モリちゃんの酒中日記 6月その2

6月某日
厚労省の1階で社保研ティラーレの佐藤社長と待ち合わせ。15分ほど遅刻してしまった。伊原政策統括官を訪問、「社会保障フォーラム」についてアドバイスを頂く。その足で社保研ティラーレへ。吉高会長と3人で協議、次回の「社会保障フォーラム」はWEB上で開催する方向を確認。決定まではWEBに詳しい若い人の意見を聞くことにする。私などはチンプンカンプンです。虎ノ門の「フェアネス法律事務所」で渡邉弁護士と懇談、新橋まで歩く。上野でアイリッシュパブへ寄り、ギネスとジントニック、ウオッカトニックを頂く。

6月某日
企業年金連合会の足利聖治理事を訪問。江利川毅さんや川邉新さんとの呑み会を7月中に企画することにする。17時に御徒町の食品スーパー「吉池」へ。17時50分に前の会社の社員との呑み会が吉池の最上階の「吉池食堂」であるため。2人が来るということなのでお土産に「弦付きトマト」を2つ買う。17時30分から独りで生ビールを「マグロブツ」を肴に飲み始める。17時50分に予定通り二人が登場。お土産に日本酒を貰う。2時間ほど他愛のない話をして別れる。御徒町から上野へ出て常磐線に座って帰る。家呑み用のウイスキーがなくなっていることを思い出し、駅前の関野酒店によってギルビージンを購入する。

6月某日
社保研ティラーレで佐藤社長、吉高会長、社会保険研究所の水野氏、UAゼンセンの永井氏と次回の「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせ。新型コロナのこともあるので次回は会場参加とネット参加の二本立てで行く方向を確認する。永井氏はネット会議も経験もあるということなのでいろいろと調べてくれるそうだ。我孫子へ帰って駅前の「しちりん」に寄る。

6月某日
監事をしている一般社団法人の総会が東京駅八重洲口の貸会議室で1時半からあるので出かける。八重洲口地下の北海道料理の店で昼飯に「豚丼」を食べる。総会では監査報告書を読み上げる。総会は30分ほどで終わったので次回の「地方から考える社会保障フォーラム」の会場に予定している「AP東京丸の内」を観に行くことにする。社保険ティラーレの佐藤社長と現地で待ち合わせる。東京駅からも大手町駅からも直結している日本生命丸の内ガーデンタワーの3階で皇居外苑の緑が見渡せる。料金は従来の倍以上ということだが、これなら地方議員の先生方にも喜んでもらえると思う。次回は会場とインターネット対応の二本立てだが「AP東京丸の内」はその経験も十分あるようなのでひとまず安心。続いて「虎ノ門フォーラム」の中村秀一理事長を訪問、次回の講師に予定している堀田聡子先生の連絡先を教えてもらう。社保険ティラーレで吉高会長、佐藤社長と懇談、17時30分になったので鎌倉河岸ビル地下1階の「跳人」へ向かう。大谷源一さんと高本真佐子さんと会食。途中から社会保険出版社の高本社長も参加、高本社長にすっかりご馳走になる。「跳人」の大谷君に日本酒のワンカップを頂く。

6月某日
東京都知事選が18日告示された。開投票日は7月5日だ。現職の小池百合子の再選がほぼ確実視されている。このタイミングで「女帝 小池百合子」(石井妙子 2020年5月 文藝春秋)が上梓された。奥さんに「無茶苦茶面白いらしいよ」と言われて早速、上野駅の「BOOK EXPRESS」で購入した。1刷が5月30日で私が買ったのが3刷で6月20日だから確かに売れているのだろう。一読して確かに面白かった。小池百合子という類い稀な個性を豊富な資料とインタビューで浮き彫りにさせていく、石井妙子の力量は本物だと思う。カイロ大学卒業という小池の経歴の真贋が話題となっているが、それは小池という個性の一つの表出であり、必ずしも本質ではない。石井妙子の綿密な取材によって、カイロ大学卒業はかなり怪しいことが暴露されてはいるが。石井が小池のノンフィクションを書くに至った経緯が「終章 小池百合子という深淵」で明らかにされている。それによるとカイロで小池と同居していた女性から、石井は小池の学歴詐称の告発の手紙を受け取る。石井は十分な調査をしたうえで「文藝春秋」に「小池百合子『虚飾の履歴書』」を発表した。しかし既存のジャーナリズムからはほぼ黙殺され、都議会で小池は「法的な対応を準備している」と述べたが、現在まで石井は小池から訴えられていない。石井は「学歴が教養や能力に比例するとも考えていない」と述べる。しかし、卒業していない大学を出たという「物語」を作り上げ、それを利用してしまう小池の人間としての在りようを問題視している。石井はさらに「本来、こうした『物語』はメディアが検証するべきであるのに、その義務を放棄してきた」とし、メディアの無責任な共犯者としての罪も指摘している。女性の政治進出において日本は欧米先進国のみならずアジア諸国にも遅れをとっている。そのなかで小池の快進撃を女性の解放として受け取り、喜ぶことはできないと石井は言う。小池は石井に答えるべきと思う。そして久しぶりに骨太のノンフィクションを読んだというのが私の率直な感想である。

6月某日
田辺聖子の「あかん男」(角川文庫 1975年初版 2020年6月改版初版)を読む。帯に「『ジョゼと虎と魚たち』アニメ映画化記念 いま読みたい田辺聖子」と印刷してあった。田辺聖子の作品の中でも「ジョゼと…」はちょいと異色。体の不自由な女の子と彼女を世話する男の日常を描いた小説だが、池脇千鶴と妻夫木聡で映画化もされている。「あかん男」には表題作含め7編の短編が収録されている。表題作から読み始めたが、もてない髪の薄くなった30代の独身男を主人公にしたこの作品は、私にはちょいと期待外れであった。年譜によると田辺は1966年に神戸の開業医、川野純夫と結婚している。川野は確か4人の子持ちで家事育児に加えての小説執筆だから、期待外れもしょうがないかと思いながら読み進むと、随所に田辺聖子らしさが滲んだ短編が登場する。田辺聖子らしさというのは「苦さとユーモア」であって作品によって苦さが増す場合とユーモアが優る場合があるわけである。苦さが増すのは例えば「さみしがりや」という作品である。着物の仕立てで暮らしを立てている文治は小料理屋の仲居をしている安江と再婚した。文治は亡くなった前妻の連れ子のことを哀れと思い出す。前妻も亡くなっているのだがこちらの方には愛情を感じないのだった。ここら辺の人情の機微、苦さを描かせると田辺の右に出る作家はいないと私は信じるのである。最後の「かげろうの女―右大将道綱の母―」は平安時代の日記文学「蜻蛉日記」を題材にした田辺の王朝物の源流をなすもの。