4月某日
亀山郁夫の「大審問官スターリン」でいくつかのことを書き忘れていた。ひとつはタガンツェフ事件である。地質学者のタガンツェフが組織されたとされる反革命陰謀事件で、死刑判決および逮捕の際に殺されたもの96名(うち16名が女性)、強制収容所送り83名、という大規模な犠牲者を出した。ソ連崩壊後の調査では、「そうした政府転覆を目的とした陰謀組織はいっさい存在しなかった」とされた。私はこれを読んで大逆事件を連想した。大逆事件も菅野須賀子などを除いて幸徳秋水らは大多数の被告は事件と無関係だった。もう一つは帝政時代のスターリンが秘密警察の協力者だったことを証明するファイルの存在だ。このファイルは赤軍幹部の手に渡り、赤軍幹部たちはスターリンの処分を巡り激しい論争を繰り広げた。スターリンは反撃に転じてトゥハチェフスキーらの赤軍幹部をNKVDに逮捕させ、軍人らに死刑が宣告された。一時はスターリンの盟友で「党の寵児」とも呼ばれたことのあるブハーリンにも、彼を含む18名の被告とともに死刑の判決が下された。ブハーリンは獄中からスターリンに「抗議するつもりはまったくない。私の罪は万死に値する」と手紙を送っている。今の私たちからすればこうしたブハーリンの行為は不可解であり、おぞましくも滑稽でさえある。しかし半世紀前の日本において連合赤軍幹部が兵士に死刑を宣告したり、リンチの挙句死に至らしめた事件があったが、そのときも殺された兵士たちの心境は「私の罪は万死に値する」と似たようなものであった。スターリン主義の限りなく深い闇。
4月某日
山田詠美の「血も涙もある」(新潮社 2020年2月)を読む。主要な登場人物は4人。料理研究家の沢口喜久江、50歳。その夫で10歳年下のイラストレーターの太郎。喜久江のアシスタントで太郎の不倫相手である和泉桃子、35歳。太郎の美大の同級生で友人の中学の美術教師、玉木。山田詠美の作中登場人物はいつも生き生きとしている。それに今回は料理研究家が主人公だから、喜久江が手掛ける美味しそうな料理も登場人物(?)に加えたい。日常の中の波乱が本作のテーマ。
4月某日
大学の同級生5人と会食。弁護士をやっている雨宮先生の事務所に集合ということで、弁護士ビルの1階でエレベーターを待っていると内海純君が来る。内海君は学部を卒業した後、商学部の大学院に進学していすゞ自動車に就職した。雨宮先生と内海君と私の3人でお茶を飲んでいると、大阪府堺市在住の清眞人君が来る。清君の奥さんも同級生の旧姓近藤百合子さんだが、少し遅れて新橋駅からタクシーで来るという。外に出て待っていると百合子さんがタクシーで来る。雨宮先生が予約していた近くの居酒屋へ行く。雨宮先生とはこの間呑んだし内海君とも呑む機会はあるが、清君とは卒業以来だ。というか清君は在学中はバリバリの民青だったので、全共闘系の私たちとはあまり会話もなかった。清君は学部を卒業した後、文学部の大学院に進学、哲学を専攻して博士課程を修了した。文学部に学士入学した百合子さんと親しくなって結婚した(と思う)。雨宮先生は就職が内定していたがそれを断って司法試験に挑戦、合格後、検事になって弁護士となった。もう一人、今日は欠席したが岡超一君は伊勢丹に就職した。今日、欠席の吉原君も全共闘側だったが確かアメリカかメキシコに留学後、三鷹市の社協で働いていた。私が「(同級生だった)小林はブントの戦旗派になって神奈川で学校の事務員になったまでは聞いているのだけど、その後分からないんだ」というと清君が「大学院の頃に小林にブントに行くと言われた」とポツリ。うーん、50年も経つといろいろあるけれど、会って話すと50年の歳月もどっかへ行ってしまう。
4月某日
「池田大作研究-世界宗教への道を追う」(佐藤優 朝日新聞出版 2020年10月)を読む。大変面白かった。600ページ近い大著を2日足らずで読んでしまった。池田大作にしろ創価学会にしろ今まで知らなかったことを知ることができた。創価学会は初代会長の牧口常三郎によって1930年に創立された。戦時中に国家神道に従わない創価学会は弾圧され、牧口は2代会長となる戸田城聖とともに逮捕、投獄され牧口は獄死する。戸田に見出されたのが池田で戸田を補佐して夕張炭労事件や大阪事件を乗り切り、戸田の死後3代会長となる。夕張炭労事件というのは、創価学会の政界進出に危機感を抱いた夕張の炭労が組合員の創価学会員に「学会を脱会しなかったら組合を除名する」と迫り、学会は憲法の信教の自由を盾に炭労に勝利した。大阪事件は参議院選挙の大阪選挙区での買収容疑で池田自身が逮捕起訴され一審で無罪を勝ち取った事件である。
サブタイトルとなっている「世界宗教への道を追う」の意味は何か。世界三大宗教としてキリスト教、イスラム教、仏教があげられるが、このうち世界宗教と呼べるのは、キリスト教だけではないか(個人の考えです)。仏教は確かに東アジア、東南アジアを中心に世界的に展開しているもの基本的には布教は一国に止まっている。イスラム教も中東ではシーア派、スンニ派が国境を越えた布教活動を行っているが、中東以外では国内に止まっているように見える。対してキリスト教はどうか?佐藤優はキリスト教はユダヤ教と別れて以来、世界宗教の道を歩んでいると見る。カトリック、プロテスタント各派、ロシア正教とも国境を問わず、教えを広めていくことが使命とされている(と思う)。創価学会は1975年に創価学会インタナショナル、SGIを設立し、世界宗教への道を鮮明にさせている。学会は1991年に宗門、日蓮正宗から離脱した。佐藤はこれを民族宗教としてのユダヤ教からキリスト教が分離し、世界宗教への道を歩み始めたことを連想させるとする。佐藤の考えは正しいと思うが、私はSGIにレーニンが創設した共産主義インターナショナル(第3インターナショナル)の無意識の影響を見る。第3インターは国際共産主義の名のもとに革命、ロシア革命の輸出を試みた。SGIは世界広宣流布の名のもとに宗教としての創価学会の各国、地域への布教を目指していると言えないだろうか。まっ私見ですけれど。にしてもプロテスタント信者である佐藤の書いた「池田大作研究」はいろいろなことを考えさせる好著であった。
4月某日
「銀の夜」(角田光代 光文社 2020年11月)を読む。初出は「VERY」(2005年7月号~2007年6月号掲載)とある。初出の雑誌連載から単行本になるまで15年という時間がかかっている。「あとがき」にそのわけが記されている。作者の角田が2017年の暮れに仕事場の大掃除をしていたら校正刷が出てきた。が内容にもタイトルにも覚えがない。「見覚えのない校正刷が出てきてこわい」とSNSに記入したら、雑誌「VERY」に連載したものでは?という指摘があった。記憶がよみがえり、連載終了後「この小説はだめだと思い」、全体的になおすつもりで校正刷をもらった。当時、角田はもっとも忙しい時期で、締め切りに追いまくられ、校正刷は手つかずのまま記憶の底に沈められてしまった。改めて出版の打診を受けて読み返すと、「なおせない」と角田は思う、「ここに、私はもう入れない」という感覚だったという。小説の主人公は十代にちょっとしたメジャーデビューを果たした3人の30代の女性、夫が浮気をしていることを知りつつ嫉妬を感じない片山ちづる、早くに結婚して母となった岡野麻友美、帰国子女で独身の草部伊都子である。この作品は角田が「対岸の彼女」で直木賞を受賞したころの作品である。「銀の夜」は3人の主人公がそれぞれに自立を遂げようとする物語である。「対岸の彼女」も2人の女子高生がアルバイトや家出をしながら自立していくという物語であったと思う。二つともストーリー展開は巧みだし、読後感は爽やかなのだ。