5月某日
年友企画の岩佐さんのお誘いで神田の和食屋で会食。社会保険研究所の谷野浩太郎社長、フィスメックの小出建社長も同席。3人以上で呑むのは大学時代の同級生、雨宮弁護士、内海君と新橋で呑んで以来。久しぶりなのでつい呑み過ぎ。2次会に昔行っていた葡萄舎へ。店主のケンちゃんも交えて焼酎を呑む。呑み過ぎたので我孫子駅からタクシーで自宅へ。たまにはいいか。
5月某日
「老いの超え方」(吉本隆明 朝日文庫 2009年8月)を読む。吉本隆明が「老い」について語ったもの。吉本は1924年生まれだから、発行された09年には85歳である。私が吉本を読み始めたのは大学に入学した1968年だから、私が20歳で吉本は44歳である。以来私は「擬制の終焉」「芸術抵抗と挫折」「自立の思想的拠点」などの情況論を読んで「私と同じ考えの人がいる」と勝手に思ったものである。吉本の思想の原理論ともいうべき「共同幻想論」「言語にとって美とは何か」「心的現象論」も読んだことは読んだが、私にはよく理解できなかった。吉本は本書で「『食えるかどうかは分からないけれども、物書きをやってみようか』と自分で思ったのは40歳過ぎからです」と語っている。当時、私は吉本の著作を早稲田の古本屋で新刊割引で買っていたように思う。古本なので吉本の印税収入には貢献しなかったことになる。本書は吉本の老いとの向き合い方が率直に語られていて、私は好感を持った。本書で吉本が肯定的に評価しているのは親鸞と現代フランスの思想家、ミシェル・フーコーだ。
5月某日
「シリーズ世界の思想 マルクス 資本論」(佐々木隆治 角川選書 平成30年7月)を読む。マルクスは1818年に生まれ1883年に亡くなっている。資本論第1巻の執筆を開始したのが1863年、刊行されたのが1867年だ。マルクスの死後、エンゲルスの編集によって第3巻が刊行されたのが1894年である。第1巻の初版は千部だったという。本書は資本論第1巻の肝と思われる部分を日本語訳で紹介し、その後に佐々木の解説が付されている。何しろ150年前、明治維新の前年に発行された書物である。資本主義も大きく変貌し、資本論もさすがに古くなっているのではと思いがちだが、佐々木の考えは全く違う。資本主義の本質が変わっていない以上、資本論の生命は続くのである。古典としてではなく資本主義の批判の書として。「資本主義が浸透すればするほど自動的に前近代的差別がなくなっていくのは幻想なのです。資本が極めて強い力を持っている現代の日本社会において、どれだけ前近代的な前近代的な女性差別がしぶとく生き残っているかを思い出すだけでも、このことは容易に理解できるでしょう」「『新自由主義的』諸政策の本当の目的は、経済成長ではなく、社会保障などを含めた労働者の実質的な取り分を減少させることにより、剰余価値率を高め利潤率の低下を補うことにあるのです」……。それはそうなのだが。マルクスの時代のイギリスの工場労働者は1日16時間労働、土曜日は8時間労働であった。現在は完全週休二日制、1日8時間労働である。今後、ITやロボットの活用により、労働時間はさらに短くなると言われている。私はこうした現象を労働者は好意的に受け止めるべきだと思っている。確かに非正規雇用の増大など「新自由主義的」矛盾も目に付くが。
5月某日
監事をしている一般社団法人の監事監査で虎ノ門へ。もうひと方の監事と説明を受ける。この一般社団法人ではキャッシュレス化が進んでいるのに感心した。もっとも社会では普通のことかも知れないとも思う。何しろ私がビジネス社会を引退して5年も経過しているのだ。監事監査を終えて虎ノ門から新橋方面をうろつく。私が年友企画に入社する前は烏森口にあった日本プレハブ新聞社という会社で、業界紙の記者をしていた。烏森口の呑み屋さんには随分と世話になったものだ。本日は17時からお多幸新橋店で社会保険出版社の高本夫妻と会食。高本さんにすっかりご馳走になったうえ、高級ウイスキーやお菓子などのお土産をいただく。