モリちゃんの酒中日記 3月その4

3月某日
「ひそやかな花園」(角田光代 講談社文庫 2014年2月)を読む。たまたま我孫子の本屋で目にした。新刊本でもないので平積みされていたわけではなく、講談社文庫の角田光代のコーナーに差し込まれていた。角田光代は割とよく読む作家なんだけれど、「紙の月」を去年読んで以来、「人生の深淵を描いているなぁ」と思うようになった。「ひそやかな花園」はAID(非配偶者間人工授精)によって産まれた7人の男女の物語だ。7人は母親同士が同じクリニックで不妊治療を受け、幼少期の数年間、夏休みの数日を同じ別荘で過ごしたという共通の記憶を持っている。AIDということは実の父親、つまり母親の卵子にたどり着いた精子の持ち主は母親の夫ではないことを意味している。角田光代はAIDを通して家族の絆とは何か、親子とは何か?もっと言うなら「人生の幸せとは何か?」を描きたかったように思う。7人は成長して歌手やイラストレーター、広告代理店勤務、親の会社の役員などになっている。しかしプロローグとエピローグは職を転々とし容姿も冴えない紗有美の視点から描かれている。結論を言っちゃうと冴えない紗有美が自己肯定へ転ずるのだ。自分の日常に幸福を見出すわけね。この結論に至るまでが何ともミステリアスで読ませる。

3月某日
1週間ぶりで東京へ。西新橋の社会保険福祉協会で「保健福祉活動支援事業」運営委員会に介護経営コンサルタントの堀口先生や小規模多機能など福祉事業の経営者の柴田先生と出席。素人の私が出席するのはおこがましいが、勉強になるので出席している。運営委員の任期は2年で今年3月末で切れるのだが、あと2年運営委員を委嘱されてしまった。少し勉強しないとね。

3月某日
「太平天国の乱―皇帝なき中国の挫折」(菊池秀明 岩波新書 2020年12月)を読む。太平天国の乱とは清末に起こったキリスト教を基盤とし洪秀全をリーダーとした内乱程度の知識しかなかったので今回、この本を読んでいろいろなことを知ることができた。太平天国の主張は、キリスト教という外来思想の影響を受けながらも、儒教の「貧しきを憂えず、等しからざるを憂う」という中国古来の伝統的価値観への回帰をめざすものだった。一種の原理主義で清末の世俗的な価値観とは相容れなかった。著者はこれを人民公社を設立して人々の画一的な生活を理想とした毛沢東時代と鄧小平の改革・開放路線の先取りではないかとしている。太平天国は清朝皇帝を否定する。太平天国で皇帝を名乗るのは上帝ヤハウエのみで洪秀全は真主とされ、救世主イエス・キリストの弟という位置づけだった。太平天国が発生したのは1850年、滅亡したのは1864年である。日本でいえばペリー来航(1853年)の少し前に発生し、禁門の変の年に滅亡した。アメリカの南北戦争が1861年から65年だから世界史的な激動のときだったのかも知れない。

3月某日
「小さいおうち」(中島京子 文春文庫 2012年12月)を読む。先日、テレビでこの小説を原作にした映画を放映していた。主人公の女中タキを倍賞千恵子、回想シーンの少女時代、戦前のタキを黒木華、若く美しい奥様を松たか子、奥様と許されぬ恋に落ちる青年、板倉を吉岡秀隆が演じていた。私たちは昭和20年8月15日の終戦までの日本を、特高警察が暗躍する暗い時代と想像しがちだ。むろん、共産主義を信奉する左翼にとってはそうかもしれないが、庶民とくに東京の山の手に暮らす、この小説に出てくる一家などにとってはそれなりに暮らしやすい時代だったのではないか、と思う。戦争も当初は真珠湾奇襲の成功や、シンガポール陥落など連戦連勝であった。それがミッドウェー海戦の敗北以降から日本軍の敗勢が明瞭になっていく。この物語でも奥様は夫と一緒に空襲で亡くなる。タキは戦後も女中を続けるが「小さいおうち」のような家庭に出会うことはなかった。この小説は戦時下の山の手の中流家庭と、戦争によるその暮らしの崩壊を描く。反戦小説としても読むことができる。

3月某日
社保研ティラーレで「地方から考える社会保障フォーラム」の会議。社会保険研究所の松澤、水野氏、社保研ティラーレの吉高会長、佐藤社長と私が参加。4月のフォーラムの参加者は低調、「泣く子とコロナ」には勝てない。次の会はオリンピック後。ポストコロナでの会の在り方を考えて行かなければならない。社保研ティラーレの後、虎ノ門のフェアネス法律事務所へ。

3月某日
図書館で借りた「今夜、すべてのバーで」(中島らも 講談社文庫 2020年12月)を読む。中島らもは1952年兵庫県尼崎市に生まれる。確か中学から灘に進学してる。高校から酒や薬物に親しんで灘高と言えば進学校だが、らもは大阪芸術大学に進む。2004年に転落事故で死んでいる。「今夜、すべてのバーで」の前に読んだのが中島京子の「小さいおうち」で、同じ中島姓だが二人は関係ない。しかし二つの小説には驚くべき共通点があった。それは「赤マント、青マント」のエピソードである。「小さいおうち」では、ぼっちゃんが学校で赤マント、青マントの話を聞いて眠れなくなるというエピソードが紹介されている。「今夜、」では、アル中で入院中の主人公がアル中の現実を受け入れるか、アルコールの海で入水自殺するかという不毛な選択に悩むとき、「赤マント、青マント」という「古くから全国スケールで、子供たちの間に連綿と継承されている」話を思い出す。たまたま続けて読んだ二冊の小説に「赤マント、青マント」という同じエピソードが紹介されていたわけだ。中島らももアル中で苦しんだらしいが、中島らもの分身とも言えるのが主人公の小島容。アル中治療のために入院し、医師や自分自身との葛藤を通して退院へ至る過程がリアルに描写される。アル中のリアルな描写はさすがに中島らもである。巻末に引用文献と参考文献が列記されている。リアルな描写には根拠があるのだ。

3月某日
13時過ぎに社保研ティラーレで吉高会長と佐藤社長に面談。15時に虎ノ門のフェアネス法律事務所。神山弓子さんに渡邊弁護士を紹介。夕方、大学の同級生の雨宮弁護士から携帯に電話。やはり大学の同級生だった清君が上京するので久しぶりに呑み会を予定。雨宮先生の事務所は西新橋なので「今、虎ノ門なのでこれから行きます」と電話する。雨宮先生の事務所で日本酒をご馳走になる。