モリちゃんの酒中日記 3月その1

3月某日
私は日本の社会主義勢力の硬直性と暴力性にはうんざりしている。先ごろ、日本共産党員が党首の公選制を主張して除名されたが、これなどは硬直性を象徴していると私は思う。一歩の暴力性は主として新左翼に見られる。中核派と革マル派の内ゲバ、ブントや解放派の分裂にともなう内ゲバ、連合赤軍のリンチ殺人…。中核派や革マル派は反スターリン主義を掲げるが、スターリンの粛清と同じようなことをやっているのではなかろうか?そもそもスターリン主義の淵源はレーニン主義にあるのではないか、と私は考える。レーニンが率いたボルシェビキには秘密主義と暴力性がともなっている。帝政下、秘密警察や軍隊の過酷な弾圧という環境を考えると、致し方のない面もあるかもしれない。封建的帝国主義国家で未成熟な資本主義社会から一気に社会主義社会を目指したことに無理があったのかもしれない。こうした無理がソ連崩壊につながり、現在のロシアのウクライナ侵攻につながっているのではないだろうか。

3月某日
レーニン主義への疑問から戦前、獄中にありながらイタリア共産党を指導したグラムシの思想に興味を抱いた。図書館でグラムシを検索したら「グラムシ・セレクション 片桐薫編 平凡社 2001年4月)が出てきた。「セレクション」なので「獄中ノート」はじめ、グラムシの主要図書からのアンソロジーである。グラムシの思想の柔軟性、革新性の一部を感じ取ることが出来たと思う。反合理化はかつて日本の左翼的な労働組合の重要な旗印であったが、グラムシは違った。「イタリアの労働者たちは…コスト低減をめざす技術革新・労働の合理化・企業全体のより完全な自動作業化や技術的組織化の導入にたいし、反対したことなど一度もなかった」。現在で言うとIT化やロボットの導入による生産性の飛躍的な向上に対して労働者は反対するのではなく、生産性の向上で得られる付加価値の増大に対して労働者への分配を要求すべきということだろう。1917年のロシア革命に対しては「あらゆる自主性、あらゆる自由を尊重しなければならない。人間社会の新しい歴史がはじまり。人間精神の歴史の新しい実験がはじまる」と歴史上はじめての社会主義革命に希望を表明している。この希望は裏切られることになるのだが。現代にグラムシの思想は意味があるのだろうか?この問いには20年以上前に書かれた吉見俊哉氏の解説が答えている。
吉見氏は1970年代から80年代の英国で、「サッチャリズムはそれまで英国を支配してきたケインズ主義的福祉国家を正面から攻撃していった」とし、1920年代のイタリアにおけるファシズムの台頭を思い浮かべる。これは現代日本の政治状況では安倍元首相が、それまで自民党政治の主軸であった自民党宏池会による、福祉の重視、軽武装を転換し、防衛力と日米同盟の強化へと舵を切ったことを思い出させる。グラムシの思想は明らかにレーニンやスターリンが主導したロシアマルクス主義とは異なる。日本では1960年代に日本共産党から分派した構造改革派に受け継がれていると思う。学生組織ではフロントや共学同、労働者組織では社労同や共労党があった。今はもうないんだろうけれど。私としてはグラムシはもう少し勉強してみたい。我孫子市民図書館にはあまり期待できないので、今度、丸善にでも寄ってみよう。

3月某日
「ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた」(斎藤幸平 KADOKAWA 2022年11月)を読む。斎藤の前著「人新世の『資本論』」は面白く読ませてもらった。それはマルクスの思想の新しい解釈として「へぇーそうなんだ」と感心した程度で、斎藤についても「優秀な学者」程度の認識であった。今回「ぼくはウーバーで…」を読んで斎藤は「優秀な学者」に止まらず、世界の現実と向き合う「優秀な運動家」の側面があることがわかった。運動家といっても政党や団体に所属する運動家ではない。自立した一市民としての運動家である。私は前回読んだグラムシの思想と通底するものが斎藤にはあるのではないかと考えている。本書は毎日新聞に連載されたものに書下ろしを加えたもので、基本的には斎藤が取材しまとめている。斎藤は学者や運動家に止まらず優れたジャーナリストでもあるわけだ。初回の「ウーバーイーツで配達してみた」は斎藤が実際にウーバーで働いた記録である。ウーバーのように「特定の会社で働くのではなく、オンライン上でその場限りの仕事を請け負う労働形態は『ギガワーク』と呼ばれる」が、斎藤の感想は「ギガワークはAIやロボットにやらせるとコストが高すぎる作業を人間が埋めているような虚無感が残る」というものだ。斎藤は労働現場を訪ねながら「労働とは」「労働の価値とは」を問い直して行く。保育の現場を取材して「保育士だけではない、看護師、介護士清掃員、小中高の教員。私たちの日々の生活に必要なエッセンシャルワーカーに甘えすぎていないだろうか」という感想を抱く。東京オリンピックについて最近、汚職や談合の事実が明らかになってきているが、斎藤は「五輪の陰 成長へひた走る暴力性」でその問題点を指摘している。斎藤は思想家にして運動家、そして優れたジャーナリストである。そういえばマルクスも思想家にして革命家であり、若い頃はライン新聞などに寄稿するジャーナリストだった。

3月某日
小中高校を同じ学校に通った山本君と我孫子駅改札で待ち合わせ。駅前の居酒屋「しちりん」に行く。一人飲みではなく2人以上で呑むのは1月の石津さん、本間さんと呑んで以来。ということでいささか呑み過ぎ、後半は記憶が飛んでいる。後で山本君から写メが送られてきたが私は寝ているね。

3月某日
「香港陥落」(松浦寿輝 講談社 2023年1月)を読む。太平洋戦争の開戦直前、直後、戦後の香港を舞台にした物語である。目次には「香港陥落」として「1941年11月8日土曜日」「1941年12月20日土曜日」「1946年12月20日土曜日」、「香港陥落―SideB」として「1941年11月15日土曜日」「1941年12月20日土曜日」「1961年7月15日土曜日」という文字が並んでいる。アヘン戦争後、香港は英国に割譲され英国の植民地となった。香港政庁に務め後にロイター通信香港支局に雇用される英人のリーランドが主人公というか狂言回し役を務める。そうだな、主人公はむしろ香港という街そのものかもしれない。リーランドはウエールズで生まれ育った。英国はイングランド、スコットランド、ウエールズ、北アイルランドの4つの地方に分かれている。日本人にはあまり理解できないが、それぞれの地域に独特の気風が残っている。それはさておきリーランドは日本人の谷尾悠介、香港人の黄(ホアン)と親交を結ぶ。黄と同棲しているのが英人の画家グウィネス。そしてローレックスのまがいものをリーランドに売りつけた沈(シユン)が主な登場人物だ。私はこの魅力的な物語を読みながら現下のウクライナ戦争に思いをはせる。日本軍に占領されようとする香港がロシアの侵攻にさらされるウクライナを彷彿とさせるのだ。香港は3年8カ月の占領のあと、日本の敗戦により解放される。ウクライナはどうなるのか?