2月某日
「岩倉具視」(佐々木克 吉川弘文館 2025年12月)を読む。本書は「読みなおす日本史」シリーズの1冊で原本は2006年に刊行されている。佐々木克(すぐる)は1940年秋田生まれ。立教大学同大学院にて大久保利兼(大久保利通の孫で歴史家)に師事、京都大学教授などを務め2016年没。本書は岩倉具視の評伝だが、「奸物」「策謀政治家」イメージのある岩倉を日本の将来を見通した剛直な人物として再評価している。幕末維新期に活躍した人物では坂本龍馬や勝海舟、木戸孝允(桂小五郎)、西郷隆盛などは、演じる役者のイメージもあってイイモノっぽい。対して岩倉や大久保は地味、汚れ役っぽい。NHK大河ドラマでも主役は張れず、常に脇役である。本書を読むと明治維新後の版籍奉還や廃藩置県などの改革が岩倉なしには困難であることが了解される。
2月某日
「朝鮮漂流」(町田康 新潮社 2026年1月)を読む。町田康には「ギケイキ」「口訳 古事記」「口訳 太平記 ラブ&ピース」といった日本の古典を題材にした作品があるが、本作は江戸時代も末期に近い文政2(1819)年6月からの薩摩藩士の漂流記である。薩摩藩士の安田義方(30歳)は沖永良部島での2年の任期を終え、代官の日高与市左衛門(25歳)、同僚の川上彦十郎(28歳)とともに奄美大島経由で薩摩の山川港へ帰任することになる。ところが航海中に暴風雨に巻き込まれ漂流を余儀なくされ、朝鮮の忠清道庇仁にたどり着く。朝鮮では太守などの役人から庶民にまで温かくもてなされる。と言っても安田らが朝鮮語を解するわけがなく太守らも日本語を解するわけでもない。彼らの会話はもっぱら漢文を介して行われる。近世の東アジアの朝鮮と日本の士大夫、武士の教養の高さに驚く。彼らはそれだけでなく漢詩も相互に贈りあって交流を深める。明治維新以降、日本人は言われなく朝鮮人、中国人を蔑視してきた歴史があるが、近世にあっては漢文、漢詩を通して対等な交流がなされてきたことがわかる。本書の巻末に「本作は、漢文体で書かれた安田義方『朝鮮漂流日記』(神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ住田文庫所蔵)を原資料として創作されたものです。翻訳協力・椿田有希子(国際基督教大学教養学部助教)との付記があった。翻訳協力があったとしても町田の原資料を読みこなす力はさすがである。
2月某日
「東ユーラシア全史-陸海の交易でたどる5000年史」(上田信 中公新書 2025年12月)を読む。ユーラシア(Eurasia)ってユーロ(Euro)とアジア(Asia)の合成語というのも今回初めて知った。著者の上田信氏は東大大学院卒で現在、立教大学の専任教授で専門は中国社会史となっているが、ユーラシア全域というか地球規模の歴史知識、さらに人間を含む動植物、生物全般に影響を与える気候の変化への言及などその知識の深さと広さには脱帽。一例として17世紀の産業革命について「土地に比して労働が希少であった西欧では、蒸気機関などの革新的な技術によって生産性を飛躍的に向上させる「産業革命」が起きた。他方、日本列島では人口に比して土地が希少であったため、伝統的な技術や労働慣行を維持しつつ、人々の勤勉さや組織力を高めることによって経済成長を達成する「勤勉革命」が起きた」として、「この二つの革命が、近代資本主義の土壌を形成したという」としている。
2月某日
アメリカとイスラエルがイランに対してミサイル攻撃を行ったことが新聞、テレビで報じられている。イランの宗教的指導者、ハメネイ師も殺害されたという情報もある。イランの現状は国民、市民の権利が保障された民主国家とは言えない。日本にも圧政を逃れたイランからの難民が存在する。テレビではアメリカに逃れたイラン難民が米国・イスラエルのミサイル攻撃を歓迎する様子が流される。しかし今回の攻撃は国連の決議に基づくものではない。イスラエルのガザ侵攻、ロシアのウクライナ侵攻と同じく国際的な非難に値するものと私は考える。ニュースではイランの小学校もミサイルに被弾、数十人の子供が犠牲になったと報じられている。トランプ、ネタニヤフは即刻、攻撃を止めるべきと私は思う。高市政権にも米国への非難を期待したいが、無理か…。
2月某日
「宮本常一-民俗学を超えて」(木村哲也 岩波新書 2026年1月)を読む。各章のサブタイトルに学者や作家の名前が記されている。1章「明治維新を聞き書きする-鶴見俊輔と「日本の百年」2章「世間師の発見-安丸良夫と民衆思想史」3章「非農業民への視座-網野善彦による歴史の読み直し」4章「離島から日本を見る-谷川雁のコミューン構想と島尾敏雄の「ヤポネシア」論」5章「「土佐源氏」をめぐって-石牟礼道子と詩的インスピレーション」6章「「される側」からのルポルタージュ-本多勝一の方法」7章「人の移動と文化の伝播-司馬遼太郎と「街道をゆく」」エピローグ「「日本」をめぐって-鶴見良行のアジア学」。これはあくまでも著者、木村哲也の目を通しての宮本常一ということになるのだが、それにしても宮本常一の関心の広さが伺われる。町田康の「朝鮮漂流」を読んで感じたことでもあるが、日本の正史には出てこない庶民、常民の歴史ももっと学んだ方がいい。正史とは要するに支配者の歴史、主として政治史、軍事史、経済史を軸にしたものだが、それから零れ落ちる庶民の歴史にこそ歴史の真実が潜んでいる可能性があるのではないか。
