6月某日
「農耕社会の成立 シリーズ日本古代史①」(石川日出志 岩波新書 2010年10月)を読む。農耕社会の成立は弥生時代に始まるが、それ以前の縄文時代は、「温暖帯性の気候のもとに繁茂する森林がもたらす木の実類とシカ・イノシシ、海進によって形成された内湾に生息する魚介類、川を集団で遡上するサケ類など、いずれも季節ごとに集中的に採集、捕獲できる対象があり」「こうした食料獲得活動の季節性と貯蔵を組み合わせる生業と消費の仕組みが、縄文時代の人びとの生活を根底から支えていた」ということだ。日本で稲作が始まったのは弥生時代とされる。縄文人の暮らしは狩猟採集が基本であり、単独の家族ないしは数家族が協働して暮らしていた。米作りとなると水田の形成から田植え、草取り、稲刈り、収穫後の貯蔵に至るまで集団の共同作業が不可欠である。この共同作業がもととなって集落が生まれた。この頃の集落は周囲を環濠で囲んでいたため環濠集落と呼ばれるが、環濠には他の集落からの襲撃を防ぐという意味もあった。環濠集落は北部九州で生まれ、やがて中国、四国、近畿、中部地方へと及ぶ。環濠集落がいくつかまとまってクニが生まれる。「弥生時代の日本列島の社会が急激に変貌を遂げていく際に、もっとも刺激を与えた地域」が朝鮮半島である。『漢書』に「楽浪の海中に倭人有り、分かれて百余国と為る。歳時を以て来り献見すと云ふ」という記述があるように毎年のように交流があった。百余国を統一したのが邪馬台国であったと考えられる。
6月某日
「卑弥呼とヤマト王権」(寺沢薫 中公叢書 2023年3月)を読む。著者の寺沢薫は1950年東京生まれ。同志社大学文学部卒後、奈良県立橿原考古学研究所に勤務。2012年より桜井市纏向学研究センター所長。著者が大学3年の1971年12月、纏向遺跡の発掘調査に参加する。纏向遺跡とは3世紀初頭に卑弥呼を初代大王として奈良盆地東南部の纏向の地に誕生したヤマト王権の遺跡である。邪馬台国の所在地としては戦前から九州説と近畿説に分かれて論争が繰り広げられていたが、著者は一貫して近畿説、それも纏向遺跡こそが邪馬台国の首都であったと主張する。著者は邪馬台国の所在を考古学的に考察するのはもちろんのこと、「国家とは何か」についてもエンゲルスや滝村隆一の論説を手掛かりに考察してゆく。滝村隆一って1970年代に吉本隆明の主宰する雑誌「試行」に論文を掲載していた在野の思想家である。私も「試行」を読んでいたが、理解できたのは吉本の「情況への発言」(だったかな?)という情況論くらいで吉本の言語論や共同幻想論には歯が立たず、滝村の論文は読みもしなかったと思う。マルクスの「国家起源論はエンゲルスによってアジア的な国家形成という重要な視点が閑却され、狭隘化され歪曲された国家権力論」であり、このことに真っ先に気付いたのが滝村隆一という。滝村は広義の国家として外的国家、狭義の国家として内的国家があるとして、歴史的には外的国家は内的国家に先行して存在するとしている。日本における内的国家の出現は7世紀末とされるが、著者は3世紀初頭のヤマト王権の誕生こそが外的国家の出現と見る。寺沢薫という人は日本の考古学について極めて深いと思われるがその知的領域は哲学、政治学にまで及び、極めて広い。
6月某日
図書館で借りた「田辺聖子全集6」(新潮社 2004年8月)を読む。そういえば田辺聖子先生は2019年の6月6日に亡くなっている。命日に借りて昨日、6月8日に読了。この巻には「言い寄る」「私的生活」「苺をつぶしながら」の3作がおさめられているが、3作ともデザイナーの玉木乃理子を主人公とした連作である。乃理子は「言い寄る」では惚れていた三浦五郎が友人の美々と結婚してしまう。傷心の乃理子は金持ちのボンボン剛と知り合う。「私的生活」では乃理子と剛との豪奢な、しかし何か満たされない結婚生活が描かれる。「苺をつぶしながら」では剛と離婚した乃理子の自立した姿を描く。離婚前と離婚後の剛の描かれ方が微妙に違う。離婚前の剛はボンボンらしく傲慢で他者に厳しく自分には優しい。軽井沢に女友達と避暑に出かけた乃理子は、ホテルで剛と偶然に出会う。ホテルで就寝中の乃理子に大阪で友人が事故死したという知らせが届く。乃理子は剛の別荘に連絡、剛は自ら車を運転して乃理子を東京へ届ける。ここでの剛はカッコイイ。
巻末の解題によると「この三部作は、著者の45歳から53歳、すなわち昭和48年から昭和56年にかけて執筆された」とある。今からおよそ半世紀前である。「言い寄る」の文中に「以前に、切腹して首を斬り転がされた小説家が、よくこんな豪傑笑いをした」という記述があるが、これは言うまでもなく昭和45年11月25日の三島由紀夫による自衛隊の市ヶ谷駐屯地への突入後の自死のことである。50年前は携帯電話もパソコンもなく、今から思えばのどかな時代であった。その反面、三島事件や連合赤軍事件など凄惨な事件も相次いだ。しかし三島事件も連合赤軍事件も箱根山の向こうの話である。田辺先生は生涯、関西から離れることはなかった。先生は巻末に「三部作になったこの物語は、浪速の街が生んだのだ。浪速の街が書かせたのだ」と書いている。確かに田辺文学は関西という風土なしには考えられない。
6月某日
月1回、中山クリニックで高血圧症の診察を受ける。10時過ぎに遅い朝食をとり11時に中山クリニックへ。いつものように診察は3分ほど。ついでに後期高齢者の健康診断の予約も明日11時に予約する。本日は私が監事をやっている一般社団法人の理事会があるので東京駅近くの貸会議室へ。この一般社団の会長は弁護士先生なのだが、毎回冒頭のあいさつが面白い。今回は多額の横領事件が発覚した水原一平被告について。結局、5~6年の禁固刑になるのではないか、と法律家らしく推測。理事会は滞りなく終了。私は地下鉄で東京から大手町経由で神保町へ。社会保険出版社の高本社長に挨拶、お茶の水からJRで御徒町へ、御徒町から上野までアメ横を歩く。想像以上に外人客が多い。欧米系だけでなくアジア系も多く見かける。円安効果ね。上野駅近くのイングリッシュバーでビール、ジントニック、ポテト&チップスをいただく。我孫子で薬局(ウエルシア)で処方箋を渡し、明日とりにくると伝える。本日、夕食は外で食べると出てきたのでウエルシアの向かいのラーメン屋でラーメンを食べる。コッテリ系。
6月某日
11時少し前に中山クリニックへ、後期高齢者の健康診断を受ける。心電図をとり血液検査のため採血。八坂神社前からバスで若松へ。絆でマッサージと電気、合計で30分。保険適用なので毎回550円。絆の後、ウエルシアで薬を受け取る。12時30分頃帰宅、妻が作ってくれたおにぎりをいただく。