モリちゃんの酒中日記 3月その4

3月某日
図書館で借りた「客室乗務員の誕生―『おもてなし』化する日本社会」(山口誠 岩波新書 2020年2月)を読む。「はじめに」で「本書は、これまで学術的に通観されることのなかった日本の客室乗務員の歴史を分析の縦糸として、その時々の新聞や雑誌の記事、テレビ番組、広告などに描かれたメディア言説を分析の横軸として用いることで、時代とともに変遷してきた日本の客室乗務員のイメージを復元し、その社会的意味を観光社会学の視覚から考察することを試みる」と述べられている。キーワードの一つは「感情労働」であろう。以前、看護師や介護士の仕事を「感情労働」と位置づけした本を読んだことがあるが、客室乗務員の仕事も紛れもなく感情労働だろう。本書でもアメリカの初期の客室乗務員の多くは女性看護師だったことが明らかにされている。スチュワーデスからCA(キャビンアテンダント)への名称の変遷、テレビドラマに取り上げられた客室乗務員(「スチュワーデス物語」(主演は堀ちえみ)、「アテンションプリーズ」(主演は紀比呂子))の分析も鋭いものがある。制服の変遷からその時代の雰囲気を読み取ろうとしているのも見逃せない。

3月某日
家にあってまだ読んでいなかった「イエスの生涯」(遠藤周作 新潮文庫 昭和57年5月)を読む。何日か前の朝日新聞に「ブレイディみかこ」が自分は九州の隠れキリシタンの末裔で、愛読書は「イエスの生涯」としていたからだ。遠藤周作は1923(大正12)年生まれだから私の父母と同じ歳だ。96年に死んでいるから享年73ということになる。解説(井上洋治、この人は神父で遠藤と親交があったらしい)によると、本作は遠藤が50歳のときの作品で、「遠藤氏の心にまかれたキリスト教信仰の種が、成長し円熟し、鮮やかに開花したもの」としている。私の理解では民族宗教のユダヤ教を源とするキリスト教はイエスの死後、ローマ帝国などの幾度かの禁教、弾圧を経ながら世界宗教への道をたどる。遠藤は文字通り「イエスの生涯」をたどりながらローマ帝国の属州だったユダヤに生まれた原始キリスト教団の本質に迫ろうとする。銀30枚でイエスを裏切ったユダだけでなく、イエスの逮捕とともに弟子たちは四散する。しかしイエスの刑死、復活を経て弟子たちは再び集い、イエスの生前の言行をたどりながら現在のキリスト教の教義の原型を形成させていく。
イエスはその生年も没年も明らかではない。母マリヤが処女懐胎してイエスは生まれたとされ、大工の養父ヨゼフのもとで自らも大工の仕事に就く。イエスが仕事と家庭から離れてナザレの預言者ヨハネのもとに身を投じたのは、「30歳から40歳の間ではなかったか」と遠藤は記している。ヨハネ教団で洗礼を受けた後、イエスは独自の活動をするようになり次第にユダヤ教の改革者としてのイメージを民衆に抱かれるようになる。民衆たちは改革者のイメージにユダヤのローマ帝国からの独立という革命者のイメージを重ね合わせたかもしれない。イエスの逮捕から刑死までを遠藤は聖書の「受難物語」として描く。受難物語の最大の特色は無力なイエス、無能なイエスを「前面に大胆にもおし出している点にある」と遠藤は書く。磔刑されたイエスは「主よ、主よ、なんぞ我を見棄てたまうや」(エロイ、エロイ、ラマサバクタニ)と叫んだとされる。これは詩編22編の悲しみの訴えだが、遠藤は次のようにイエスの心境を追う。詩編22編に現在のイエスの心を追いながら「我 わが魂をみ手に委ねたてまつる/主よ まことの神よ/汝は我をあがなわれたり」の詩編31編の句に転調していったとする。遠藤は受難物語の無能、無力なイエスにこそ「イエスの教えの本質的なものを感ずるのである」とするが、これは遠藤の代表作「沈黙」とも通ずる考えである。

3月某日
熊野純彦の「マルクス 資本論の哲学」(岩波新書 2018年1月)の「まえがき」で「世界革命はこれまで二度おこっている、一度目は1848年であり、二回目は1968年のことだった」とI・ウォーラーステインの言葉が紹介されている。1968年と言えば私が早稲田大学に入学した年である。確かに68年の5月にフランスで5月革命があり、「革命」の炎は当時の西ドイツ、アメリカ、イタリアなどへ広がった。日本でも前年の1967年10月8日の佐藤栄作首相の訪米阻止闘争が三派全学連を主体に羽田で闘われた。日本の学生反乱の本格的な幕開けであった。同じ10月8日、地球の裏側の南米ボリビアではキューバ革命を指導したチェ・ゲバラが捕らわれ、正式な裁判を受けることもなく翌日、銃殺されている。図書館で借りた「1968年の世界史」(藤原書店編集部編 2009年10月)は「日本国内のみならず世界各地で同時的に発生したこの『68年』の出来事を世界史の中で照射することを企画した書物」(はじめに)ということになる。現在、2020年の新型コロナウイルス騒ぎは、その世界性において1848年と1968年の二度の世界革命にも比すべきものと私は考えるのだが。

3月某日
早稲田大学時代に同級生だった清眞人氏は政経学部を卒業後、文学部の大学院に進んだ。清君は当時、民青系の指導者で私たちのクラスの全共闘系グループとは対立関係にあった。なんだけど私たちのグループで文学部へ学士入学した近藤百合子さんと結婚し、大学院の博士課程を修了した後、近畿大学で哲学を教えていた。確かドイツへも留学した。その清君から「今度、藤原書店から『高橋和巳論-宗教と文学の格闘的な契り 』 という本を上梓した」という手紙をもらった。高橋和巳は私たちの世代に非常に人気のあった作家だった。京都大学で中国文学を専攻、大学院を経て京都大学で中国文学の教鞭をとる傍ら作家活動に入る。京大の前に明大でも教えていたかも知れない。私も高橋和巳は夢中になって読んだ経験があるので、早速、購入することにして送料込み6000円を指定口座に振り込んだ。定価は6200円+税なんだけれど、著者割引ということね。送られてきた本は上製本600ページの大著。私はベッドに寝ころびながら読書をするのが常なのだが、これはちょいときつい。ちなみにキッチンの秤で測ったら809グラムあった。それはそれとして新型コロナウイルスで不要不急の外出は自粛ということなので、早速、読み始めることにした。

3月某日
「高橋和巳論-宗教と文学の格闘的契り」(清眞人 藤原書店 2020年4月)を読む。600ページという厚さは私が今まで読んだ本の中では一巻本としては最大ではなかろうか。分量はさておきこの「高橋和巳論」は内容的にも私には十分満足できるものであった。私は読み終えて「吉本隆明の 『 マチウ書試論」に匹敵するな」と思ったほどである。全体は四つに分かれている。高橋文学の特徴を「宗教と文学の格闘的契り」「文学的人間と政治的人間の対話劇」などをキーワードにして明らかにする「総序」、そして第Ⅰ部「悲の器」としての人間、第Ⅱ部救済と革命、第Ⅲ部女たちの星座、だ。私が最も興味を魅かれたのは第Ⅱ部救済と革命である。第Ⅱ部には「憂鬱なる党派」「わが心は石にあらず」「邪宗門」「堕落」「散華」「日本の悪霊」そして「わが解体以降」、というサブタイトルが付されており、これらの作品について論を展開しているのはもちろんなのだが、私はそこに著者の戦後左翼革命思想の批判的な検討を読み取り、大いに共感するところがあった。私の考えるところレーニンに始まるマルクスの後継者は、特殊ロシアで成功したに過ぎないボルシェビキ・レーニン主義を全世界に適用させようとした誤りを犯した。レーニン主義に抗したのはドイツのローザ・ルクセンブルグ、イタリアのグラムシ、トリアッチ、ユーゴのチトーなどの一部に過ぎない。日本の新左翼各派にしてもレーニン主義(組織運営上はスターリン主義と変わらない)の軛から完全に逃れえた党派があったのだろうか。社青同解放派が綱領的文書(?)の「共産主義の旗を奪還するために」(滝口弘人著)でローザを高く評価したのは覚えているが、しかしその解放派も革共同革マル派との内ゲバを繰り返す過程でレーニン主義的に純化していった。グラムシの日本における後継者たる構造改革派にしても70年代には著しく「軍団化」していたように思う。
「高橋和巳論」に戻ろう。といっても私はここで本文よりも「批判的参照軸集」で著者が取り上げた小嵐九八郎、植垣康博、永田洋子にこだわりたい。小嵐九八郎は作家で、著者は小嵐の「蜂起には至らず―新左翼死人列伝」から小嵐の高橋和巳観や歴史観に批判的な検討を加えていく。激しさを増してきた内ゲバに対して、高橋はそれを克服するための提案を行うが、小嵐は高橋に対する敬愛の念は披瀝しつつ、その提案の非現実性を強調する。これに対して著者は、新左翼諸党派の「旧左翼性」に対する「真摯な苦悩の表明といったものはない」とする。私は「蜂起には至らず」は未読なので何とも言えないが、小嵐の小説(「水漬く魂」「彼方へのわすれもの」「あれは誰を呼ぶ声」など)には十分とは言えないまでも「苦悩」が表明されていると思うのだが。植垣康博の「兵士たちの連合赤軍」「連合赤軍27年目の証言」を踏まえながら著者は、日本の新左翼や全共闘の反乱を分析する。私は当時の学生運動の主体が当たり前ではあるが「学生」だったことに着目する著者の視点に賛成したい。学生は「生活のリアリズム・人間の抱える自己矛盾と弱さについてのリアルな認識・容認」ができない、であるが故に急進的、観念的革命運動に「主体的」に参加していくということだ。「批判的参照軸3」は永田洋子の四著作「16の墓標」「続16の墓標」「私 生きています」「獄中からの手紙」から永田の連合赤軍時代と捕らわれて以降の心理と思想を分析する。著者は永田をある面では評価しつつ批判しているのだが、私が最も共感したのは彼女の(それはもしかしたら50年前の私だったかもしれない)「意識の妄想化」である。1969年段階では火炎瓶とゲバ棒では最早、機動隊に勝利できないことは自明のことであった。そこから当時の赤軍派と京浜安保共闘は武装闘争路線を歩み、ついには連合赤軍事件に至る。武装化路線は今にして思えば「妄想」そのものとか言えない。言えないのだけれどねぇー…。私はこの本を読んで初めて知ったのだが、彼女は新しい革命運動を保証する全体的な組織体制を展望していた。一党独裁からの決別、個性的人格に対する深い配慮とか、まぁブルジョア民主主義では当たり前なのだが、それが日本の左翼にはできてなかったんだよね。