モリちゃんの酒中日記 6月その1

6月某日
NHK BSで韓国映画「タクシー運転手―約束は海を越えて」を観る。事前の知識はまったくなかったが1980年の光州事件に巻き込まれたタクシー運転手の話だ。ソウルのタクシー運転手が学生や市民が民主化を叫んでいる光州市へドイツ人記者を乗せる。妻に死なれ一人娘と生活する運転手にとって高額な報酬が魅力だったのだ。ドイツ人記者の映像取材に同行するうちに、運転手は次第に光州市の市民や学生に同情的になっていく。いったんはドイツ人記者を光州市に置いて、ソウルの娘のもとに帰ろうとする運転手だが、知り合いになった市民や学生、ドイツ人記者が気になって光州へ引き返す。軍隊や警察の弾圧はさらに激しさを増し、取材に協力してくれた学生も虐殺される。「この現実を世界に伝えてくれ!」という学生の声を胸に運転手と記者は空港を目指す。軍の追跡を阻むために光州のタクシーが何台も参加してカーチェイスを展開するのが後半の山場だ。天安門事件もそうだが光州事件、そして香港の民主化闘争の映像は涙なしには見られない。年を重ねて涙もろくなったこともあるのだろうけれど。

6月某日
白人警官が黒人青年を死なせたことをきっかけに全米各地でデモが広がっているとニュースが伝える。トランプ大統領はデモの鎮圧に軍隊の出動も考慮しているという。光州事件や天安門事件の再来か?「アンティファ」という組織が過激な行動を煽っているとの報道もあった。アンティファってアンチ・ファシストのことでヒットラー時代のドイツに実際に存在した組織ということだ。現在のアンティファの組織の実態はよく分からないらしい。放火や略奪はいけないがデモはどんどんやったらいい。警官隊への投石?個人的には許容します。
今日の昼ご飯はチャーハンを自分で作った。玉ねぎ4分の1、ピーマン2分の1、ニンジン少々、ニンニク少々を予め刻んでおく。レタスの皮をちぎっておく。生卵をご飯にかけ混ぜておく(こうしたほうが卵とご飯のくっつきがいいような気がする)。中華鍋をガスに掛け、温まったら油を引く。ニンジン、ニンニクを入れ、卵とご飯も入れ、玉ねぎ、ピーマンを入れる。昨日の夕ご飯のおかずの残りの豚肉も少々入れる。最後にレタス、醤油、胡椒を入れて味を調えて完成。味は満足できるものでした。

6月某日
図書館で借りた「君がいないと小説は書けない」(白石一文 新潮社 2020年1月)を読む。白石一文っていわゆる私小説作家ではなかったと思うけれど、これはどう読んでも私小説。帯に「小説史をくつがえす自伝的小説、堂々刊行」「鬼才の叡智、作家の業、ここに結集す」と刷り込まれている。白石は小説家の白石一郎を父として福岡に生まれ、早稲田大学政治経済学部を卒業後、文藝春秋社に入社し雑誌記者や編集者を経た後、小説家としてデビューした。小説の主人公、野々村保古も小説家の父を持ち早大政経学部を卒業して出版社に入社して、記者や編集者として活躍後、作家となっている。一子を設けた後、離婚、現在の同棲相手ことりと事実婚(前の妻が離婚に応じないため)というこの小説のストーリーも事実乃至はそれに近いのだろう。それにしても作家とはすごいものだとつくづく実感。相対性理論はアインシュタインが発見しなくても、いずれ誰かが発見しただろうがピカソのゲルニカはピカソでなければ描かれなかったというような記述が文中にあったが、それは白石の小説家としての自負なんだろうね。

6月某日
1週間ぶりの上京。13時から社保研ティラーレで打ち合わせがあるため。先ずは鎌倉橋ビル地下1階の「跳人」でランチ。暑かったので「刺身定食」と生ビールを頼む。生ビールを飲み干すと店員の大谷さんが「お代わりは?」と聞いてくるが断る。食後のアイスコーヒーをサービスしてくれる。児谷ビル3階の社保研ティラーレで佐藤社長、吉高会長と打ち合わせ。社会保障フォーラムの日程を確認し来週から講師の依頼を進めることに。我孫子へ帰って「いしど歯科」へ。虫歯の治療と歯石取り。これで今回の治療は終了ということで「歯ブラシ」を頂く。「いしど歯科」から手賀沼湖畔へ。ほぼ日課になっている白鳥の親子を鑑賞。親白鳥が2羽、子どもの白鳥が5羽。親白鳥は夫婦なんだろうな。

6月某日
「12人の手紙」(井上ひさし 中公文庫 1980年4月)を読む。私が読んだのは2020年3月改版8刷発行で、帯に「井上ひさし没後10年」と刷り込まれてあった。井上ひさし(1934~2010)は私が小学生の頃のNHKテレビ「ひょっこりひょうたん島」の作者として私には身近だ。ということは1960年前後だから当時、井上は20代ということになる。それはともかく本作は単行本として1978年6月に中央公論社から出版されている。井上が40代、作家として最も脂が乗り切っていた頃と言ってもいいかも知れない時期の作品である。プロローグ、エピローグ含めて13の短編が収録されているが、エピローグ以外はすべて書簡を中心とした構成となっている。プロローグの「悪魔」は両親の不仲に悩んで家出同様に上京した娘が、就職先の社長の甘言に惑わされ関係を持つ。社長の離婚を信じていた娘は社長の不実を知り、社長の子どもを殺めてしまう。最後は娘から同級生への「差し入れありがとう」という東京拘置所からの手紙で結ばれる。「葬送歌」は小説家への劇作家志望の女子大生への手紙とそれへの小説家の返信という形式。女子大生は去る作家の小品をもとにした「帰らぬ子のための葬送歌」という戯曲を小説家に送る。テロ未遂事件を起こした青年が留置場で虐殺され、青年の恋人が遺骨を北国の母に帰しに来るという筋の戯曲だ。戯曲を読んだ小説家は、リアリティがないという感想を綴った手紙に続けて「去る作家の小品」とは昭和10年ごろ同人誌に発表した自分の作品ではないかという手紙を送る。学園祭に展示する小説家の自筆の手紙が欲しいが故の女子大生のトリックという種明かしだ。しかし私は「帰らぬ子のための葬送歌」という戯曲が、特高に虐殺された小林多喜二とその母のことを思い出されて切なかった。全体的に非常に凝った、それでいて作者の社会の底辺にいる人々への温かいまなざしが感じられる作品であった。

6月某日
図書館で借りた「占(うら)」(木内昇 新潮社 新潮社 2020年1月)を読む。木内昇(のぼり)は1967年生まれの女流作家、「漂砂のうたう」で直木賞受賞。日経新聞連載中から愛読していた「万波を翔ける」は蘭学に励む幕臣の次男坊が幕末の外交官として活躍する姿を描いたもの。幕末から明治、大正時代の江戸、東京を舞台とする小説を得意としているようだ。本作はタイトル通り占いをテーマとした短編連作集。作中の雰囲気は高音というよりは中低音、つまり暗め。冒頭の「時追町の卜い家」は翻訳を業とする独身女、桐子が主人公。瓦の修繕を頼んだ若い大工と関係を結ぶことになるが、若い大工には苦界に売られた妹がいて、彼は妹のことになると他のことが眼に入らなくなる。桐子は迷い込んだ時追町で一軒の「卜い家」に出会う。「卜い家」は今で言う「占いの館」で、何部屋かに占い師が控えている。桐子が通された部屋には汀心と名乗る初老の女が待っていた。とこういうような話が七つ並ぶ。他の6作のタイトルだけ示すと「山伏村の千里眼」「頓田町の聞奇館」「深山町の双六堂」「宵町祠の喰い師」「鷺行町の朝生屋」「北聖町の読心術」。地名は架空と思われるが地名も中低音だ。