モリちゃんの酒中日記 2月その3

2月某日
菊池京子さんと日暮里駅北口で待ち合わせ。駅近くの「手打ちそば 遠山」へ。菊池さんはフリーライターとして活躍していたが、しばらく交流が途絶えていた。先週、山手線で声を掛けられたのがきっかけで食事をすることになった。菊池さんは以前は酒豪と言ってもいいほどだったが、心臓を治療中とかで酒を控えているそうだ。菊池さんは福島県いわき市の出身で被災地支援をやっていることは知っていたが、菊池さんの家族も東京に避難していたことを初めて知った。菊池さんから大きな文旦を頂く。

2月某日
「がんになっても安心して暮らせる社会」を目指して日本サイコオンコロジー学会が厚労省から受託しているのが「がん総合相談に携わる者に対する研修事業」だ。この研修事業のテキスト作成を依頼されたが医療図書の出版社、青海社。昨年脳出血で倒れた同社の工藤社長を千駄木の日医大に見舞ったのをきっかけに、テキスト作成を手伝うようになった。といっても今年度は大きな改定もないので、私が手伝うこともほとんどない。研修事業の改訂委員会に出席すると青海社から日当が支払われるので「私が出なくてもいいんじゃない?」と工藤社長に言ったら「頭数として必要」と言われ出席することに。委員会は午前10時から東京駅八重洲口近くの貸会議場で行われる。前回30分遅刻したので今回は30分前に会場に行くとすでに工藤社長は来ていた。12時に会議が終わり工藤社長は山手線で西日暮里まで出て、西日暮里から千代田線で青海社のある根津まで帰るという。東京駅から神田までご一緒して私は内神田の社保険ティラーレを訪問、次回の「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせ。大手町から都営地下鉄で武蔵小杉へ。武蔵小杉では喫茶店でNPO法人楽理事長の柴田範子先生に面談。柴田先生の自宅は新百合ヶ丘だし、職場は川崎駅近く。武蔵小杉では会議があったとのこと。武蔵小杉は東横線とJRの横須賀線や南武線が交差する交通の要衝。ということもあって駅の周囲にはタワーマンションが林立、大都会である。なんだかよく分からないが帰りは埼京線で大崎まで出て、大崎から山手線で御徒町へ。御徒町では北海道料理の「マルハ酒場」で群馬医療福祉大学の白井幸久先生と滋慶学園の大谷源一さん、上智大学の吉武民樹先生と会食。帰りは上野からグリーン車で吉武先生と我孫子へ。吉武さんから缶チューハイをご馳走になる。

2月某日
図書館で借りた「戦争小説短編名作選」(講談社文芸文庫 2015年7月)を読む。遠藤周作からアイウエオ順に吉行淳之介まで10人の作家の短編が収録されているが、私は佐藤泰志の「青春の記憶」と目取真俊の「伝令兵」が心に残った。佐藤泰志も目取真俊も初めて読む作家だ。「青春の記憶」は作者が高校2年生のとき有島青少年文藝賞優秀賞を受賞した作品。舞台は日中戦争時の中国大陸、捕虜の疑いで捕らえられた16歳の中国人少年を22歳の私が、上官の命令により銃剣で刺殺する。私はその夜、処刑の行われた場所で拳銃をこめかみに当て、引き金を引いた。上官に「私はあなたほど臆病ではないのです。最後のものを捨てたのに、なおぎまんの仮面をかぶっていることは、私にとって許されないこいなのです」という言葉を残して。「伝令兵」は現代の沖縄が舞台。幼い娘を事故で亡くし妻に去られた友利は無気力に自身の経営するバーのカウンターに立つ毎日だ。ある日、常連客の金城がジョギング中に若い3人の米兵とトラブルになる。金城は小柄な日本人に自販機の陰に抑え込まれる。米兵が去った後、カーキー色の衣服を着て足にはゲートルをまいた少年兵は金城に敬礼をする。少年兵には首がなかった。また別の日、離婚届をポストに入れた友利は公園の手すりにベルトを掛けて自殺を図る。意識が遠のく中突然体が浮いてベルトが外される。四つん這いになって激しく咳き込む友利の眼に首のない少年兵の敬礼する姿が映る。2作ともある切実さが伝わってくるのである。

2月某日
青海社は根津の不忍通りに面したビルの一室にある。不忍通りを千駄木に向けて歩くと、八百屋、総菜屋、中華、イタリアン、蕎麦屋、焼き鳥屋など食品関連の個性的な店が並んでいる。本日は往来堂という書店に入る。新刊書店がどんどん少なくなっているが、往来堂はなかなか個性的な品揃えで頑張っている印象だ。私は絲山秋子の河出文庫、「忘れられたワルツ」を買う。亀のイラストが付いた洒落たカバーで文庫本を包んでくれる。「D坂文庫2018往来堂書店」と刷り込んである。D坂とは千駄木の団子坂のことと思われるが、もっと言えば江戸川乱歩の探偵小説「D坂の殺人事件」にちなんでいるに違いない。

2月某日
絲山秋子の「忘れられたワルツ」(河出文庫 2018年1月)を読む。7編の短編が収められているが、最初の短編を読み進むうちに「あれっ読んだことあるかも知れない」と思い始めた。2作目、3作目と読み進むうちに「あぁ読んだことある」と確信に変わる。奥付の前のページに「本書は2013年に新潮社より単行本として刊行された」とあるから、その頃図書館で借りたのであろう。解説は小説家の吉村萬壱で「この本に収められた短編は、全て2012年から2013年の間に発表されている」とし、2011年3月11日の東日本大震災から「まだ1、2年しか経過していない頃である。にもかかわらず、救いを、祈りを、斬って捨てるがごとき作品が書かれた」と解説している。また「読者を絶望に叩き落すのは、その小説の中にある真実面をした嘘である。(中略)しかし絲山作品はこの点、一点のまやかしもなく乾いている。絲山氏は事実しか信じない」とも書いている。なるほどな「一点のまやかしもなく乾いている」か。私が絲山作品に魅かれるのもそういうことかも知れない。

2月某日
図書館で借りた「大坂の陣と豊臣秀頼」(曽根勇二 吉川弘文館 2013年6月)を読む。吉川弘文館の「敗者の日本史シリーズ」の中の1冊である。歴史における敗者に魅かれる。明治維新期ならば彰義隊、白虎隊に五稜郭の戦い、明治に入って西南戦争の薩軍、秩父困民党に大逆事件という具合である。だが、本書は大阪の陣における大阪方の敗因を分析しているわけではない。豊臣秀吉の死後、関ヶ原の戦いを経て徳川家康が如何に権力を手中に納めていくか、その中で大坂の陣の果たした役割を冷静に分析している。関ヶ原の戦い後、秀頼は摂津・河内・和泉の65万石の一大名に転落したことになっているが、ことはそう単純でもないようだ。関ヶ原の戦い後、家康は征夷大将軍に任命され天下を統一したと日本史の教科書には書かれている。だが家康の本拠があった江戸、駿府以東、御三家を配した尾張、紀州はそうであったにしろ、豊臣恩顧の大名が多かった西国はそうでもなかったようだ。豊臣と徳川の二重権力というと大袈裟だが、必ずしも徳川の支配が貫徹していたわけでもない。徳川の支配を貫徹するためにこそ大坂の陣で豊臣氏を完全に滅ぼすことが必要だったのだ。