辰戦争においては傑出した軍略家であった西郷隆盛。しかし人々の記憶に残るのはそうした西郷ではなく、城山で敗死した西郷の死生観ということなのだろう。

2月某日
顧問の肩書をもらってデスクを置かせてもらっているHCM社が自立支援型のデイサービスを武蔵野市で開設することになった。西東京市の在宅療養連携支援センターにしのわセンター長の高岡里佳さんに挨拶をしておきたいとHCMの大橋進社長。西武池袋線の田無駅で大橋社長と待ち合わせ、HCMの三浦部長がデイサービスの車で迎えに来てくれる。西東京市役所の保谷庁舎にある在宅療養支援センターに高岡さんを訪ねる。高岡さんは東京都介護支援専門員研究協議会の副理事長を務め、この業界では有名人なのだがちっとも偉ぶったところのない人だ。大橋社長と高岡さんと私の3人は池袋の焼き鳥屋で呑んだことはあるのだが、三浦部長は初対面。すっかり高岡さんのファンになったようだ。次いで武蔵野市に開設した「リハビリステーションLet‘倶楽部三鷹」を見学する。マンションの1階で内装を一新して床はフローリング、トレーニング機器が並んでいる。船橋リハビリテーション病院でリハビリに励んだ日々を思い出す。三鷹駅までスタッフに車で送ってもらい駅前の「目利きの銀次」で大橋社長にご馳走になる。

2月某日
土曜日だけれど児童虐待防止パンフの打ち合わせでケアセンターやわらぎの南阿佐ヶ谷事務所へ。「やわらぎ」の石川はるえ代表と絵本作家の生川さん、編集者の浜尾さんと打ち合わせ。午前中はポカポカ陽気で日向ぼっこを楽しんだ。南阿佐ヶ谷駅前のファミレスで石川さんにランチをご馳走になる。カレーはおいしかったが隣に座った小学校低学年とみられる3人の男の子がうるさい。母親はおざなりの注意をするだけ。ファミレスだから子連れは構わないが、レストランという公共の場でのルールとマナーを教えなければね。バスと西武新宿線を使って花小金井の有料老人ホームに入居している荻島道子さんを訪ねるとあいにく出かけているみたいだった。我孫子のコーヒーを置いて帰る。高田馬場の玄国寺に高山真行住職を訪ねる。真言宗の古刹のようで庫裏の一部は岩倉具視公の屋敷を移築したものという。