5月某日
昨日はメーデー。今は手賀沼公園の一部となって家族連れが敷物を敷いて憩っていたりするが、昔は確かグランドとして使われていた。メーデーのときも我孫子市内の労組が集会に使っていた記憶がある。労働組合の組織率も低下しているからね。図書館で借りた「幸福な遊戯」(角田光代 角川文庫 2003年11月)を読む。単行本は91年9月に福武書店から刊行されている。表題作の「幸福な遊戯」「無愁天使」「銭湯」の3編の中編小説が収録されている。私の角田光代の小説の印象は健全なリアリズムというもので決して暗くはない。90年に「幸福な遊戯」で「海燕」新人文学賞を受賞してデビューとある。角田は67年生まれだから、早稲田大学第1文学部を卒業して間もなくのデビューである。恵まれていたデビューとも言えるが不安に満ちたデビューであったと想像する。私はこの3作にその「不安」を色濃く感じるのだ。
5月某日
「日ソ戦争-帝国日本最後の闘い」(麻田雅文 中公新書 2024年4月)を読む。ソ連は第2次世界大戦末期まで日ソ中立条約によって対日本との戦闘を控えてきた。しかし1945年5月、ドイツの無条件降伏を経て日本、とくに満洲、南樺太、千島列島への侵攻が具体化してくる。本書は45年8月9日にソ連軍が満洲へ侵攻し、さらに南樺太、千島列島を奪取した経緯を、当時の記録をもとに再現している。本書を読んで思うのはソ連という国家の膨張的、侵略的性格だ。それは現在のロシアのウクライナ侵攻にも受け継がれている。中ソ対立が顕著だったとき、中国共産党はソ連を社会帝国主義と形容したが、それは正しいと本書を読んで思う。もっとも戦前の日本は帝国主義そのもので東アジアを蹂躙した。著者は「おわりに」で日ソ戦争の特徴的な3点をあげている。①日ソ戦争では民間人の虐殺や性暴力など、現代では戦争犯罪に当たる行為が停戦後も多発した②住民の選別とソ連への強制連行③領土の奪取。①は日本軍の南京事件などが見られるし②は日本の朝鮮人や中国人の強制連行や強制労働が見られる。③は現にウクライナ戦争でロシアが、ガザ戦争でイスラエルがやっていることである。
5月某日
昨日は青空のもと気温も24度位まで上がったのだが、連休最終日の本日は一転、昨夜から冷たい雨が降っている。「溺レる」(川上弘美 文春文庫 2002年9月)を読む。単行本は1999年8月、川上は1958年生まれだから彼女が40歳前後の作品である。女流文学賞と伊藤整文学賞を受賞しているから文学作品としても高く評価されたのだろう。表題作を含む8つの短編が納められているが、いずれも男女のことを題材にしている。私は上品なエロティックを感じつつ読んだ。15時30分から立憲民主党の街頭演説会が我孫子駅南口のロータリーで。岡田克也、我孫子選出の衆議院議員の宮川伸、参議院副議長の長浜ひろゆきが登場。3人の演説を聞いて私が感じたのは「現場感」の希薄さ。生産や流通の現場、医療や介護の現場をもっと回るべきではないか。そこには切実な国民のニーズがあるはずだし、そのニーズに応えるのが立憲民主党の役割と思うのだが。
5月某日
バス停のアビスタ前から坂東バスに乗車。平日の午後のためか乗客が少ない。終点の東我孫子車庫のひとつ前の我孫子中学校では私ひとりに。終点で下車、左へ行くと天王台の駅、右へ行くと手賀沼だ。手賀沼へ出て遊歩道を歩くことにする。あやめ通りを手賀沼方面に下ると「手賀沼ふれあいライン」にぶつかる。この道をしばらく行くと「ジュリエッタ」というイタリア料理店がある。私は言ったことはないが☆4.3、「本日は満席です」の貼り紙が出ていた。「手賀沼ふれあいライン」から田んぼのあぜ道を横切って遊歩道へ。私のような高齢者歩行者に行きかう。ようやく前方に「水の館」が見えてくる。「水の館」1階の我孫子農産物直売所「アビコン」を訪問、我孫子高校前まで歩き坂東バスを待つ。バスをアビスタ前で下車、帰宅。1万3千歩ほど歩いていた。
5月某日
表参道の「ふーみん」で会食。「ふーみん」は中華の名店で吉武民樹さんが表参道にあった「こどもの城」の理事長をしていたときによく利用していたそうだ。3月に高本夫妻のマンションで開かれた花見の会の延長で、そのとき初参加の小堀鴎一郎先生も岩佐愛子さんと一緒に参加してくれた。高本夫妻の友人の市川美奈子さんにも久しぶりで会うことができた。私のテーブルは吉武さん、高本社長、大谷さんと一緒で、小堀先生のテーブルは岩佐さん、江利川さん、今は立憲民主党の議員秘書をしている佐藤さんが一緒。もう一つのテーブルは厚生省で江利川さんと入省同期の川邊さん、川邉さんが資金課長のときの課長補佐の岩野さん、高本夫人と市川さんだ。大変おいしい料理をいただいたが、おしゃべりに夢中で何を食べたかよく覚えていない。