モリちゃんの酒中日記 6月その5

6月某日
社会福祉法人にんじんの会の評議員会。評議員会は7時からだが13時にケアセンターやわらぎの研修センターに集合して施設見学会に参加する。グループホームや特養、老健施設、自治体から受託している地域包括支援センターなどを見学する。60代のベテラン、30代、40代の中堅、20代の若手がそれぞれ生き生きと仕事をしているのがわかる。介護事業所では利用者と職員の笑顔が一つの判断基準になると思う。7時からの評議員会は1時間ほどで終了。近くの美登利寿司でご馳走になる。元厚労省の吉武民樹さんと中村秀一さんも評議員なのだが中村さんは欠席。筑波大学の久野晋也先生も評議員で美登利寿司にもご一緒した。久野先生は住まいが我孫子で吉武さんや私と一緒。「タクシーチケットがありますからよかったらご一緒に」といってくれたので便乗させてもらう。我孫子駅北口まで送ってもらい私は南口の愛花に寄る。

6月某日
桐野夏生の「ロンリネス」の前編に相当する「ハピネス」(光文社 2013年)を図書館で借りて読む。登場人物はほぼロンリネスと同じ。ただ「ロンリネス」では保育園児だった有紗の娘、花菜が3歳2か月、夫はアメリカに単身赴任中だ。桐野夏生の小説はプロレタリア文学だと言ったのは確か政治学者の白井聡だ。「ハピネス」「ロンリネス」もその系統にあると思う。江東区のタワーマンションに暮らす有紗は、同じ年頃の娘を持つマンション内の母親たちとママ友グループを作る。だが有紗と親友になる美雨ママ以外はタワーマンションの分譲マンションに住み、有紗は賃貸、美雨ママはそもそもタワーマンション外で、近くの賃貸マンションだ。有紗と美雨ママはプロレタリア階級、それ以外のママ友はブルジョア階級なのだ。表面は仲良くしているものの内実は理解し合えない2つの階級。ママ友グループの対立を縦軸に美雨ママの恋愛を横軸に物語は展開していく。

6月某日
図書館で借りた「草薙の剣」(橋本治 新潮社 2018年3月)を読む。本のカバーの惹句に曰く「10代から40代まで10歳ずつ年の違う男たちを主人公に、彼らの父母、祖父母までさかのぼるそれぞれの人生を、戦前から平成の終わりへと向かう日本の軌跡のなかに描き出す」。私は昭和23年生まれだから敗戦こそ知らないが、その後の戦後復興、高度経済成長、オイルショック、昭和の終焉、バブルの崩壊、2つの大震災、オウム真理教などは記憶に刻まれている。作者の橋本治も同年、東大生のとき五月祭だったかのポスターの作者として有名になった。銀杏の入れ墨を背中に彫った東大生のイラストが「とめてくれるなおっかさん、背なの銀杏が泣いている」というコピーとともに私の記憶のなかにある。このポスターが優れているのは時代を描く批評精神だと思う。それはこの作品でも健在である。

6月某日
机を置かせてもらっているHCM社の大橋社長を誘って神田の「清瀧」へ。大橋社長といろいろな話で盛り上がったが呑み過ぎであまり記憶なし。「清瀧」は埼玉県蓮田市の酒造メーカーの経営で日本酒が安くつまみもそれなりに旨い。それで呑み過ぎるのが難点。

6月某日
根津の「フラココ」へ。大谷さんを誘う。大谷さんは八重洲ブックセンターのイベントに参加してから参戦。新顔のお客さんが来店。公認会計士だそうだ。私は11時過ぎに帰ったが大谷さんは公認会計士の先生と3時までいたそうだ。

6月某日
HCM社の大橋社長と再び神田の「清瀧」へ。HCM社三浦部長、「胃ろう・吸引シミュレーター」の開発者、土方さんも参加、遅れて年友企画の石津さんも来てくれた。大橋社長は元大手生命保険、三浦部長は元大手都市銀行、土方さんはアメリカに留学経験のあるデザイナーという具合に前歴はバラバラなのだがなぜか気の合う仲間だ。

6月某日
図書館で借りた「松本清張の『遺言』-『昭和史発掘』と『神々の乱心』を読み解く」(原武史 文春文庫 2018年2月)を読む。「神々の乱心」は清張の遺作で未完。新興宗教と宮中の内紛に殺人事件が絡む社会派ミステリーらしい。「昭和史発掘」は歴史研究者でもあった清張の歴史ドキュメントで「昭和史発掘」の研究成果が「神々の乱心」に生かされているらしい。「らしい」が続くのは「昭和史発掘」も「神々の乱心」も未読のため。

6月某日
友人の本郷さんに誘われて東中野の「ポレポレ坐」に「レフト・アローン」(井上紀州監督)を観に行く。もらったビラに「左側を歩くことの孤独…」とあった。六全協から60年安保、60年代後半の全共闘による学生反乱を描くドキュメント映画である。私のような当時の当事者が観客の多く占めるのではないかと思ったが、行ってみると観客の8割方は20台と思しき青年男女だった。映画は評論家の「すが秀美」が六全協前後を松田政男に、60年安保を西部邁と柄谷行人にインタビューをするというかたちで進行する。松田政男は私の学生時代、気鋭の映画評論家として学生たちにも人気があった。都立高校のときに日本共産党の党員となり、山村工作隊に参加したりするが後に除名される。西部邁は機嫌よくインタビューに答える姿が印象的だった。資料提供者に唐牛真希子さんの名前があった。唐牛さんは昨年亡くなり、西部さんは今年自裁した。1部、2部構成だが1部が終わったところで本郷さんと映画館を出る。新中野の居酒屋で本郷さんと呑む。