モリちゃんの酒中日記 4月その4

4月某日
「ゼロからの『資本論』-一番わかりやすいマルクス入門」(斎藤幸平 NHK出版新書 2023年1月)を読む。これでも私は1960年代末から70年代初頭にかけて学生運動に積極的に参加し、世間からは過激派などと呼ばれたものです。当時の学生運動を担っていたのは左翼で、今では信じられないが共産主義や社会主義の実現のための学生運動だった。マルクスやレーニンの書物は必読書で、勉強嫌いな私でもマルクス、レーニンのいくつかは読んでいた。当時は初期マルクスの疎外論が人気で私も「経済学哲学草稿」「ドイツイデオロギー」は読んだ記憶がある。さてあれから50年以上が経過して再びマルクスに脚光が浴びようとしている。仕掛人の一人が本書の著者の斎藤幸平で前著の「人新世の『資本論』」はベストセラーとなり、斎藤も職場が大阪市大から東大へと「出世」した。
マルクスは大学で博士号を取得した後、ライン新聞で編集者として働き始め、木材討伐の記事に健筆を揮う。暖房や煮炊き用に枯れ枝を拾う人が検挙されたことに抗議し、批判したのだ。枯れ枝は当時の人々にとっての共有財産=社会的富だったのである。「かつては誰もがアクセスできる〈コモン〉(みんなの共有財産)だった『富』が資本によって独占され、貨幣を介した交換の対象、すなわち『商品』になる」「例えば飲料メーカーが、ミネラル豊富な水が湧く一帯の土地を買い占め、汲み上げた水をペットボトルに詰めて『商品』として売り出してしまう」と斎藤は批判する。これは旧ソ連や中国などの社会主義国でも同様である。斎藤はこれらの「社会主義国」を民主主義の欠如した「政治的資本主義」「国家資本主義」と規定する。そして「格差や搾取、戦争や暴力、植民地支配や奴隷制の問題に向き合い、国家の暴走に抗いながら自由や平等の可能性を必死に考えようとした思想家たちの、知恵と想像力から学ぶことが求められます」と訴える。衆院補欠選挙と統一地方選では共産党と立憲民主党が後退し、維新が躍進した。古い左翼は没落し、都市型の改革型保守が票を集める。ファシズムの予感とならないことを願うのみである。

4月某日
「また会う日まで」(池澤夏樹 朝日新聞出版 2023年3月)を読む。四六判で700ページを超す大著だが、大変面白く二日で読み切ってしまった。年金生活者ですから時間だけはたっぷりとあるのです。海軍兵学校出身で軍艦勤務の後、海軍水路部で長く海図の作成や気象学などに携わり、終戦時には海軍少将だった秋吉利雄の物語である。と同時に九州福岡にルーツを持つ一族の物語でもある。池澤夏樹は1945年に北海道帯広に生まれる。父は小説家の福永武彦、両親の離婚により母と上京、母親の再婚により池澤姓となる。本書には福永武彦も実名で登場する。秋吉は水路部で海軍軍人という身分ながらむしろ研究者としての道を歩み、性格も温和だった。その秋吉はまた熱心な聖公会の信者でもあった。戦前、戦中の軍国主義下でのキリスト教信者であり海軍将校という立場。加えて海軍兵学校を出た後、東大理学部で物理学を学んだ自然科学者としての立場。この立場が物語に陰影を与えていると思う。池澤夏樹の母親の再婚相手の池澤さんを私は知っている。確か池澤喬さんといって知り合った頃はコーポラティブハウスの普及に尽力されていた。秋吉が通った聖公会三光教会は白金三光町にあった。震災の翌年、司牧者となったのが野瀬秀敏師とある。私が業界紙の記者をやっていたときの同僚が野瀬善郎さんといって確か牧師の息子であった。秀敏師と関係があるかも知れない。残念なことに善郎さんは10数年前に亡くなっていて確かめるすべがない。というようなわけで、この小説は私にいろいろなことを思い出させてくれた。

4月某日
「老人ホテル」(原田ひ香 光文社 2022年10月)を読む。我孫子市民図書館で借りたのだが、人気があるらしく裏表紙に「この本は多くの人の予約が入っています。なるべく1週間くらいでお返しください」という赤い紙が貼ってある。確かに面白く私は1日で読み終わってしまった。主人公は天使、エンジェルという名の元キャバ嬢。日村天使、本名である。大宮の老人が多く宿泊している通称、老人ホテルで清掃のアルバイトをしている。宿泊客で金を持っていると思われる老婆、光子に財産目当てで接近するが…。天使は逆に光子からお金の大切さを学ぶことになる。高校中退の元キャバ嬢の自立の物語である。私は原田ひ香原作のNHK「土曜ドラマ」「一橋桐子(75)の犯罪」も昨年、楽しみに観ていた。原田は1970年生まれだが、高齢者の心理を巧みに描いていると思う。

4月某日
「人物ノンフィクションⅠ 1960年代の肖像」(後藤正治 岩波現代文庫 2009年4月)を読む。著者の後藤は1946年生まれ、京都大学農学部卒のノンフィクション作家。私は前のこの人の茨木のり子の評伝を読んだことがある。本書には次の5つの人物ルポが掲載されている。「滅びの演歌-藤圭子」「黄金時代-ファイティング原田」「君は決して一人ではない-ビートルズ&ボビー・チャールトン」「海を流れる河-吉本隆明」。ルポの対象を肯定的に表現しているのが私には心地よい。とくにファイティング原田は前向きで明るい青年ボクサーとして描かれている。まだ貧しかった時代である。原田は中卒で米屋で働きながらボクシングジムで修業する。藤圭子もビートルズも貧しかったが演歌とポップスで才能を開花させる。吉本隆明はどうか?吉本は東京工大卒業後、いくつかの中小企業に勤めるが組合運動を理由に職場を追われる。職を探しながら詩作と評論を手がける。60年代って高度経済成長の入り口で、貧しさは普遍的であった。ただ私の記憶によれば経済的な格差は今ほどひどくはなく、かなり平等に貧しかったと思う。