モリちゃんの酒中日記 6月その1

6月某日
「近代日本の『知』を考える。-西と東との往来」(宇野重規 ミネルヴァ書房 2022年1月)を読む。近代日本の文化人、29人の短い評伝。瀬戸内寂聴の項では瀬戸内が「ぜひ、今も読んでもらいたい本を」と聞かれ「美は乱調にあり」と、その続編である「諧調は偽りなり」をあげたというエピソードが紹介されていた。伊藤野枝と大杉栄を主人公にした小説である。私はさらに、関東大震災直後に皇太子(後の昭和天皇)暗殺を企てたとして死刑判決を受け、後に栃木刑務所で縊死した金子文子の生涯を描いた「余白の春」も加えておきたい。瀬戸内寂聴は私にとって田辺聖子、林真理子と並ぶ文豪です。

6月某日
「真理の語り手-アーレントとウクライナ戦争」(重田園江 白水社 2022年12月)を読む。重田園江は1968年生まれ、早稲田大学政治経済学部卒業。藤原保信ゼミ出身。1年間だけ日本開発銀行に勤めた後、東京大学総合文化研究科博士課程単位取得退学。現在、明治大学政経学部教授。本書は「2022年2月24日、ロシアが突如としてウクライナに侵攻し、第2次世界大戦後では最も大規模な地上戦へと発展」したのを契機に、ハンナ・アーレントの思想を手がかりにウクライナ戦争と現代世界の不条理を読み解いたものである。園田はロシアのウクライナ侵攻を、特異な国家「おそロシア」の所業と見てはいけないとして、日本の満洲侵略やベトナム戦争を例に挙げる。「戦争において、侵略者の側はたくさんの嘘をつく。そして、その嘘に、自分たちも騙されるようになる」なんていうのも戦前日本に当てはまる。というか「平時においても、権力者の側はたくさんの噓をつく…」とも言い換えられる。安倍元首相のモリカケ疑惑のことである。ロシアの「秘密警察的なもの」に警鐘を鳴らした映画作品を手がけたロシアの映画監督ロズニツァにも多くのページが割かれている。重田は相当な映画好きと見られる。「あとがき」で本書を書くきっかけとしてロズニツァの「粛清裁判」「国葬」を鑑賞したことをあげ、「『早稲田松竹』の長時間の2本立ては容赦のないもので、学生時代を思い出し、うれしいような厳しいような5時間だった」と書いている。重田の思想を支えているのは正義感と優しさだと思う。それは終章に収められた次の文章からも感じられる。「お茶の水橋でビッグ・イシュー誌を売っているおじさんも、おそらく駅員の『お目こぼし』で日本の駅には珍しく地べたに座って『物乞い』をする池袋駅の老人も、通り過ぎる人たちはまるで彼らがいないかのように扱っている」。

6月某日
監事をしている団体の理事会に出席後、会場の八重洲から神保町の東京堂書店まで歩く。東京堂書店で「マルクスに凭れて60年」を購入。同書は資本論の訳者、岡崎次郎の著作で呉智英が絶賛していた。お茶の水の日高屋で冷麺を食べる。本格的な(と私には思える)韓国冷麺で美味しかった。お茶の水から御徒町へ。御徒町の吉池食堂で大谷源一さんと食事。私は生ビール、日本酒、ウイスキーの水割りをいただく。御徒町から上野経由で帰宅。

6月某日
「旅する練習」(乗代雄介 講談社 2021年1月)を読む。サッカー少女の亜美と叔父の小説家が、亜美の私立中学校合格祝いに常磐線の我孫子駅から鹿島アントラーズの本拠地である鹿島を目指して徒歩の旅に出る。「互いに家は県都境の川を挟んだところにあって」という記述があるので松戸と金町付近に住んでいると推定される。2人は常磐線で我孫子駅に降り立ち手賀沼公園から手賀沼沿いに歩き、利根川に至る。途中、就職が内定した女子大生と合流、旅を続ける。「旅する練習」というタイトルはサッカー少女の亜美がボールを蹴りながら旅することから。あまり期待しないで読み始めたが、旅をしながらの亜美の成長が描かれ楽しく読むことが出来た。

6月某日
マッサージ後、近くの天ぷら屋「程々」で天丼定食をいただく。確か以前食べたときには950円だったと思うが、1090円に値上がりしていた。値上げの季節!年金生活者には痛い。食事後、我孫子高校前から我孫子駅へ。成田線で湖北へ向かう。「旅する練習」を読んでちょいと刺激されたのだ。湖北には公団の湖北団地があり駅前もそれなりに栄えていたはずだが閑散としていてシャッターを閉めた店が多い印象。駅前を散策した後、湖北駅前から湖北団地を経て天王台経由我孫子駅行きのバスに乗る。いつもバスに乗っているアビスタ前で下車、バス代は300円くらいだったが障害者手帳を見せて半額で済んだ。

6月某日
「悪口と幸せ」(姫野カオルコ 光文社 2023年3月)を読む。姫野カオルコは「昭和の犬」(直木賞受賞作)、「彼女は頭が悪いから」(柴田錬三郎賞受賞作)を読んで面白かった。今回も面白かったのだが、私には登場人物の整理がつきかねる。「この本は、次の人が予約してまっています。」という黄色い紙が貼られているので、とりあえず図書館に返して半年ほどしたらまた借りることにしよう。

6月某日
「敗者としての東京-巨大都市の隠れた地層を読む」(吉見俊哉 筑摩書房 2023年2月)を読む。東京は外からの勢力に3度占領されたというのが著者、吉見の見解。最初は戦国時代の末期に徳川家康によって。二番目は戊辰戦争のときに薩長の官軍によって、三番目がアジア太平洋戦争の敗北により米軍によってである。本書の構成によると最初が「第Ⅰ部 多島海としての江戸-遠景」、二番目が「第Ⅱ部 薩長の占領と敗者たち-中景」、三番目が「第Ⅲ部 最後の占領とファミリーヒストリー-近景」で、それに総括として「終章 敗者としての東京-ポストコロニアル的思考」である。中南米を侵略したスペインによって、先住民の文明は粉々に破壊されつくされ、侵略者は「その瓦礫の大地にキリスト教会を立ててき」た。しかし東京はそうはならず、「これまでの三度の占領で、ゼロから新たに都市が立ち上がったのではなく、以前の都市に改変が加えられ、新しい要素が付け加えられ歴史的な地層が積み重なってきた」ということだ。本書を読んだ私の歴史の常識がいくつか変更を迫られた。私は縄文から弥生への移行は連続的に行われたと思っていたが、本書では弥生時代の稲作などの技術や生活様式は渡来人を通して中国大陸や朝鮮半島から入ってきたとし、それを担ったのは渡来人だったとしている。これって騎馬民族征服史観に近いんじゃないか。
第Ⅱ部では清水次郎長の実像ですね。戊辰戦争で幕府海軍の咸臨丸が駿河湾に漂着し、新政府軍から攻撃を受け、30名ほどの幕兵が惨殺され遺体は海に投棄された。新政府軍の報復を恐れて駿河藩も漁民も遺体を放置した。遺体を収容し葬ったのが次郎長である。このことは天田愚庵の「東海遊侠傳」に記されているそうで、このエピソードは神田伯山の講談や2代目広沢虎造の浪曲に採り入れられている。次郎長人気は戦後も続き、鶴田浩二主演「次郎長三国志」シリーズが撮られ、最近では中井貴一主演で「次郎長三国志」が08年に公開されている。吉見俊哉は映画やヤクザにも詳しいようだ。それもそのはず(?)で吉見の母は安藤昇の従妹だったことが第Ⅲ部で明らかにされる。まさにファミリーヒストリーである。この本は今年上半期(1-6月)に読んだ本の中でベスト5に残る面白さであった。