モリちゃんの酒中日記 5月その3

5月某日
柏駅で室蘭市立高砂小学校以来の友人、山本君と待ち合わせ。16時に改札口で待ち合わせだが、30分ほど早く着いたので駅構内の売店の前をウロウロしていたら、山本君に声を掛けられる。改札を出て柏駅西口方面へ。居酒屋へ入店。山本君とは中学校、高校も一緒なので共通の友人や教師の話題で盛り上がる。山本君から前進座のチケットと畑で収穫した玉ねぎをいただく。山本君は舞台の照明技師をやっていたので、舞台のチケットが手に入るらしい。

5月某日
歯の定期健診で近所の手賀沼健康歯科へ、担当の歯科衛生士さんに歯を診てもらう。特に問題はなかった。前回は磨き残しを指摘されたが今回はなし。歯のクリーニングをしてもらって定期健診終了。清算は今回から機械化されていた。若い事務の女性が手伝ってくれて無事終了。

5月某日
「しずかなパレード」(井上荒野 幻冬舎 2025年2月)を読む。井上荒野の小説はどれも面白い。今回は数組の夫婦、あるいは家族の物語。舞台は長崎と東京。長崎では当然、登場人物は長崎弁を話す。井上荒野の父、井上光晴は長崎出身、長崎の炭鉱を舞台にした作品もある。私には幕末の長崎の遊郭を舞台にした「丸山蘭水楼の女たち」という小説が記憶に残っている(タイトルはちょっと曖昧)。井上荒野は東京生まれの東京育ちだが、彼女のDNAが長崎弁に向かわせたのか。夫婦、家族の縁って本当に確かなものなのか、と考えさせる小説。私のなかでは今年のベスト、今のところですが。

5月某日
「父が牛飼いになった理由(わけ)」(河崎秋子 集英社新書 2025年3月)を読む。河崎秋子は1979年北海道生まれ。北海学園大学経済学部を卒業後、家業の酪農に従事する傍ら、小説を執筆。24年「ともぐい」で直木賞受賞。本作は500年前のルーツまでたどる河崎のファミリーヒストリー。ルーツは金沢藩の武士で父方の祖父が満洲に移住、父は昭和17年に満洲で生まれる。祖父母は4人の子を連れ堺市に帰る。父は兄弟とともに帯広畜産大学に学び、卒業後は公務員の農業改良普及員になる。同僚だった母と結婚後、標津町茶志骨に入植、酪農を始める。当時は今ほど機械化されていたわけではなく、「酪農を始める」のは相当な決意が必要だった。だが楽天的な父は妻や子どもたちと力を合わせ、酪農事業を成功させる。私も北海道生まれだが河崎が生まれた道東ではなく、気候が比較的な温暖な道南の室蘭。しかも富士鉄や日本製鋼所を擁する工業都市で、同級生の父兄は製鉄やそれに関連する職業の人が多く、農業まして酪農家などはほとんどいなかった。同じ北海道でも随分と違うものだ。なお河崎が卒業した北海学園大は大泉洋や安田顕も卒業した、今や名門である。

5月某日
「いのちの記憶-銀河を渡るⅡ」(沢木耕太郎 新潮文庫 2025年2月)を読む。沢木耕太郎のエッセイ集。前半はいわば沢木の身辺雑記、これも子供の頃にはまったTVドラマ「逃亡者」の話し、週に一度出会う「焼き芋屋」の話しなどを面白く読んだが、後半の沢木が出会った人の人物スケッチが格段に面白かった。美空ひばり、田辺聖子とカモカのおっちゃん、高倉健といった芸能人や文化人とのかかわりを描いたエッセイも面白かったが、私にはむしろ世間的には有名とは言えない編集者やカメラマンの面影を伝えるエッセイに魅かれるものがあった。にしても横浜国立大学経済学部卒業後、就職が決まっていた富士銀行を一日も出社せずに退社、恩師の長洲一二のすすめで東京放送の調査月報にルポを書いていた青年が、今年78歳の小説も手掛けるルポルタージュの大御所となるとは!

5月某日
「〈ロシア〉が変えた江戸時代-世界認識の展開と近代の序章」(岩﨑奈緒子 吉川弘文館 2024年12月)を読む。私はペリーが来航するまでの江戸時代を、士農工商という身分制度に縛られた因循姑息な社会というふうに捉えていたが、本書はそんな考えを一変させた。鎖国という時代状況にあって、意外にも科学や技術への関心は高く、蘭学への興味も高まった。当時、北海道は蝦夷地と呼ばれていたが、本書によると、「渡島半島の松前氏の支配領域が松前地、それを除く北海道の大半の地域は蝦夷地と呼ばれていた」そうである。ロシア船はクナシリやエトロフに寄港し、ラクスマンやレザノフは長崎を訪れ、通商を要求している。ロシアに限らず、アメリカやイギリスの艦船も日本近海を訪れた。寛政8(1796)年8月、英国のプロビデンス号が蝦夷地の虻田沖に現れ沿岸の測量を行い、エトモ(室蘭)に数日停泊した。蝦夷地は海産物や毛皮の産地としてだけでなく、外国からの侵略に備える防衛拠点としても注目された。幕府から津軽藩や南部藩に蝦夷地への出兵が要請された。私の故郷、室蘭にも陣屋という地名が残っているが、南部藩の陣屋があったということだ。ロシアはじめ米英、仏などの欧米先進国にとっては、帝国主義の前夜である。日本が侵略されなかったのはたまたまかも知れないが、本書を読むと、当時の日本は蘭学を通じた科学や技術レベルが高く、伊能忠敬の地図作成などから武士階級中心に、国境意識が高まると共に国土防衛意識が強くなったと考えられる。きっと攘夷思想の萌芽と言えるのだろう。

5月某日
「〈ロシア〉が変えた江戸時代」が面白かったので著者の岩﨑奈緒子を我孫子市民図書館で検索すると数冊がヒットした。そのなかで「日本の歴史25 日本はどこへ行くのか」(岩﨑奈緒子他 講談社学術文庫 2010年7月)を借りて読むことにする。岩崎が執筆したのは「第5章〈歴史〉とアイヌ」である。和人による北海道開拓が本格化する明治以前のアイヌの人びとの生業は基本的に海や河川における鮭漁と、陸地におけるシカなどの狩猟であった。これら彼らの権利は江戸時代の松前藩、あるいは幕府の支配のときは基本的に認められていた。それが明治新政府(開拓使、北海道庁)では、アイヌの人々は排除されていくことになる。岩崎は次のように主張する。「アイヌの飯料取を核として構成された漁業秩序を、むしろ温存する形で和人の進出が図られた蝦夷地と、その一切の清算から始まった北海道との断絶は深い。アイヌが存在の基礎としていた漁業権・狩猟権の喪失は、アイヌにとって、近世と近代との間を截然と分ける本質的な転換を意味した」。私はパレスチナ問題を思い浮かべてしまう。イスラエル建国の以前、パレスチナではユダヤ人とアラブ人が共存して暮らしていたという。それがイスラエルの建国からアラブ人の苦境は続く。明治政府もイスラエルもアイヌやアラブの人たちからすれば、簒奪者、侵略者ということになる。 

5月某日
「シリーズ古代史をひらくⅡ 列島の東西・南北-つながりあう地域」(責任編集・川尻秋生)を読む。北海道、蝦夷の歴史に興味を持ち始めたので、本書ではとくに「北海道 北方との窓口 簑島栄紀」と「東北 蝦夷の世界 三上喜孝」を読むことにする。とくに簑島の論文では私が初めて知ったことが多く記されていて興味深かった。アイヌの人びとの日本本土との交流は古くは日本書紀に記されている。書記には天武天皇が、皇太子の草壁皇子らにヒグマの毛皮を分配したことが書かれている。また本書では北海道でも古墳の存在があったことが明らかにされている。7‐8世紀に北海道式古墳が築かれ副葬品も発見されている。アイヌ社会は原始共産主義社会に近いのでは、と私などは思い込んでいたが、古墳の存在は、ある種の階級社会だったことを示しているのではなかろうか。いゃー興味深いですね。 

5月某日
新松戸にある松戸年金事務所で地域型年金委員地区連絡会議に出席。副所長が今、国会で審議されている年金改正案などについて1時間30分ほど説明してくれる。出席者は私を含めて5人ほど。同じ我孫子市在住で社会保険OBのNさんも出席していたので挨拶する。Nさんとは昔、一緒にゴルフへ行ったものだが、「最近ゴルフ行ってますか?」と聞いたら、「それどころじゃないんだよ」と、この1年ほど皮膚に湿疹ができて病院通いで大変だったそうだ。