モリちゃんの酒中日記 3月その4

3月某日
春分の日。ブルゾンのファスナーが動かなくなったので北千住の駅ビルの「ユニクロ」で買い替え。昼間から空いている居酒屋が結構あるのがさすが北千住。「ちょい飲み酒場 酔っ手羽食堂」に入る。チェーン店のようだが、中ジョッキ380円、大関1合390円、串焼きが1本100円と手ごろな値段が魅力。隣の1人で呑んでいた中年の女性に話しかけられる。お彼岸のお墓参りの帰りだそうだ。木場の材木商の生まれで今は高井戸で商売をやっているという。高井戸にはミサワホームの総合研究所や日本年金機構、浴風会などがあるので多少土地勘があり話が合った。

3月某日
図書館から借りた「98歳になった私」(橋本治 講談社 2018年1月)を読む。橋本は東大生の頃、五月祭か駒場祭のポスターで有名になった。「止めてくれるなオッカサン、背中のイチョウが泣いている」というコピーに、上半身裸の東大生が日本刀を抜いて背中にはイチョウのマークの彫り物が彫ってあるイラストだったと記憶している。コピーもイラストも橋本の作だったと思う。1968年のことだと思うからよく覚えていると我ながら思うし、それだけ衝撃的なポスターだったのかもしれない。その後橋本は「桃尻娘」で小説家としてデビュー、古典の現代語訳にも手を染めている。橋本は私と同じ1948年生まれだから今年70歳である。ということは1968年には20歳、98歳のときは2046年ということになる。その頃の「私」は震災に襲われた東京を離れ、栃木県の杉並木の近くの仮設住宅に住んでいる。家族はいない。介護士やボランティア、そして「私」のファンがときどき訪ねて来る。私は面白く読んだ。98歳になる自分はとても想像することさえできないのだが、この小説は確かに想像力を刺激してくれるし、一人ぽっちの98歳も悪くないかもと思えてくる。

3月某日
音楽運動療法研究会で宇野裕事務局長とヘルパーさんをインタビュー。JR板橋駅で待ち合わせ。すでに板橋に着いているという宇野さんが見当たらないので東口に出る。近藤勇の墓が駅前にありそこを過ぎるとインタビュー場所の喫茶店「ケルン」が見える。北区の高齢者施設の施設長で音楽運動療法研究会のメンバーでもある黒沢さんが、ヘルパーの箭内道子さんを連れてきたので3人でケルンに入る。遅れて宇野さんが登場。箭内さんは介護保険の開始前から北区でヘルパーをやっているというベテラン。もともと歌が好きということもあって「だまって車椅子を押すよりは」ということで歌を唄いだしたという。ただ音楽を嫌いな人もいるし、箭内さんが唄うのはもっぱら歌謡曲だが、歌謡曲が苦手という人もいるから決して「押し付けない」のが鉄則。だが歌を聞くことで認知症の利用者の表情が明るくなるし、利用者とのコミュニケーションを図る上でも有効らしい。箭内さんは今年70歳でヘルパーを始める前は「普通の主婦」だったというが「普通の主婦」畏るべしである。帰りに宇野さんと近藤勇の墓所に寄る。近藤は戊辰戦争の転戦中に下総流山でとらえられ板橋で斬首される。首は京都で晒されたが胴体は板橋に葬られた。のちに新選組副長の土方歳三、永倉新八も合葬されている。しかし土方は五稜郭の戦いで戦死しているが遺体は確認されていないと思うから、遺骨が葬られているわけではないはず。

3月某日
愛宕山で花見。待ち合わせ場所は曲垣平九郎が馬で登ったという愛宕神社の階段前。HCMの大橋社長と少し早めに着いたので先に花見を終え、階段近くの小西酒店でワインを呑んでいると中村秀一さん、次いで吉武民樹さんが顔を出す。3人で呑んでいると待ち合わせ時間の18時になったので階段前に行くと住宅保証機構の副社長の小川さんが待っていた。次いでNHKの堀家さんと「福祉の街」の安藤会長が来る。2人が花見から帰るのを待って呑み会会場の霞が関ビルの東海大学校友会館に向かう。「にんじんの会」の石川理事長、「ふるさと回帰支援センター」の高橋理事長も来たので取り敢えず乾杯。元長岡市長の森民夫さん、厚労省の濱谷老健局長、伊原審議官、元宮城県知事の浅野史郎さんなども来てくれた。新潟県佐渡市の副市長をやっている藤木さんから日本酒が差し入れられた。国土交通省の伊藤明子住宅局長も来てくれた。花見の会は4年ぶりくらい。これだけ来てくれるのなら毎年やろうかな。