モリちゃんの酒中日記 3月その1

3月某日
町田康の「しらふで生きる」(幻冬舎 2019年11月)を上野駅構内の書店「BOOK EXPRESS」で購入。この店は品揃えもまぁまぁだし、何より駅構内という利便性に魅かれてちょいちょい利用する。といっても私に読む本の90%以上は図書館で借りたものだから、あまり大きな顔はできないが。町田康は割と好きな作家で作品も結構読んでいると思ったが、今まで読んだのは「パンク侍、斬られて候」と「ギケイキ 千年の流転」、「ギケイキ2 奈落への飛翔」であった。しかし「ギケイキ」は中世に創作された義経記を底本にしつつ時空を突き抜ける怪作であった。私は「ギケイキ」を読んだ後に図書館で日本古典文学全集の義経記を借りて調べたのだが、確かに底本にしていた。ということは古文を解読した上に、奔放なイメージでそれを膨らますという途轍もない才能に町田は恵まれていると言わざるを得ない。しかも私は私立では最難関とされている早稲田の政経学部の入試を突破し、ほぼ授業に出ることなく卒業したという輝かしい学歴を誇っているのだが、町田の経歴には大阪府立今宮高校在学中にロックバンドを結成しデビューしたとある。つまり町田の最終学歴は高卒である。私の気に入っている作家に西村賢太という人がいるが、この人に至っては中学校が最終学歴である。何が言いたいかというと「人間は学歴ではない」という当たり前のことである。学歴と才能はほぼ関係ないのである。「ほぼ」を付したのは、理系に限らず学問的才能は学歴に左右されることが多いと思うためだが、植物学者の牧野富太郎、言語学者の三浦つとむなどは大学へ行っていない。話を「しらふで生きる」に戻す。町田は30年間、1日も休むことなく酒を呑み続けていた。その町田が平成27年12月末日に酒を辞めようと思ってしまう。なぜそう思うに至ったかについても町田は書いているが、どうも私には判然としない。が、町田によれば、歴然と禁酒による利得があるという。それを記すと①ダイエット効果②睡眠の質の向上③経済的な利得、であるが町田はそれに加えて④脳髄のええ感じによる仕事の捗り、を挙げている。町田が酒を辞めようと思ったのは平成27年12月末日、実際に禁酒活動をスタートさせたのは平成28年、すなわち2016年の正月である。「ギケイキ千年の流転」の初版が2016年5月だから、「脳髄のええ感じによる仕事の捗り」が「ギケイキ」を生んだと言えなくもないのである。まぁ私は酒を辞めようとは思いませんが、今のところは。

3月某日
図書館で借りた「おいしいものと恋のはなし」(田辺聖子 文春文庫 2018年6月)を読む。「おいしい料理」と「恋」は表裏一体という観点から田辺の短編から9編を再編集したもので、単行本は2015年に世界文化社から出版されている。田辺ファンの私は9編すべてを読んでいる。田辺の小説だけではないが、同じ本を再読、三読して「あぁ、そういうことか」と思うことがある。この短編集では「ちさという女」がそれだ。27歳の私の同僚の32歳の秋本ちさは私のかの名物女で最古参である。洋裁店や喫茶店を人にやらせ、アパートを経営したりで、親の資産を引き継ぎ働かないでも食べていける身分である。ちさはしかし、会社を辞めることなく、ちまちまと小金をため続ける。同じ会社にいる私の恋人、工藤静夫のことを「工藤サンは、秋本さんが好きやって。尊敬するっていってたわよ」と告げる。1週間ほどたって静夫の誕生日にちさから静夫にバースデイケーキが贈られる。私のちょっといたずらにいった言葉にちさは心を動かしたのだ。この短編は次のように結ばれる。「静夫と結婚して、三歳の男の子がある今になっても、私は、ちさのバースデイケーキを思い出すと胸いたむ。ちさにしみじみした思いを持つようになった」。今回はこれですね。

3月某日
久しぶりに机を置かせてもらっているHCM社に顔を出す。弁当を食べた後、神田の社保険ティラーレで次回の「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせに参加する。「新型コロナウイルス騒動が納まるまで講師や日程の確定はできない」ことで一致。神田から虎ノ門の全国年金住宅融資法人協会(全住協)へ。ここの監事をやっているが新型コロナウイルスの影響で理事会が延期となり、持ち回りで議事録に署名するためだ。釜澤常務から説明を聞いて議事録に署名捺印する。虎ノ門から銀座線で新橋へ。ちょうど上野東京ラインの土浦行きが来たので乗車する。まだ15時台だったので車内もすいていた。

3月某日
図書館で借りた「西村賢太対話集」(新潮社 2012年)を読む。西村賢太は非常に正直で、自分を飾ることの少ない人だと思う。まぁそうでなければ私小説作家などやってられないだろうが。町田康との対談で西村が文芸誌の編集者から、原稿を書く前に「要らない」と言われた経験を話し、町田がそんな編集者は「殴っていい」と応じる。西村は我が意を得たりという感じで「殴っていいですよね。天にツバ吐くのを承知で言えば、それがまかり通るのが今のへなちょこサラリーマン、サラリーウーマンがやっている文芸誌なんですよ。やつら、よその世界じゃ通用しない特権意識と単純な好悪勘定だけですからね。まったく、サル並みですよ」とぶちまける。普通ここまで言わないでしょ、思っていても。芥川賞を西村と同時受賞した朝吹真理子との対談では芥川賞の賞金(100万円)の使い道を聞かれ「いやいや、100万円なんて目じゃなくなっちゃったんです。だって、その後の印税のほうが(笑)。幸い、ちょこちょこと出ていた本の方も、軒並み何回も重版がかかって、一気に3000万円くらい、ポンと通帳に入ったんですよ」と明かす。そして朝吹の「電子書籍も紙の本も共倒れするだけって感じがしますが」という発言に対して「おおっ、そうですね。そう共倒れ! それじゃあダメなんです。きっとそれぞれによさってものがあるんでしょうからね。よしっ、今日はみんなで共に倒れるまで、飲みにいくことにしましょうか!」と応じる。これに対して朝吹が「エッ?……ハ、ハイ」と答えたところで対談は終わる。西村は中卒で実父は性犯罪で実刑を受けている。対して朝吹は慶應大学前期博士課程修了で父は高名な詩人だし血族には文学者や政治家を輩出している。まぁバックグラウンドは対照的な二人だが互いにリスペクトしているのが感じられる。加えて言うと朝吹は美人の範疇、外見も対照的な二人である。

3月某日
コロナウイルス対策で「不要不急」の場合は外出を控えるようにとのお触れが出ているらしい。私は現在まさに「不要不急の人」であるから、外出を控えることにして、家にある田辺聖子の文庫本を読むことにする。以前読んだ「朝ごはんぬき?」(新潮文庫 昭和54年12月)を読むことにする。単行本は昭和51(1976)年に実業之日本社から刊行されているから半世紀近く前の作品である。主人公はハイミス(30過ぎの独身女性のことを当時はこう呼んだ)の明田マリ子。OLのときに失恋して今は大阪在住の人気女流作家、秋本えりか先生の家でお手伝い兼秘書兼イヌの散歩係をしている。月末の締め切り時の担当編集者とのドタバタを交えながら物語は進んでいく。田辺の作品の多くは基本は、ユーモアに包ませながら人生の真実を描いている。えりかの夫は既製服卸問屋の専務、ひとり娘は中学生という家族構成である。この家の家族の関係を田辺は「しかし、この家では朝食はほとんどない、といってよい」と表現する。えりか先生はミルクと半熟卵、夫の土井氏はコーヒーと半熟卵、娘のさゆりちゃんは何も食べずに登校する。つまりバラバラで希薄な家族関係が朝食を通して表される。しかし土井氏が救急車で病院に運ばれた(実は食べ過ぎだった)ときに家族は再結集する。マリ子も別れた恋人からのプロポーズを受けようと決意する。メデタシ、メデタシである。田辺聖子の場合はこれで読者も満足するのである。