モリちゃんの酒中日記 2月その5

2月某日
「啓順純情旅」(佐藤雅美 講談社 2004年9月)を読む。幕末、医師養成機関の医学館で学ぶ啓順は、浅草の火消しの親方で破落戸(ごろつき)の親分でもある聖天松の息子殺しの疑いで、司直と聖天松の手下の双方から追われることとなる。江戸から甲府、伊豆から大島、大島から海路、石巻へ。陸路あり、海運、水運ありの逃亡劇で、逃亡の合間に患者を診察するというストーリー。「啓順純情旅」は「兇状旅」「地獄旅」に続く3作目にして最終作である。聖天松の追手のひとり勘助と手を組んだ啓順は、最終作では聖天松を逆に引退に追い込む。浅草を中心とする聖天松の縄張りは勘助に引き継がれ、啓順は勘助の縄張りから遠く離れた芝神明前で開業し、やがて「神明前のお助け医者」と呼ばれるようになる。最終作は「御一新を迎えたのはその後間もなくだが、江戸はたいしたどさくさで、御一新後、啓順の一家がどうなったのかを知る者はいない。」と終わる。私は「啓順シリーズ」は同じ芝神明前で開業する「町医北村宗哲シリーズ」に引き継がれ、宗哲は啓順の後身と思っているのだが。

2月某日
虎ノ門の弁護士事務所で打ち合わせの後、新橋烏森口近くの「おんじき」へ。HCM社の大橋社長とネオユニットの土方さんがすでに呑んでいた。「おんじき」は青森料理のお店、大橋社長が贔屓にしている。土方さんはデザイナーだけれど、ビジネス感覚にも鋭いものがあり今回もデザインとは離れた新しいビジネスについて熱く語っていた。そのほか沖縄の県民投票や統計偽装問題、北朝鮮問題など3人の話題はあっちこちへ飛ぶ。もちろん3人の考え方は違うのだが、たぶん基本的な価値観は違わないはず。そこが面白いし付き合いが長く続く理由と思う。

2月某日
「アナキズム-一丸となってバラバラに生きろ」(栗原康 岩波新書 2018年11月)を読む。栗原康は前に「村に火をつけ、白痴になれ-伊藤野枝伝」「死してなお踊れ-一遍上人伝」を読んで面白かった記憶がある。栗原は早稲田大学の政治経済学部で確か白井聡と同じゼミ。栗原の独特の文体がまず魅力だ。例えば第2章ファック・ザ・ワールドの冒頭は「オス、オース、オースッ、オース! ファック・ザ・ポリス! ファック・ザ・ソサイエティ!ファック・ザ・ワールド! みんな警察がきらい、社会はクソだ、こんな世界はいらねえんだよ。イヨーシッ、気合がはいったぜ。そんじゃ、はじめよう。」と始まる。本書はアナキズムの概説書ではなく私たちに人間としての生き方を問うていると思った。サブタイトルの「一丸となってバラバラに生きろ」を考えてみよう。「一丸となって」というのは左翼の使う「団結」の大切さを語っているように見える。だが、左翼の団結は突き詰めていくとレーニン主義的な前衛党に行き着く。栗原の「一丸となって」はもっとソフトとであり、自由だ。レーニン主義的な組織論とは対極にあると行ってよい。
私はこの本を読んで1960年代後半から1970年代前半に全国の大学を巻き込んだ全共闘運動のことを思い浮かべた。多くの大学には学生自治会があり、学生の要望を汲んで大学当局と交渉を行い、ときには日米安保などそのときどきの政治課題に応じて、学生を動員して街頭デモを行った。しかし60年代の後半の一時期、学生自治会が学生のニーズに対してうまく機能しなくなる。私の在籍した早大の場合、私が入学した1968年には文学部を中心とした革マル派、法学部の日本共産党(民青)、政経学部の社青同解放派の三派が勢力を均衡させていた。私の感覚では民青は学生の日常的な要求には応えるものの政治課題については日本共産党の政策そのものであり、革マルは「壮大な理論体系」を感じさせるもののやっていることは他党派解体路線であった。その革マル路線によって解放派は大衆的な動員力を失わせていった。そこに登場したのが全共闘である。その組織原理というかイメージがまさに栗原のいう「一丸となってバラバラに生きろ」なのだ。東大闘争で安田講堂に残された落書きに「連帯を求めて孤立を恐れず」というのがあったが「一丸となってバラバラに生きよ」と同じことを言っているように私には思える。
栗原の本は私にいろいろなことを考えさせた。人間は本来、自由な存在なのではないか、何ものにも束縛されることなく自由に生きること。そう言えば栗原の伊藤野枝の生涯を描いた「村に火をつけ、白痴になれ」も伊藤の生涯を描くことによって、自由に生きることの大切さを訴えていたのではなかったか。栗原の考え方は夢物語だろうか。私はそうは思わない。日本も世界も大きな壁に突き当たっているように思う。日本で言えば少子化、労働力の減少が経済の先行きに暗い影を投げかけ、社会的には児童虐待やいじめによる自殺が後を絶たない。どうも社会が劣化しているように思えてならない。政治的には安倍一強政治のもと、国会議員や厚生労働省の不祥事が相次ぐ。そういうとき栗原の考え方は一つの処方箋とは言えないだろうか。

2月某日
基金連合会に足利聖治さんを訪問、17時に終了。浜松町駅から山手線で田端へ。大谷源一さんへあらかじめ「17時に終わるので17時半頃に西日暮里でどうですか?」とメールを送ると「田端の初恋屋に行かないか」と返ってきたので「了解です」と返す。初恋屋は大谷さんが「刺身がうまい」と絶賛する店。予約がなければ入れないとのことなので大谷さんが予約しておいてくれた。次の予約が入っているため19時までとのこと。刺身は盥に盛り付けて出される。盛り付けも美しいし味も絶品。値段もとてもリーズナブル。

2月某日
原稿料が入ったのでセルフケアネットワーク代表の高本眞佐子さんにランチをご馳走すると連絡。HCM社近くの初めて行く「喰吞をかし」へ。「新虎通り」に面した洒落た外観が前から気になっていた。内装も若い女性に好まれそうな洒落た空間で、お客も若い女性が多くおまけにカウンターの内側も若い女性が2人。ランチはそこそこ美味しかったがオジサンにはいささか敷居が高い。17時に虎ノ門で打合せ終了。18時から室蘭東高スキー部の懇親会があるのでどうしようかと思っていると阿曽沼慎司さんから電話。そういえばこの日、東京に来るというメールがあったっけ。新橋駅の銀座口で待ち合わせ。外は強い雨が降っていた。懇親会は銀座8丁目なのでそのあたりの居酒屋を物色、雨が強いこともあって近くの「お多幸」にする。毎月勤労統計の不正問題などが話題に。役所のガバナンスについてなかなか良いことを話し合った記憶があるが中身は忘れる。このブログのことも話題になって、「俺の個人情報を勝手に漏らすんじゃねーよ」と言われるが、これも忘れたことにしよう。30分ほど遅れてスキー部の懇親会場、「江南春」へ。スキー部の創始者の一人で今は札幌でコンピュータのソフト会社の社長をやっている佐藤正輝が元NECの大郷をともなって上京するというので今回の会合となったようだ。私は生来の運動音痴に加え、スキー部は合宿などでいろいろとカネがかかることもあって1年で脱落した。懇親会に参加したメンバーでは同学年の佐藤と大郷、それと女性で1人だけ参加した中田志賀子さん以外はあまり知らない顔だ。それでも温かく迎えてくれるので感謝。