5月某日
「マルクス 資本論の哲学」(熊野純彦 岩波新書 2018年1月)を読む。「まえがき」で著者の熊野は「『資本論』は…この世界の枠組みを規定している資本制をめぐり…もっとも行き届いた分析を提供し、私たちが現在もなお、どのような世界のなかで生を紡いでいるのかを、その深部から歴史的に理解させてくれる、古典的なひとつである」と述べている。しかし一読して全体を理解することはかなわなかった。これはもちろん熊野の責任ではなく、私の浅学非才にある。だが終章の「交換と贈与-コミューン主義のゆくえ」は何とか理解できたように思う。コミューン主義とは熊野による共産主義の言い換えである。したがってマルクス/エンゲルスによる共産党宣言も「コミュニスト党宣言」であり、「宣言」がその綱領として起草された共産主義者同盟もコミューン主義者同盟とされる。私は共産主義という名辞の持つ古臭くて権威的なイメージが気に入らなかったのでコミューン主義への言い換えには賛成である。そういえば日曜日午前のバラエティー番組「サンデージャポン」に哲学者で東大でマルクスやヘーゲルを(多分)教えている斎藤幸平が出演していた。ウォーラーステインは、世界革命は過去二度起こっている。一度目は1948年、二度目は1968年と言っているそうだが、三度目は近いのかも?
5月某日
我孫子駅前の県民プラザで開かれている関口小夜子さんの「切り布絵展」を見に行く。関口さんは私より5歳上の1943年生まれ。何年か前まで日本共産党の市会議員を務めていた。ウチの奥さんがアビスタで開かれているダンベル体操に参加、そこで知り合ったそうだ。関口さんは岐阜県出身で切り絵はそこで育った幼い頃の日常を描いている。学校帰りにあまりに暑いので川で泳いでいたら男子に冷やかされた光景を描いた絵もあった。「パンツをはいているのが私。恥ずかしい」というキャプション。関口さんに挨拶する。元共産党と聞いていたが本人は上品でおしゃれなおばさんであった。
5月某日
「世界共和国へ-資本=ネーション=国家を超えて」(柄谷行人 岩波新書 2006年6月)を読む。「マルクス 資本論の哲学」で熊野純彦がこの本を「現在この国でもっとも創造的なマルクス読解のひとつをふくんでいると考えます」と評価していた。本書はタイトルの通り(地球に住む我々とその子孫は)「資本・ネーション・国家を超えて(カントのいう)世界共和国へ」(到達できるのだろうか?)という問い、そしてこれらを解決できなければ「われわれはこのまま、破局への道をたどるほかありません」という危機感によって書かれている。熊野は共産主義をコミューン主義と言い換えていたが柄谷はアソシエ―ショニズムと言い換える。これは「人々が知っている社会主義は、おおむね国家社会主義」という認識のもと、(アソシエ―ショニズムは)「カント的にいえば、『他者を手段としてのみならず同時に目的として扱う』ような社会を実現することです」。本文の最後に老哲学者にして60年安保ブンドの活動家であった柄谷は、世界共和国について「もちろん、その実現は容易ではないが、けっして絶望的ではありません。少なくとも、その道筋だけははっきりしているからです」と断言する。
5月某日
年友企画から連絡。「カメラマンの和田さんが亡くなったと岡田さんから電話がありました。岡田さんに電話してください」。岡田さんに電話すると大腸がんを患って昨日、亡くなったということだった。和田さんも岡田さんも日大芸術学部写真学科の出身。と言っても二人ともに私と一歳違い、日大闘争の真っ只中に在学していたわけでともに闘争に参加、全共闘派の多くの学生がそうしたように卒業することなく学園を去った。和田さんは年住協創立10周年事業で写真集「アメリカンハウス」「ヨーロピアンハウス」の撮影を担当、「アメリカンハウス」では木村伊兵衛を受賞した。和田さんに最後に会ったのは今から5年ほど前、HCM社の平田高康会長を偲ぶ会でだった。
5月某日
久しぶりに虎ノ門のフェアネス法律事務所を訪問。次いで有楽町のふるさと回帰支援センターに高橋ハム理事長に大谷源一さんとともに面談。ハムさんは見城美枝子さんと加藤登紀子のコンサートに行くということだった。大谷さんと御徒町の活鮮市場へ。ブリのカマを肴に生ビール、日本酒、焼酎のお湯割りをいただく。上野駅まで歩き大谷さんと別れ、私は常磐線で我孫子へ。コビアンでライスコロッケのハーフと生ビール。
5月某日
「シリーズ□世界の思想 マルクス 資本論」(佐々木隆治 KADOKAWA 平成30年7月)を読む。著者は立教大学経済学部准教授で1974年生まれ。「はじめに」で「本書では、マルクスの主著である『資本論』第一巻をマルクス自身のテキストとして読んでいきます」とあるように、『資本論』第一巻を「第一篇 商品と貨幣」から「第七篇 資本の蓄積過程」まで『資本論』の本文(抜粋)に解説を加えている。正直、難解であった。しかし「マルクス主義的」な読解ではなく、「マルクス自身のテキスト」として『資本論』を読むことの重要性は理解できた。日本は戦後、福祉国家としての道を歩んできたように思う。経済路線としては修正資本主義路線である。ソ連や中国などの「社会主義国」に対抗する意味もあったと思う。ソ連が崩壊しロシアがウクライナに侵攻する現在、そして貧富の差が拡大し、地球環境的な危機が迫ろうとしている現在、マルクスの思想を真剣に学ぼうと思う。