6月某日
「マルクスに凭れて60年-自嘲生涯記 増補改訂新版」(岡崎次郎 航思社 2023年2月)を読む。本書はもともと1983年に青土社から出版されたものを増補したものだ。だが、著者の岡崎次郎を知る人は今や少ないだろう。私も呉智英や佐藤優が岡崎のことや本書のことについて語っているのを知って、本書に出会った。岡崎は明治37(1904)年生まれ、第一高等学校を経て東京帝国大学文学部哲学及び哲学史学科を卒業、次いで昭和4(1929)年に同大学経済学部経済学科卒業。年譜には昭和8年まで断続的に著述業となっている。空前の不景気だったうえに経済学科でマルクス経済を専攻したのが影響したと思われる。昭和8年に東亜経済調査局に入局。ここのトップは大川周明だった。昭和12年に第一次人民戦線に連座して検挙、2年間の拘留の後、起訴猶予となり釈放される。要するに岡崎は高校生の頃からマルクスの思想に魅かれ、マルクスの書籍を翻訳するようになったのである。東亜経済調査局の満鉄復帰に伴い、満鉄調査部員となる。ろくに仕事をせずに碁を打ってばかりいたという。高校時代に覚えた麻雀も強かったようである。終戦により帰国、翻訳業・雑文業により生計を維持する。昭和25年、九州大学教養部教授に就任、昭和30年に法政大学経済学部教授、昭和43年に当時中核派が主導していた法大の学生運動に嫌気がさして教授を辞任、以後著述業に専念する。
書名の「マルクスに凭れて…」はマルクスの翻訳で翻訳料や印税を受け取ってそれで生活費その他を賄ってきたことを指している。本文中にももちろん出てくるが、解説で市田良彦が「いったい岡崎は時価総額2億円を下るまい収入(給与を除く)を、自宅も建てずに何に使ったのか」と書いている。市田はさらに「彼は文字通りマルクスに『凭れて』生きたのだ。九州大学と法政大学で使う教科書以外の著書はなく、論文と呼べる仕事もない。…画家でも作家でもなく「研究者」でもなく、労働者や資本家でもない「知的生産者」が、マルクスのおかげで存在しえたのだ。今でいう富裕層として」と書く。それでもなおかつ本書で描かれる岡崎の自画像は憎めない。私たちは学者というと、とかく堅物と思いがちだが、本書の岡崎は「飲む打つ買う」の三拍子そろった遊び人の一面を持つ。打つは碁と麻雀、買うは買春である。買春について本書に具体的な記述はないが、体調を崩して入院したとき「わかったのは、骨髄液まで採取して調べてみても梅毒の気がまったくないということだけだった」と記されている。買春行為があったことをほのめかしていると思える。
本書でマルクスの思想について真面目に論じている箇所も少ないがある。第Ⅻ章「マルクスから学んだもの」である。そこで著者は「資本主義から社会主義への移行の諸条件-プロレタリートによる世界解放の歴史的諸条件-もまた国によって地域によって大いに異なることがありうる…現在および将来の体制変革の有り様は、場合によっては数百年にわたる長い目で見ないかぎり、けっして一様ではない」としている。これには私ももろ手をあげて賛成である。しかし続けて「第二点はプロレタリアートによる国家権力の掌握、すなわち「プロレタリアートの独裁」の確立である」として「これを認めなければ、たとえ資本主義を否認するとしても、結局は改良主義か無政府主義のどちらかに堕することになる」と断じている。この考えには同調できない。私は今、プロレタリア独裁こそが諸悪の根源だと思っている。著者のいう「改良主義か無政府主義」の立場こそ私に近い。プロ独=レーニン主義ではなかろうか。レーニン主義には賛成できません。
6月某日
東京交通会館の地下1階のギャラリーで開催されている宮島百合子さんの水彩画展を観に行く。会場で17時に社保研ティラーレの佐藤社長と待ち合わせ。少し早く着いたのでピアノ演奏のスペースで読書。佐藤社長と会場へ。フランスとその周辺の風景画がテーマ。教会などの宗教施設が巧みに描かれている。カトリック文化の伝統を味わう。佐藤社長と別れて私は千代田線の日比谷から我孫子へ。我孫子では北口の庄屋で一杯。
6月某日
「永遠と横道世之介」(上下)(吉田修一 毎日新聞出版 2023年5月)を読む。横道世の介シリーズは本作を含めて3冊が刊行されている。1冊目が09年に出版された「横道世之介」、2冊目が19年の「おかえり横道世之介」。1冊目の世之介は長崎から大学入学のために上京した18歳だったが、本作では39歳のカメラマンで「ドーミー吉祥寺の南」という下宿のオーナー、あけみさんと「ドーミー吉祥寺の南」で同棲している。本作は「ドーミー吉祥寺の南」の住民たちの日常を描くのだが、あけみさんの祖母が「ドーミー吉祥寺の南」が建つ土地を取得した経緯や世之介が惚れていて早世した二千花の思い出、さらに長崎での世之介の両親の出会いと世之介の誕生などが描かれる。誕生繋がりで世之介のアシスタント、エバ(江原)くんの結婚と子どもの誕生も。そう盛り沢山のエピソードが目まぐるしく展開するのである。これらの日常は子どもの難産、二千花の余命の短さなどの困難を抱えつつも克服されていく。誰かの超人的な努力によるのではなく、世之介というキャラクターの持つ雰囲気が困難を克服していくのである。「雰囲気が困難を克服するだと!そんなわけないだろう!」と怒られそうだが私にはそう読めたのである。
6月某日
11時30分から週2回通っているマッサージへ。マッサージを終えてたまに外でランチをとることにする。マッサージ店の隣がインドカレーの店、向かいがラーメン屋とフランス料理屋、インドカレーの先が日本蕎麦屋とあるが、私はその先へ。いつも行列ができているラーメン「桂」を過ぎイタリア料理屋と天ぷら「程々」も過ぎ、我孫子農産物を売っているアビコンに到着。舞米亭というレストランに入り舞米カレーを注文、800円。我孫子産の野菜を使っているのが特徴。ここは基本はセルフサービスなのだが、私が行くと「いいですよ」と言っておばちゃんが配膳と片付けをやってくれる。申し訳なし。