モリちゃんの酒中日記 6月その4

6月某日
厚生労働省の1階で社保研ティラーレの佐藤社長と待ち合わせ、老健局の栗原正明企画官を訪問する。「地方から考える社会保障フォーラム」の打ち合わせ。厚生官僚で若くして亡くなった荻島國男さんに初めて会ったのは、彼が老人保健部の企画官になった頃だ。彼は優秀かつやや強引な行政マンで、企画官ながら老人保健部全体を仕切っていたような印象がある(あくまで個人の印象です)。栗原企画官にも優秀さが感じられたが強引さは微塵も感じられなかった(あくまで個人の感想です)。厚生労働省から社保研ティラーレに戻り、佐藤社長、吉高会長と打ち合わせ。7月30日の「例の会」の会場に神田のイタリアンの店を紹介してもらう。虎ノ門の日土地ビルで打ち合わせがあるので虎ノ門へ。打ち合わせまで時間があるので日土地ビル地下の蕎麦屋へ。山形出汁おろしそばを食べる。山形出汁というのは山形県の郷土料理で「夏野菜と香味野菜を細かくきざみ、醤油などであえたもの」である。私は20年ほど前、阿部正俊さんが参議院選挙に立候補したとき、選挙事務所で食べた記憶がある。

6月某日
図書館で借りた「へこたれない人 物書同心居眠り紋蔵」(佐藤雅美 講談社文庫 2016年3月)を読む。佐藤雅美は昨年7月、78歳で死んでいる。佐藤の訃報の新聞記事の扱いが小さいことに腹を立てた覚えがある。「物書同心居眠り紋蔵シリーズ」は物書同心という今で言えば検察官の書記のような役目の奉行所の同心、紋蔵が遭遇する市井の事件を解決していくというシリーズ。紋蔵にはナルコレプシーのように突如居眠りをしてしまう奇癖があることから「居眠り紋蔵」と言われている。舞台は幕末にはちょいと間のある頃、本作の「帰ってきた都かへり」では「(現在から)70年ほど前の宝暦11年のこと」とある。ウイキペディアで調べると宝暦は「1751年から1764年までの期間」とあるから宝暦11年は1762年、それから70年ほど後の小説の舞台上の現代は1832年で天保3年である。天保の改革が行われ「天保六歌撰」の舞台ともなった時代で江戸文化の爛熟期の頃か。同心というのは与力の下役で、幕臣ではあるが「お目見え」以下、つまり将軍には目通りを許されない。現在で言えばノンキャリア、たたき上げの巡査部長か警部補といったところか。現代の刑事小説などでもそのクラスが主人公になることが多いでしょ。事件の現場に一番接するのが彼らということなのだろう。

6月某日
「へるぱ!」の編集会議をZOOMでやるという。年友企画の酒井さんの指示に従いつつ、奥さんの援けを借りながら何とかスマホで参加することができた。リアルな編集会議では割と発言するのだが、ZOOMではほとんど発言する機会はなかった。「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」というマッカーサー元帥の言葉が頭をよぎる。ZOOMでの会議もそうだが新型コロナウイルスでずいぶん世の中は変わったし、今後も変わっていくと思う。リーマンショックを上回る経済的な打撃などコロナのマイナス面を捉えるだけでなく、日本社会の構造転換を図る好機と見ることも重要と思う。

6月某日
図書館で借りた「物語の向こうに時代が見える」(川本三郎 春秋社 2016年10月)を読む。川本三郎が文庫本の解説や各種媒体に発表した書評を1冊にまとめたもの。川本三郎ってすきなんだよねぇ。文体に嫌味がないし文章に「優しさ」を感じる。川本は1944年生まれ。確か麻布高校から東大法学部、朝日新聞というエリートコースを歩んでいたが、「朝日ジャーナル」の記者をしていた1971年、朝霞の自衛官殺害事件にからんで犯人隠避、証拠隠滅で逮捕され、朝日新聞を解雇される。川本の文章に「優しさ」を感じるのはこの経歴とも無縁でないように思う。この本で川本が解説や書評で取り上げた本は、私には未読のものが大半。だが、川本の筆にかかると私に強く「読んでみようかな」という気を起こさせる。川本は作品と作家と土地にこだわる。徴兵忌避で偽名を名乗りながら日本各地を逃走する「笹まくら」(丸谷才一)、東日本大震災で被災した出稼ぎ労働者の生と死を描く「JR上野駅公園口」(柳美里)、生まれ育った北海道の寂れた風景を背景に庶民の暮らしと愛を綴る桜木紫乃、他所者として「諫早の町にあっていつもアウトサイダーの位置に自分を置いた」野呂邦暢、夫亡き後の一人暮らしの老いの準備の日常を描く「故郷のわが家」(村田喜代子)などである。この中では野呂邦暢はまだ1冊も読んでいない。私が死ぬ前に1冊くらいは読むべきでしょうね。

6月某日
桐野夏生の「デンジャラス」(中公文庫 2020年6月)を読む。新聞広告で文庫化されたのを知って、すぐに上野駅構内の書店で購入した。文豪、谷崎潤一郎を巡る女たちの物語である。そう言えば「文豪」という言葉も使われなくなった。私が小説を読み始めた頃は文豪と呼ばれたのは夏目漱石、森鴎外そして谷崎である。志賀直哉は「小説の神様」であっても「文豪」ではない。永井荷風は文化勲章は受賞しても文豪とは呼ばれなかった。純文学でなおかつベストセラーを出す、そして「一家を構える」というイメージが必要なんだと思う、「文豪」には。「デンジャラス」は谷崎の三番目の妻、松子の妹で谷崎の長編小説「細雪」の主人公雪子のモデルとなった田邉重子が語り手となって進行する。谷崎の関心が義理の妹の重子から松子の連れ子の嫁の千萬子へ移っていく、そのことに対する重子や松子の嫉妬と葛藤が小気味の良いほど描かれている。物語は戦争末期から終戦、谷崎が亡くなる昭和40年まで続く。谷崎は晩年、「瘋癲老人日記」や「鍵」といった「老人と性」にまつわる傑作を書いているが、その女主人公のモデルとなったのが千萬子である。作家にとって最も大切なのは作品であって、谷崎にとって「細雪」の執筆当時は重子の行動や考えにこそ関心があったが、戦後はその関心が千萬子へ移ってゆく。小説家の業ですかね。桐野夏生は1951年生まれだから今年、69歳、今もっとも注目すべき女流作家の一人である。