2月某日
「歩きながら考える」(ヤマザキマリ 中公新書クラレ 2022年9月)を読む。ヤマザキマリは阿部寛主演で映画になった「テルマエ・ロマエ」(第3回マンガ大賞)の原作者として知られる。イタリア人と結婚し旦那の仕事の都合でポルトガルやアメリカに住むが、基本は旦那の実家があるイタリアの田舎町に住む。日本に滞在中にコロナ禍に遭遇し、日本への長期滞在を余儀なくされる。で、本書は空間(日本とイタリアその他)と時間(現在と過去)を超えた文明批評と言っていい。イタリア人と結婚して優れた文明批評的なエッセーを遺した作家としては須賀敦子が名高い。ヤマザキマリの旦那はベッピーノで須賀敦子の夫の名は確かペッピーノ、なんか共通点があるような…。「須賀敦子 ヤマザキマリ」で検索するとヤマザキマリが須賀敦子の「コルシア書店の仲間たち」の書評を書いていたのを見つけた。須賀敦子も好きで10年ほど前に随分読んだ記憶がある。二人とも異文化に対する批評的な受容という共通点がる。私が本書を読んで感じたのは日本人のナイーブさ。ヤマザキは「特にイタリヤや中東は隙あれば付け込まんとする人が少なくなく、『騙されるほうが悪い』という価値観が一般に浸透している社会です」と書いている。日本でも最近「オレオレ詐欺」などが出てきているが、これなども逆に被害者である日本人のナイーブさを実証していると言えなくもない。これからグローバル化はますます進むだろう。グローバル化にともないコロナに限らない未知のウイルスによるパンデミックも予想される。ヤマザキに学ぶべきは旺盛で細密な観察眼と豪胆な精神力であろう。
2月某日
「年をとったら驚いた!」(嵐山光三郎 ちくま文庫 2022年12月)を読む。嵐山光三郎は1942年~、古くは昭和軽薄体という文体を使うグループ(椎名誠、南辛坊、糸井重里など)の一派とみなされていた。私は嵐山の良い読者とは言えないが、彼の本を読むたびにその知識に圧倒される。圧倒はされるけれど威圧されない。昭和軽薄体の名残を遺す文体の及ぼすところであろうか。書名となった「年をとったら驚いた!」は何を意味するのであろうか?嵐山は「自分のカラダが弱っていくのが面白い。昔できたことが出きなくなるんだから笑っちゃいますよ」とし「七十歳をすぎた高齢者の発言はすべて愚痴である」と断言する。また「すべての老人は冗談を言って生きていけばいい」とも。嵐山は今年、81歳になる。ますます長生きして冗談を言い続けてもらいたい。
2月某日
「天皇財閥・象徴天皇制とアメリカ」(涌井秀行 かもがわ出版 2022年10月)を読む。涌井秀行という人の本を読むのは初めて。1946年生まれで早稲田大学法学部を71年に卒業。立教大学大学院で経済学を学び、明治学院大学国際学部で教授を務め、2015年に定年退職と巻末の経歴にある。私の知り合いである新崎智(呉智英)さんと同年の生まれで同じ法学部を卒業している。同時期に共産同戦旗派のリーダーだった荒袋介も法学部に在籍していた。各章のタイトルは「第1章 戦前日本資本主義の軍事的=半封建的構成の成立・展開帰結」「第2章 天皇財閥と戦前日本資本主義」「第3章 戦後日本を覆うドームのごときアメリカ=象徴天皇制」「第4章 戦後日本を覆うドームのごときアメリカの権威=権力-アメリカニゼーション」「第5章 アメリカ株価資本主義と世界金融反革命」「第6章 インターネットの編成原理と21世紀社会主義」である。なんとなくブンドっぽい。第1章では「戦前の日本は、世界史的にみれば帝国主義への移行期の『外圧』のなかで、早急に重化学工業化を進めなければならなかった」とし、そのための資金を「半封建的な農業蓄積に求めるほかはなかった」としている。そして「日清戦争での賠償金強奪、日露戦争から始まる『朝鮮』→『日満』→『日満支経済ブロック』→『大東亜共栄圏建設』へと果てしなく拡大してゆく植民地侵略」へとつながってゆくと描かれる。第2章では財閥としての天皇家が全国の山林や日清戦争の賠償金などをもとに形成され、終戦時には三井財閥や三菱財閥を大きく上回る37億4795万円に達していたことが明らかにされる。
第2次世界大戦に敗北した日本はアメリカによって絶対主義天皇制から象徴天皇制へ転換させられる。しかし著者によると昭和天皇は大日本帝国憲法による「統治権を総攬する」元首としての意識を捨てきれなかったという。そして平成天皇は戦没者への「慰霊」と災害の被災者への「お見舞い」という「天皇制慈恵主義」で「日本国民統合の象徴」としての役割を果たした。象徴天皇制は「内なる天皇制」として日本国民の意識の底に生きた。それとともに戦後日本を支配したのはアメリカである。政治的、経済的な支配に止まらず、「戦後は圧倒的なアメリカから来た文化に日本は飲み込まれた」。こうしたアメリカ支配を支えたのは「資本主義体制構築・維持のためのドル散布(援助と直接投資)であった。と同時に日本は中国に次ぐアメリカ国債保有国になった。日本はアメリカの金融信託統治領になったと著者は言う。著者の歴史認識は正しいのではないか。ロシアのウクライナ侵攻を見てもそう感じる。著者は最後にソ連・東欧型の「20世紀社会主義」から人々は解放されつつあるとし、インターネットの編成原理(分散=共有=公開)という〔21世紀型社会主義〕社会の編成原理に希望を見出しているのだが…。
2月某日
「伊勢神宮-東アジアのアマテラス」(千田稔 吉川弘文館 2023年1月)を読む。伊勢神宮内宮の祭神がアマテラスで皇祖神、天皇家の先祖である。天皇が政治権力を握っていた時代はそんなに長くない。倭国の時代から天平、飛鳥の頃までか。大化の改新以降、天智天皇、天武天皇、聖武天皇は確かに政治権力を握っていたらしい。それ以降は後醍醐天皇を例外として、藤原氏や源氏、徳川氏などが権力の座に就く。しかし天皇家は存続し続けた。明治になって「天皇は神聖にして侵すべからず」という存在とされたが、昭和天皇は戦前から立憲君主制の立場をとっていた。日本は日清戦争以降、台湾、朝鮮、南樺太に領土拡大、満洲に傀儡政権を樹立した。本書によるとアマテラスを主神とする神社は朝鮮に234、満洲に50あり、海外植民地の合計では584に達する。これらの神社の多くは戦後破壊されたという。キリスト教の場合、植民地から欧米の宗主国が去った後も教会などの宗教施設は残され、宗教活動が存続したことも珍しくないという。国家神道という宗教とキリスト教などの世界宗教との違いであろうか。