モリちゃんの酒中日記 5月その1

5月某日
4月に読んだ「マルクス 資本論の哲学」(熊野純彦 岩波新書)の「あとがきにかえて」でわが国の資本論の研究の流れと主な書籍が紹介されていた。そのなかの1冊が「マルクス いま、コミュニズムを生きるとは?」(大川正彦 NHK出版 2004年11月)。熊野純彦の本にも言えることだが大川もまたマルクスの思想の深さと射程距離の長さを説いているように思う。マルクスは確かにエンゲルスと共に「共産党宣言」を執筆し、労働者階級がブルジョアジーを打倒し、プロレタリアート独裁政権を全世界的に樹立することを夢見た革命家であったことは確かであろう。だが熊野にしても大川にしても、マルクスの人間観、労働観に焦点を当て、マルクスの思想の全体像に迫ろうとしていると私には思える。それを熊野は「資本論」、大川は「経済学哲学草稿」や「ゴータ綱領批判」などを読み解くことによって行っているのだ。大川の著作はB6判120ページ余りの薄い本だが、内容を要約するのは私の手に余る。
が「むすびに」で展開されている「ゴータ綱領批判」にもとづくマルクスの将来の共産主義社会のイメージを通して、大川の思想の一端を紹介しておきたい。大川によるとマルクスは「ゴータ綱領批判」によって「生産諸手段の共有にもとづいた協同組合的な社会」として共産主義社会を位置づけ、第一段階とより進んだ第二段階とに共産主義社会を区別している。第一段階では労働者は「能力にしたがって働き、能力に応じて受け取る」かたちで分配が行われる。共産主義の第二段階では「諸個人の全面的な発展につれてかれらの生産諸力も成長し、協同組合的な富がそのすべての泉から溢れるばかりに湧き出るようになったのち―そのときはじめて、ブルジョア的権利の狭い地平は完全に踏み越えられ、そして社会はその旗にこう書くことができる。各人はその能力に応じて、各人はその必要に応じて!」(「ゴータ綱領批判)。共産主義の第一段階では「各人は能力にしたがって働き、能力に応じて受け取る」が、共産主義の第二段階では「各人は能力に応じて働き、その必要に応じて受け取る」とされている。現実の社会主義革命はマルクスの想定したようなイギリスやドイツなどの先進的な資本主義国では起こらず、遅れた資本主義国のロシアや中国で発生している。生産諸力が十分に成長していない段階での革命は、マルクスの言う共産主義社会に到達することは不可能でソ連は崩壊し、中国は共産党一党支配による上からの資本主義化を進めている。北朝鮮に至っては朝鮮人民民主主義国家を名乗っているが実態は金三代の専制国家である。
マルクスの思想の実現はついに不可能なのか。これからは私の妄想だがAIやロボットの実用化によって社会の生産性は飛躍的に高まる(筈である)。問題は飛躍的に高まった生産性から産み出される富が誰に帰属するかである。現状ではAIやロボットの所有者、資本家や経営者、株主に帰属する。労働者はそのおこぼれを頂戴するに過ぎない。マルクスの言う「生産諸手段の共有にもとづいた協同組合的な社会」が今こそ求められているのではないだろうか。グーグル、アマゾン、ソフトバンクなどのIT系の新興企業の勃興は、ある面では貧富の差の拡大を招いている。「協同組合的な社会」への軟着陸が必要に思う。

5月某日
ゴールデンウイーク。とは言え年金生活者にとっては日々、ゴールデンウィークのようなもの。朝、遅い朝食をとって新聞をざっと読み、テレビを見てベッドに横になりながら本を読む。今日は図書館から借りた「歩兵の本領」(浅田次郎 講談社文庫 2014年4月 単行本は2001年4月)を読む。浅田次郎は1951年東京生まれ、大学受験に失敗後、自衛隊に入隊する。除隊後服飾関係の会社経営などいくつかの職業を転々とするが文学修業を続け、1995年「地下鉄(メトロ)に乗って」で吉川英治文学新人賞、1997年「鉄道員(ぽっぽや)」で直木賞受賞。日本ペンクラブ会長も務めた今や文壇の大御所。入隊したのはおそらく1971年春、除隊したのは1973年と思われる。この時の自衛隊市谷駐屯地勤務の体験をもとにしたのが「歩兵の本領」である。世界でも有数の戦力を有しながらも軍隊とは認知されていない自衛隊。だから歩兵は普通科、工兵は施設科、砲兵は特科、二等兵は二等陸士、上等兵は陸士長、伍長は三等陸曹、曹長は一等陸曹と言い換えられる。
1970年代はまだまだ過激派に勢いがあり、朝霞基地で警備中の隊員が過激派を名乗る学生に刺殺された事件もあった。反戦自衛官が名乗り出たのもこのころである。世間はまだまだ自衛隊に冷たかったころである。その頃の自衛官の生態を浅田は愛情たっぷりに描く。ヤクザの使い走りだったり、大学受験に失敗した浪人生だったり、家出して喫茶店のウエイターをしていたり、はっきり言って当時の世間の落ちこぼれが自衛隊地方連絡部の勧誘員の甘言に乗せられて自衛隊に入隊する。当時は高度経済成長期、仕事はいくらでもあった。にもかかわらず自衛隊に入った青年たち。いつもの浅田の短編と同じにユーモアとペーソスはふんだんにあふれている。というよりあふれ方はいささか過剰、それは浅田の当時の仲間たちに対する愛情なのだろう。浅田はしかし本心からの平和主義者、このことは断っておかなければいけない。

5月某日
図書館で借りた「長崎乱楽坂」(吉田修一 新潮社 2004年5月)を読む。吉田修一の小説は好きでずいぶん読んだが、これはちょっと期待外れ。工場の事故で父を亡くした駿が母と弟と母の実家に引き取られる。母の長兄は実家を出て、実家は次兄が継ぎ兄弟はともにヤクザ。兄弟の一人は非行にも走らず「離れ」で絵描きに精進するが若くして自死してしまう。神戸での抗争から「離れ」に匿われたヤクザの存在や駿と不良少女の恋など、登場人物とストーリーはそれなりに魅力的なのだが、人物の造形がややありきたりでストーリーにも踏み込みが足りないと感じた。しかし吉田修一の30代前半の作品(吉田は1968年生まれ)であるから無理もないのかもしれない。