モリちゃんの酒中日記 7月その1

7月某日
「日高見」という石巻の地酒がある。2011年の東日本大震災の後、取材に入った石巻で駅前の物産店で買ったのがこの酒との付き合いの始まり。田酒や十四代のように名前が売れているわけではないが、それでも都内の居酒屋で置いているところはある。「日高見」という名前はなぜ日高見なのか、考えたこともなかったが今回、「天孫降臨とは何であったのか」(田中英道 勉誠出版 2018年4月)を読んで日高見とは何かが分かった。日高見とはヤマト政権が成立する以前の関東・東北を広く束ねた国家、日高見国のことであった。著者によると、日本神話の天孫降臨は、日高見国の中心のあった鹿島(鹿島神宮のある茨城県の鹿島市である)から鹿児島へと向かう一大軍事船団の記憶が神話として残されたものである。この説の真偽はともかく、神話から日本歴史の源流を辿るという著者の発想は大変、私には新鮮だった。ギリシアの叙事詩「オデッセイア」に描かれたトロイの木馬の実在を信じて、ついにその遺跡を発掘したシュリーマンのことを思い出した。

7月某日
「早大闘争50周年を記念する会」で事務局をやってくれたのが出版社、ウェイツの中井健人社長。そのとき中井社長から購入したのが「東大闘争-50年目のメモランダム」(和田英二 ウェイツ 2018年11月)だ。著者の和田が法学部の3年生だった1968年6月、医学部学生の不当処分をきっかけとして東大闘争は始まった。和田は当時はノンポリ学生だったが大学当局と全共闘の対立がエスカレートしていく中で、法学部闘争委員会の一員として成長していく。翌1969年の1月18日、東大に機動隊が導入され安田講堂に立て籠った学生たちは翌日の19日までに逮捕されほとんどが起訴された。和田が調べたところでは逮捕者377人、起訴されたのは295人であった。起訴されたのは東大65人、同志社15人、法政14人、明治13人、早稲田12人などである。 完全黙秘を貫いて氏名不詳のまま起訴された者も相当数いたことから和田は、起訴された東大生は80人は超えると推定している。法学部は20人。東大法学部はもともと国家の中枢を担う官僚の養成機関として開学した。したがって学生の多くは良くてリベラル、極左が育つ土壌があるとも思えない。60年安保のときもブンドの書記長だった島成郎が医学部、6.15で殺された樺美智子が文学部、駒場の委員長だった西部邁は経済学部である。東大闘争でもストライキに突入したのが最も遅かったのが法学部で、ストライキ解除が最も早かったのが法学部と記憶している。しかし安田講堂に籠城したのは20人で、多分、工学部や医学部より多かったかもしれない。東大闘争の肝のひとつが「自己否定」。エリートを約束された法学部生だからこそ「自己否定」を貫いたのだろうか。

7月某日
「女たちは二度遊ぶ」(吉田修一 角川文庫)を読む。吉田修一は長編で力を発揮するが短編もいい。これは時にはバイト学生だったり時には非常勤だったり、傍から見るととても勤勉とは言えない現代の青年とその青年と一時期は付き合ったり、同棲したりするのだが、結局は「逃げていく女」の物語である。無気力で自堕落に生きること、それは決してほめられたことではないが、長い人生の一時期そうした時間だって必要じゃないかなと私は思う。多分作者の吉田修一も作家を目指しながらも無気力、自堕落に陥ったことがあるのじゃないか、と思わせる短編小説集であった。

7月某日
図書館で借りた「障害者の経済学」(中島隆信 東洋経済新報社 2006年2月)を読む。中島は慶應大学商学部教授で子どもの一人が脳性マヒで、子どものための施設探しを経験したことがこの本を書く動機のひとつになったようだ。「他の親たちが真剣な顔つきで質問するなかで妙に醒めた自分がいた」(あとがき)と書いている。これはわかりやすいフレーズではない。私なりに解釈すると「他の親たちが真剣な顔つきで質問」すればするほど、障害者の問題は普遍から遠ざかり特殊の世界に入っていくということではないだろうか。日本社会が「転ばぬ先の杖」社会であるという著者の考えとも通底する。「転ばぬ先の杖」社会ならば障害者にとっても健常者にとっても安全な社会と言えるかもしれない。しかしそれは人生の選択権を奪うことにならないだろうか。障害者や高齢者への「配慮」は必要である。だがそれは、障害者や高齢者が自分自身の障害や衰えた機能と向き合い、健常者とも対等な人間関係を結べるという方向性においてである。

7月某日
「元禄五芒星」(野口武彦 講談社 2019年3月)を読む。野口は1937年東京生まれ、早大一文卒後、東大大学院から神戸大学教授へ。順調な学者人生を歩んできたように見えるが野口が早大生のときは60年安保闘争と重なり、確か日本共産党の構造改革派の活動家だったはず。本書は忠臣蔵外伝ですな。「チカラ伝説」は大石内蔵助の長男で討ち入りのときは吉良邸の裏門攻撃を担当した大石力が主人公、「元禄不義士同盟」は討ち入りに参加しなかった大野九郎兵衛親子をネタにし、「紫の一本(ひともと)」は、元禄時代の江戸地誌「紫の一本」を題材にしている。「算法忠臣蔵」は赤穂藩の藩財政の内情を特産品であった塩と経済成長を支えた藩札の流通から考察している。「徂徠豆腐考」は元禄時代の大儒学者、荻生徂徠と若い徂徠が下宿していた豆腐屋の話でこの話は落語、講談、浪曲で「徂徠豆腐」として取り上げられている。